魔法使いのお姉さん
中学三年生の大宮 紗花には、誰にも話していない秘密がある。
誰にも話していないのは、紗花自身もあれが現実だったのか、幼かった頃の白昼夢だったのか分からないから。
何年経っても分からない。寧ろ時が経てば経つほど分からなくなっている。
――あれは、あの出来事はなんだったんだろう。
――――
小学三年生の紗花は自宅近くの河原で泣いていた。柔らかい草の上に体育座りをしていた。
涙が溢れる目には秋の夕焼け空が映っている。
今朝、佐助が死んでしまった。
佐助は紗花が生まれる前から大宮家で飼われていた柴犬。
幼い紗花でも、祖父母も父母もひどく落ち込んでいることが感じ取れた。もちろん紗花も、深い悲しみを感じている。
餌やりや散歩など佐助に関しての「紗花がすること」も少なくなく、紗花なりに佐助を大切にしていた。
自分が家で泣いていたら、余計に家族を悲しませそうな気がして河原に出てきて泣いている。
誰もいない。
聞こえてくるのは、目の前の川が流れる音と少し離れた車道からの車の走行音。
そして紗花の嗚咽。
そんな静かな、ある意味孤独な世界で紗花は泣いていた。
「ねえ、紗花ちゃん」
不意に背後から声を掛けられて紗花は驚いた。ぐしゃぐしゃの顔を向ける。
紗花はもう一度驚いた。自分のすぐ真後ろに女性が立っている。
何故か季節外れの浴衣を着ている。
小学三年生女子の紗花が見惚れてしまいそうになるほど美しい女性。
「ねえ、紗花ちゃん。佐助死んじゃって悲しいねえ?」
――なんでこのお姉さん、私と佐助の名前知ってるの?
紗花の頭に当然の疑問が生まれたが、紗花は何も言えない。
女性の唇がゆっくり動く。
「……私ね、佐助を生き返らせること出来るよ。生き返らせてあげようか?」
紗花の体がふるりと震えた。
普段の紗花なら絶対に信じない、信じられない話だった。
死んだらそれで終わり。
そのくらい理解し、諦めているつもりだった。
しかし――
何故か「このお姉さんは本当に出来る」と確信していた。
それは女性の容姿、言動から発する現実離れした雰囲気によるものなのか。「佐助に生き返って欲しい」という紗花の願望によるものなのか。
紗花自身も分かっていない。
ただ確信していた。
「……うん。生き返らせて欲しい。佐助にまた会いたい。お母さんたちにもまた会わせたい」
「そうね……。その気持ち、私も分かるわ。ねえ、紗花ちゃん? 学校で嫌なヤツとかいる?」
「えっ?」
突然、話の方向が変わり紗花は戸惑う。戸惑いながらも頭には片山 蒼介という男子の名が浮かんだ。
紗花に限らず、クラスの女子たちに嫌がらせに近いちょっかいを出してくる男子。
「……片山、……蒼介くんって男子がたまに意地悪してくる」
「かたやま……、そうすけ……」
女性が繰り返した。
「そのかたやまくん、ペット飼ってる?」
「えっと…………、たしか『猫を飼ってる』って言ってた」
「ならよかった」
その声色に紗花は鳥肌が立った。理由は分からない。
女性は目を閉じた。何かに集中しているように見える。美しさがより一段と冴え渡る。
「よし、見つけた」
女性は目を開き、独り言のように呟いた。
「……紗花ちゃん、明日の朝に佐助は帰ってくるわ」
「えっ? あっ……、えっと……、ありがとうございます。…………明日の朝に佐助が」
紗花の中の女性への確信は揺らいでいない。「佐助が帰ってくる」と信じている。
安心して、少しだけ気が緩んだ紗花は女性に訊いてみる。
「あの……、なんで片山くんの事を訊いたんですか?」
女性は楽しそうにケラケラと笑った。鈴の音のような笑い声。
「代わりよ。代、わ、り。明日、佐助が帰ってくるときにかたやまくんが飼ってる猫が死ぬの」
紗花は目を見開いた。当然この話も全く疑わない。
「そんなっ! そんなの……! ひどい……!」
「なら、やめる? 私は構わないわよ」
「ううっ…………」
紗花は強烈な葛藤に襲われている。
佐助への気持ち。
家族への気持ち。
片山への気持ち。
見たこともない片山の猫への気持ち。
……そしてもう一つ。
紗花が想像したこと。想像するだけで胃の中身が込み上げてくるようなこと。
紗花は決断した。
女性へ告げる。
何故か浴衣を纏っている女性へ。
「ごめんなさい。やめます。やめてください」
女性は少し驚いたように右眉をぴくりと上げた。
「そう? 分かった。やめるわ」
「はい。そうしてください」
「……ねえ、紗花ちゃん。あなた、さっき考えたよね? 考えた上でそれを選んだ」
その質問が何を指しているのか、紗花はすぐに分かった。
「はい。考えました」
紗花の涙は完全に止まっている。
「今朝、佐助が死んだときに誰かのペットが生き返ったのかなって」
それを聞いた女性が小さく笑う。嬉しそうに。
女性は手を伸ばし、紗花の頭を優しく撫でた。
「あなたは優しいわ。そして賢い」
紗花の頭に乗った女性の手の重みが、突然消えた。
慌てて紗花は周囲を見渡す。
川の音。
車の走行音。
真っ赤な夕焼け空。
紗花は一度だけ洟をすすって自宅へ向かった。
――――
あれは、あの出来事はなんだったんだろう。
中学三年生になった今も紗花は分からない。
ただ一つだけ確信していることがある。
あの日、佐助とのお別れを選んだのは間違っていない。
絶対に間違っていない。
そう確信している。
あれが現実だったなら――――。
結局、何故あの女性が浴衣姿だったのかは全く分からないけど。
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