はじまった
不躾で申し訳ないが、どうにも異世界に来たようだ。
うん。多分、異世界。呆れるぐらいに異世界然とした、異世界である。
まずなによりも、視界いっぱいに広がる、突き抜けるような青空。灰色のコンクリートがひしめくわけでもなく、茫洋たる|海≪わだつみ≫よろしくの碧空には、天蓋を穿つような日輪が浮かび、永遠無窮とも思わせる広がりは、この世界を包みあ……と、詩興を催す場合ではないな。ここでは如実にあらわれた、形而下のモノだけを記載しよう。振りかえればいつだって、詩歌なぞは作れるからな。
前申すとおり、俺は異世界に来た。ということはお分かりだろう。俺は、この世界の人間ではない。つまり、この世界においては異世界人である。最近の異世界トリップの主人公に欠けているのは、世にも珍しかな、異世界人としての矜持だと思うのですよ。
だけど、と俺は思う。
ここで話は脇道にそれるが、ダーウィンの生物学から綿々と続いてきた今の学問において、我々が信奉する|進化≪エボリューション≫は、突然変異による産物だと認められている。悲しきことに獲得遺伝は否定され、親の代で入神の技や、該博たる知識を得ようとも、彼の子どもには受け継がれない。学問においての進化とは、その種の中に、偶発的に生まれるミュータントを、自然淘汰の振るいに掛け、又、そのミュータント群の中で生まれたミュータントのミュータントを、自然淘汰の審理にかける。気が遠くなる時間に、それを何回と繰り返し、変異という区別が段々と種の区別へと変わってゆく。こんな風に原始の生物から
我々は進化し、日本然りアメリカ然りヨーロッパ然り、さまざまな場所で奇跡的に産み落とされたのである。これはもう、センスオブワンダーである。
ならば、話をもどそう。
もしもこの定理に従うのならば、異なる世界において、人間と同じ姿をした生物が存在することは、天文学的な数字を分母に持った、極限的に零に近い、微視的な数字に違いないのである。おそらく、オングストロームもびっくりであろう。
ほら、だから、『だけど』なのだ。
もしも異世界に来て、自分と同じ種類の生物が、自分を覗きこんでいたら、相手を異世界人だと思えるだろうか? いや、俺は思えない。ドッキリかなにかかと疑う筈だ。
「……ど、ドッキリですよね?」
アホっぽいのは許してくれ。俺だって焦っているのだ。
たしかに俺は、上記のような学説を知っていた。敬虔な宗教者ならば発狂しかねない学説である。しかしたとえ知らなくとも、朝目が覚めたら青空の天井を見ていた……そんなことあったらドッキリだと疑う筈だし、焦る筈である。
ではなぜ、冒頭で異世界と決めつけたのか? 不思議がる方も大勢いるだろう。矛盾を起こしていると詰るであろう。ここで読むのをやめてしまう者も、多分いるであろう。だけど待ってほしい。一寸立ち止まって、訳柄を聞いて貰いたい。そうして俺の視線とともに、覗き込んだ彼女の顔を見て欲しい。そうすれば一目瞭然、明々白々たる異世界が広がってる筈だ。
そう、その少女は、褐色の……エルフだった。
濃やかに戸惑いを湛える、うつくしい異世界人であったのだ。