遅刻した通学路を走っていたら道角で妙な少女とぶつかってしまった件
寝坊。遅刻。食パンを口に。ダッシュ。
これらの条件が揃った場合、フィクション上では必ずあるイベントが発生する。
それが、道角での同じく遅刻した同級生の女の子と衝突することである。それがラブコメの始まりであり、これから色々な自分だけの物語が展開していく。
しかし、それはあくまでフィクションに過ぎないのだ。しかしこの俺、野坂隼人が偶然寝坊し、偶然遅刻しそうで食パンを口にくわえて通学路を走っていた時のことである。
その――フィクション上でしか起こり得ない――出来事が起こることになる。
「はっ、はっ」
家を出てから走りっぱなしの俺は、初めは快走していたものの、五分ほど経った今はすっかりバテきって肩でぜいぜいと息をしていた。
寝坊したのは本当に偶然だった。たまたま昨日が日曜日で、目覚まし時計を止めていたのをすっかり忘れてしまっていたことで起こったことだ。今日は月曜日。平日の最初から最悪の出だしである。
食パンにイチゴジャムを乱暴に塗って、昨日部屋に置いたまま動いていなかった通学カバンを手に取り、既に出かけてしまった両親の「出る時は戸締りをしろ」という伝言をきちんと守っていたせいで余計に遅れてしまっていた。てへぺろ。
(走れば間に合うしっ!)
最早呪文のように聞こえてくるそのセリフ。プラス思考。全力で走れば、何とか始業には間に合うはずなのだ。そういう計算なのだ。あくまで個人的に計算した結果であり公式のものではありません。
後は今目に見えている十字路を左に曲がればゴールである我が校が見えてくる。もう……ゴールしてもいいよね……。
家を出た時、時刻は午前八時二十分を回っていた。始業は八時半。十分あれば十分なんだ! あ、シャレじゃないですよ?
「はっ、はっ……」
これは一限、間に合って爆睡決定だな。そんなことを思いながら俺は走るのを止めなかった。
そして十字路を左に曲がろうとした時、その出来事は起こった。
どんっ!
最初はそんな音がした。その音のコンマ数秒後に俺の胸の外側から痛みが来る。
「むえっ」
そして、気がついたら俺は食パンをくわえたままの口から間抜けた声をあげて、豪快に尻餅をついていた。コンクリート、痛いっすよ……。
「ッ!」
そして、どさどさっという音が聞こえた。恐らく俺の通学カバンが手から離れて地面に落ちたものなんだろうが、その音が一つ多いような気がした。
――つまるところ、俺は道角を曲がった所、何者かとぶつかってしまったのである。
(――誰だ?)
俺はすぐに立ち上がってぶつかった相手に謝ろうと思った。謝って、さっさと学校へ向かってしまったかったのだ。
「すいまふぇ……」
パンが俺の呂律を狂わせてまた間抜けた口調になってしまう。
前を見ると、同じように尻餅をついてから痛そうにその尻をさすりながら立ち上がったのは、お隣の高校の制服を着た女の子だった。
見ただけでさらさらとしていることが分かる黒い長髪に、バランスのあるしなやかな体躯。例えるならば、漫画やライトノベルに登場するヒロインのように美しく、可愛い女の子だ。
漫画やライトノベルにありがちなラブコメの始まりに、俺は巻き込まれたのだ。何て幸せなんだろう! 実際にあって欲しいがフィクション上でしか有り得ないことが実際に起こると嬉しいものだ。まさに俺は今、そのような気持ちでいっぱいになった。
しかし、このあとの女の子のセリフのあと、俺は心から後悔し、反省する。
――やはりフィクション上でしかあんな出来事は起こらないんだ……と。
「あんた」
可愛らしい目つきから、燃えるゴミを見るかのような鋭い目つきに変わり、俺を睨みつけ、彼女の人差し指がその名の通り俺を指差した。
「ふぁ、ふぁい!」
やべっ、パン邪魔。食べておけば良かった! 一応「はい」と返事を返したつもりなのだが……
「ふざけんじゃないわよ!」
「!?」
怒りを露わにした女の子が俺の胸ぐらを掴んで俺を持ち上げてきたのだ。つーか何この力の強さ! 俺、体重六十キロぐらいあるんですけど!
しかし、やはり女の子なのだろう。三秒ほどして堪えきれずにうっ、と呻いて俺を離したのだ。また俺は地面に尻餅をつく。
「アンタ、舐めてんじゃないわよ!」
「ふぁ、ふぁあ!?」
そして、突然始める説教。
「漫画みたいな展開が起こったと思ってちょっと嬉しいと思ってたら、何でアンタみたいな不細工とぶつかるのよ! イケメンを呼びなさいよ! 漫画ならヘタレ主人公でもそれなりにいい顔立ちをしてるじゃない!」
「こふぉ(ここ)は『ふぉんげふ(現実)』だぞ!? ふぁんが(漫画)は、『ふぁふぁふぃ(ただし)ふぃけめんにかぎふ(イケメンに限る)』で、ふへて(全て)が、ふぇふふぇい(説明)ふぇふぃんふぁよ(できんだよ)!」
何気不細工って言われたことに傷ついた俺は少しばかり反論してみる。パンを口にくわえているので以下省略。
「何言ってるのか分からないじゃない!」
「ぐえっ!」
今度は右頬を殴られた。痛い。その衝撃で口にくわえていたパンが地面に落ちる。半分くらい残ってたのに!
「まったく……アンタはラブコメというものを舐めきってるわ!」
「ラブコメなんざ始めたつまりはねぇよ!」
女の子だからって容赦はしねーぞこのやろー! 男にもプライドってもんがあんだ! それを教えてやろうと俺はさらに声を張り上げる。
すると、
「あぁ!?」
「……すいません」
さっきの力を見せつけられた後にぎんっ、という効果音が思い浮かぶぐらい眼を飛ばしてくる女の子を見て慌てて頭を下げる。プライド? はいはいワロスワロス。
「――駄目ね」
「俺は急いでたんだよ! これでもうほとんど確実に遅刻じゃねぇか……」
勢いよく怒ってみるものの、ほぼ遅刻確定という現実が俺の声のボルテージを下げていく。
「それならちょうどいいわ。アンタに私なりの道角での女の子とのぶつかり方を教えてあげる。あ、私の名前は高木悠っていうから覚えておいてね」
「何でそうなるんだよ! まだ急げば可能性があるじゃねえか!」
しかも何で突然名乗った!? 意味が分からん!
「私が遅刻確実だからよ!」
「知らんがな!」
何この漫才状態。
「まず第一に、何よそのパン」
地面に落ちてすっかり汚れてしまったイチゴジャムが塗られたパンを女の子が指差す。
「な、何だよ?」
「私が好きなのジャムはピーナッツなのよ!」
「お前の好みなんざ知ったこっちゃねえよ!」
「ってことでアンタ、家でパンを焼き直して家を出るところからやり直し」
「はぁぁああああああ!?」
ここまで来ると意味が分からない。
「アンタにはとことんラブコメの全てを叩き込んであげるわ」
「だ、だから俺は学校が――」
「私、中学生の頃、空手の中体連で全国出場してるけど?」
語尾にハートがつきそうな可愛らしい声だが、わなわなと振るえているその拳がとんでもなく恐ろしい。
「……」
そんなものを見たあとの俺の選択肢。
①はい
②イエス
③いえっさー!
――とことん駄目だな俺。
「……はい」
とりあえず①を選んでおいて、俺はなぜか家からやり直すこととなった。
家で言われた通りパンを焼き、冷蔵庫の中にあったピーナッツクリームを塗った。それから、すぐに家を出て演技っぽく早歩きで先程の道角に向かっていく。
そして、
既に十字路の左で待ち伏せていた女の子――悠とぶつかる。もう何なんだこれ。
「……」
「……ほら、これでいいだろ?」
先程、悠に言われたことは全てやった。顔以外。
彼女の評価を待って、そのあとすぐに学校に行こう。ああ、先生に怒られる……。
「アンタ……」
その当の本人である悠は、顔を下に向けて俯きながら低く小さく呟いた。
そして。
「ふざっけんじゃないわよ!」
「えええええええっ!?」
今度は左頬をグーで殴られた。彼女の拳はじゃんけんでいうパーで防ぎきれないような気がする。ボコッとかリアルで聞こえたの初めてだよ。
「……アンタは本当に駄目ね」
「どこが駄目だったんだよ!? 完璧だったじゃねえか! わざわざご要望のピーナッツクリームまで塗ってきてやったんだぞ!?」
「私が好きなのはピーナッツバターって言ったでしょ!?」
今度は顎元にアッパーを喰らい、今度は全身が地面に倒れる。
「まったく……最近の若者は……」
不平不満をぶつぶつと言葉にして、その悪魔のような女の子は俺の前から去っていった。
沈黙。鳥の囀りだけが聞こえてくる。
道端に寝転がっていると、空がこんなにも青いのだと気づいた。
そんな澄み渡る青空を見て、俺は心の底からツッコミを入れる。
(知るかあああああああああああああああああああああああああああああ―――――――ッ!)
結局学校で反省文を書かされましたとさ、めでたしめでたし。
って、めでたくねーよッ!
自分でこれ書いてて何やってんだろうと思いました、まる