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終末恋物語  作者: 氷室冬彦
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9 偶然的な怪奇との遭遇

 竹林封鎖の知らせを受けた翌日の昼。退屈しのぎに散歩にでも行こうかと一階のロビーに降りていくと、誰かと電話していたらしい宿の主人がこちらを見て手招きをした。


「ちょうどいいところに。お呼びしようと思っていたところだったんです」


「どうしました?」


「お電話ですよ。桧季さんという女性から」


「えっ」


 桜だ。


「どうぞ」


「あっ、お借りします」


 受話器を受け取り、耳に当てる。桜の家に電話はないので、工場で借りてかけてきたのだろう。河田に宿の番号は教えたが、それは秋人から再度連絡をおこなうときのためだ。まさかなにかあったのだろうか。


「もしもし」


『あ、秋人さん、ですか? あの、桜です。お、お久しぶりです』


「うん、久しぶり。えっと……どうかした? そっちでなにかあったの?」


『あっ、いえ、用……すみません、その、具体的な用事は……とくにないのですが。河田さんのご厚意でお電話をお借りしています。その、橋が封鎖されていて、まだ帰ってこられないのですよね』


「うん、そうみたい。早く帰れるといいんだけど、まだ情報がなくて。もうしばらくかかると思う。竹林のほうでなにかトラブルがあったみたいで。そっちは平気?」


『はい、今のところは。でも早く秋人さんにあい――』


 不意に声が途切れる。


「桜?」


『あい、あ、い、いいえ、なんでもありません。は、早く――早く、通れるようになるといいですね。梅梨さんもさびしがっていますから』


 桜が慌てて言い直した。受話器の向こう、遠くでかすかに啓吾の声が聞こえた。さびしくねえよ、と言っている。秋人は少しだけ笑った。


「相変わらずだなあ、啓吾は」


 思わず笑ってしまった秋人につられてか、桜も小さく笑った。その声を聞きながら、桜が言いかけてやめた言葉の向こうに淡い期待を寄せる。


「……俺も、早く桜に会いたいよ」


 よくはないだろう。ただ、どうしても率直で正直なその気持ちを、胸の内に抑え込んでいることができなかった。近頃の秋人は桜のことになると、どうしてか、湧き上がる感情に振りまわされてばかりだ。


『……え?』


「お店の電話だから長電話も悪いし、そろそろ切るね」


『あ……は、はい。わかりました。では』


 受話器を置いてふと顔を上げると、宿の主人がにこにこしながらこちらを見ていた。


「恋人さんですか?」


「えっ? あ、いや、そ、そういうわけでは……」


 さすがにこの距離では聞きたくなくても聞こえてしまうだろう。仕事でほんの数日町を離れている男が、町に残してきた女からの電話を受けて、店の設備を借りてまで、早く会いたいなどとささやいているのだ。自分のしたことが急に恥ずかしくなる。


 散歩に行こうと思っていたことなどすっかり忘れて、秋人は早足に客室へと逃げ帰った。



 *



 ふと目を覚ます。


 どうやらいつの間にか眠っていたらしい。仰向けになって天井の木目を見つめ、部屋に備え付けの時計をちらりと見た。時刻は十六時を少しまわっており、おそらく二、三時間時間は眠っていたのだろう。あくびをする。


 なんだかとてつもなく嫌な夢を見た気がした。内容はよく覚えていないが、桜に関係したことだったと思う。


 桜の顔を見ない生活が五日ほど続き、退屈な時間が増えたことで物思いに耽る時間も増えた。秋人は桜と出会うまでには持っていたある種の冷静さを、彼女と離れることによって取り戻しかけている。


 あの家で桜と暮らし、あの町で啓吾と仕事をして、毎日を彼らとともにすごすにつれて、秋人は自分の中にある現実を見つめなおさないようになっていた。


 実に簡単なことだ。それが秋人のすべてであり、そうでなければ秋人ではない。常に頭の片隅にはあり、なにかあるごとに何度も自分に言い聞かせてきたものの、愚かにも向き合うことを避け続け、真に受け入れようとはしなかった秋人の本質。


「やっぱ俺、最近ちょっと浮かれすぎだよな」


 お前は人間じゃないだろ――そう自分を罵り、秋人はもう一度目を閉じた。


 秋人の足枷。今さら改めて言うまでもない、この体質のことだ。今の秋人は人間の皮を被って人間の少女をたぶらかしているだけの、ただのバケモノなのだ。


 重大な事実を隠したまま桜と暮らす罪悪感。彼女を騙していることをやめたいが、打ち明けるわけにもいかないという葛藤。前々からわかっていたつもりではある。秋人が目を背け、忘れようとしていたのはここから先のことだ。


 桜を含めて現在関わっている人間たちを騙し欺き続けるこの生活は、そう長くは続かない。これだけは確実で、しかし当然のことだ。


 秋人は歳をとらない。今は二十代で誤魔化せても、これから五年、十年と時が経てば、時の流れに流されるように、普通の人間――桜や啓吾は歳を重ねて成長し、成熟し、やがては老いていく。


 だが秋人は何年経とうと今の姿のまま変わることはない。秋人の時間は永久に止まっているのだから。いずれ誰かがその不自然に気付くだろう。そうなれば隠し続けることはできない。そのときの秋人に与えられる選択肢は、黙って姿を消すか、事故に見せかけて自ら命を絶ち、その衝撃をもって人々に生まれた不信を忘れさせ、強制的に縁を終わらせることだけだ。


 秘密はいつまでも隠し続けることはできない。ごまかしが利かなくなってから打ち明けるよりは、自分から打ち明けるほうがいい。大抵の秘密ならばそれでいい。しかし秋人の場合はわけが違う。


 ひとつ、覚えている出来事がある。


 ある日、秋人と桜は食料の買い出しのために町に来ていた。あらかた買い物を済ませて、帰る前に買い忘れたものがないかを確認していたとき。路地のほうから小走りでやってきた青年が、桜に肩をぶつけたのだ。


 なにも怪我をするほど強くぶつかったわけではなく、桜はほんの少しよろけそうになった程度で無傷だった。ぶつかったというよりは、ただ肩が当たってしまったというほうが正しい。青年はあわてて頭を下げたが、桜はぶつかられたことなど気に留めなかった。しかし、ぶつかったはずみでズレてしまった青年のフードの、その下にちらりと見えた顔に身を固くした。


 彼は亜人だったのだ。とはいえ見た目には普通の人間とほとんど違いはなかったように思う。人語を話し、他人にぶつかった直後の第一声にきちんと真摯な謝罪が出てくる、温厚で礼儀正しそうな好青年だった。ただ、灰色の肌に尖った耳をしていた。それだけだ。


 桜は、その青年に怯えたのだ。


 兄のこともあって、カルセットなどバケモノの類を恐れていることは知っていた。それは理性を持たない獣が相手では言葉も通じず、やつらが当たり前に人間の命を奪うからだと思っていた。考えが甘かった。桜にとって、もはや害の有無などは関係がないのだ。言葉が通じようと、人の形をしていようと、関係がないのだ。


 ならば秋人が自分の正体を明かしたところで受け入れてもらえる保証はない。桜はきっと秋人を恐れるだろう。


 そしてこれまで人間を装って桜を騙し続けてきた秋人は、その事実を知った彼女から拒絶されることに耐えられるだろうか。


 これが秋人の葛藤と足枷の本当の重みなのだ。


 最初はただ、あの無防備で気の毒な娘を放っておけないという、同情からくるお節介だった。せめて彼女が幸せに暮らしていくための目途が立つまでは、近くで見守っていようと思っただけだった。助けを求めている少女を見捨てた男になりたくなかっただけだ。


 人間としての人生を捨てた秋人は、これまで特定の個人に入れ込むこともなければ、誰かに必要とされることもなく、誰かの気持ちに応えたことも応えるつもりもなかった。それは桜と出会ってからもそうだったはずだ。秋人はただ少し桜の手助けをして、まるで人の役に立ったような心地を得て、自分勝手な満足感とともにライニを去る。本当にそのつもりだった。


 いつからだろう。彼女を見守ろう、せめて近くにいる間は守ってやりたいという単なる庇護欲が、これからもずっと一緒にいたいという、叶いもしない欲にすり替わったのは。


 ずっと一緒にいることはできない。秋人が桜に対して抱いている感情を、桜もまた秋人に抱いてくれていたとして、決して思いを通わせてはいけないのだ。気持ちを伝えるべきではないし、深い関係になどなるべきではない。


 わかっている。わかっているが、実際に桜を前にすると、桜の声を聞くと、途端にすべてがどうでもよくなってくる。未来のことなどどうでもよくて、今この瞬間がすべてであるような気分になる。この気持ちが伝わればいいと思ってしまう。言葉でも行動でも彼女に気を持たせては、自分のことを見て意識してほしいと願ってしまう。


 その先に待っているのは破滅だけだ。桜も自分も不幸になる。わかっている。


 ため息をつき、のっそり起き上がる。外に出て頭を冷やしたほうがいい。



 一階へ下る階段の前には広めにとられたスペースがあり、そこはソファや本棚、読書用なのか小さな円卓が置かれた休憩所のような空間になっている。外を歩こうと思って部屋を出た秋人だったが、本棚の前でふと立ち止まり、隙間なく並べられた本の背表紙を眺めてみた。読書をする習慣を持たない秋人には見たことも聞いたこともないタイトルばかりだ。宿の主人の趣味なのだろうか。


 階段のほうから足音がしたので何気なくそちらを見てみると、ちょうど一人の女性が二階にあがってくるところだった。歳はおそらく三十路半ばといったところだろうか。髪を後ろで緩く結んでおり、薄手のカーディガンを羽織っている。たった今宿泊手続きを済ませたのだろう。なぜか果物のたくさん入った大きなバスケットを持っている。


 女性は秋人に気付くとおどろいたように目を見開き、しばらくその場で硬直していた。


「こんにちは」


「あ、あら、こんにちは」


「お泊まりですか」


「ええそうなの。ちょっと観光で友達のところにね。お兄さんは?」


「仕事の関係でライニから。でもそこの竹林が一時的に封鎖されているらしくて。ここでしばらく足止めされてるんです」


 まあ。と女は同情するような声を洩らした。


「それは大変ですね……ああ、そうだ。あのこれ、よかったら少しもらってくれませんか?」


 女は果物の入ったバスケットを見せた。


「友達がお土産にって持たせてくれたんですけど、量が多くて私だけだと食べきれなくて。傷ませてしまってももったいないし、宿のご主人にもお裾分けしたんですけどまだ余ってて」


「はあ」


 秋人が曖昧に答えると女は少し待っててくださいと言って一階に下りていき、小さなバスケットを手に戻ってきた。そこに果物をいくつか移して秋人に差し出す。


「どうぞ」


「あ、ありがとうございます」


 おずおず受け取りながら礼を言う。それから二言三言他愛のないやりとりをしたあと、秋人はバスケットを置きに部屋に戻った。改めて外に出ようとしたとき、また新たな宿泊客が訪れた。


 一人の男の声しか聞こえないが、一人客にしてはどうにも騒々しい。階段を下りながらロビーの様子を覗いてみる。


 宿泊手続きをしているのは三人組だった。茶色い肩掛けをして帽子をかぶった背の高い男が、男より大柄な黒いなにかを支えている。男の後ろにはコートで全身をすっぽり覆った小さな子どもがいた。もれ聞こえる会話から察するに、あの黒いのは彼の連れで、どこかに向かう途中で体調を崩したので急遽一泊することにしたようだ。


 手を貸しましょうかという主人の申し出を断り、肩掛けの男は体調不良の大男を半ば引きずりながらこちらへ来た。階段の真ん中で鉢合わせて、一瞬だけ目が合う。


 晴天の空のように澄んだ青い瞳を持つ、紅茶色の髪の男だった。

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