卒業式
「なぁ、ホントに行くのか?」
「だって、元吹奏楽部員っていう立場は誠二くんと一緒でしょ?」
「そうだけどさぁ、なんか卒業式どころじゃなくなる気がするんだよな」
「どういう意味?」
「めぐが突然顔を見せたら騒ぎになるさ」
「だって驚かせたいんだもん」
「まったく……そういうところは子供だよな」
「いいでしょー?あ~、みんなに会うの楽しみだなぁ」
今日は吹奏楽部だけの卒業式だ。
もうそれぞれの場所へ旅立った勇介や他の部員もいるけど、学校にみんなで集まるのは今日が最後になるだろう。
めぐは帰って来た事を誰にも教えてないんだ。
だからさ、騒ぎになって卒業式どころじゃなくなるんじゃないかって心配してる。
紗耶香のやつも怖いぜ。「何で教えなかったの!」って絶対襲いかかって来るに違いない。
めぐが帰って来た日、もうその日のうちにオレは母さんにめぐの家で暮らしたいことを話した。その事については少々渋っていたが、まずはめぐが帰って来た事をすごく喜んでいたんだ。
まぁ、オレが家を出ることに関してはどうでもいいらしいんだが、めぐに迷惑をかけないか、それが懸念材料らしい。
でもね、誠二くんのお母さんに私からもお願いしたんだ。そうしたら快く了解してくれたんだ。「たまには家にも遊びにいらっしゃいね」なんてことも言ってくれた。
その三日後から誠二くんと一緒に暮らすことになったんだ。
大きな荷物はそのままで、服や誠二くんの大好きなゲームを私の家に運んだんだ。
そして、フランスで誠二くんに買ったジャケット。それをプレゼントした。あの時、これは必ず手渡すって決めてたジャケット。小さな願いが叶った時でもあったんだ。
その時の話しを聞いて、オレは胸が熱くなった。
そしてめぐと…。
おっと、これ以上先はご想像にお任せするよ。
ともあれ、それから数日の間、とても幸せな毎日が過ごせていたんだ。
今までの寂しさを埋めるようにいろんな話しをしていた。時間がいくらあっても足りないくらい。そこで卒業式の話しが出て、今に至ってるわけだ。
そういうわけで、今はめぐの家で暮らしてるから朝からバスで学校に向かう。
めぐがフランスに行ってる間は全く来なかった緑ヶ丘町の風景が懐かしい。
バスで学校へ向かっていると、途中で見慣れた人物が乗って来た。
「あら、誠二。何であんたがバスに乗ってるのよ?」
…迂闊だった。紗耶香もこのバスだったのか。
「いや、まぁ、その…」
もう誤魔化し効かないぞ、めぐ。しかし出来れば誤魔化したい。朝から殴られるのは勘弁だ。
「それに……隣の子。誰だか知らないけど、めぐの代わりなんて言ったらぶっとばすわよ?」
……気付いてないのか?それにしても、気付いてないなら初対面の人がいるのにその言葉は…。さすが紗耶香だ。
「……てへへ。紗耶香ちゃん、ただいま…」
おうっ…。
身構える必要がありそうだ。
めぐはこちらの気も知らずに舌を出して笑っていた。
「え?………って、めぐ!?なっ!なんで!?」
「えへへ…髪切ったし色も違うからね、気付かなかったでしょ?」
うーん、さすがにマイペースなめぐだ。
「ホント……見違えたわ……っじゃなくて!何でここにいるの!?」
「帰って来たんだよ。日本の楽団に入ることになってさ」
「えっ?えっ?」
さすがに紗耶香も動揺が隠せない。無理もないよな。
「…いつ帰って来たの?」
「十日くらい前だよ」
「……連絡してくれればよかったのに……」
「今日の卒業式でビックリさせたくて。ゴメンね、紗耶香ちゃん」
大袈裟な程のリアクションをとった紗耶香も少し落ち着きを取り戻したようだ。
今のところ意識はこちらに向いていない。願わくばこのままおとがめなしでスルーしてもらいたいもんなんだが。
「連絡……してくれればよかったのに!」
……切り替えが早いぜ紗耶香。
すでに紗耶香の目は獲物をどう料理しようか。そんな目に変わってオレを睨みつけていた。
誠二くんが危ない!
久しぶりに感じたピーンという危機感に懐かしさを感じた。
「さ、紗耶香ちゃん、私が黙っててってお願いしたんだ」
まぁ、これはホントのこと。しばらくは誠二くんとゆっくり二人の時間を過ごしたいってこともあったし。
「そうだぞ紗耶香。めぐの頼みは断れないからな。いい加減大人になれよ」
その余計なひと言まではカバー出来ないなぁ。
「うるさいわね!ネバーランドにでも連れて行ってあげようかしら!」
「そ、それはどちらのお国で……?」
「さぁ…。行って確かめてくる?」
「ま、まぁまぁ紗耶香ちゃん。今日は卒業式なんだし、穏便に」
「…仕方ないな。今はめぐに免じて許してあげるわ」
ほっ…。
「今は……よ?」
あーあ、後が怖そうだな。
でも、こういうこともよくあったよね。ホント、懐かしい。
紗耶香の攻撃をお助けキャラめぐのおかげで回避したオレは安堵のため息をついた。
その後、めぐの隣の席を紗耶香に無理矢理奪われ、オレは一人寂しく学校へ向かうバスの中を過ごした。
二人は昔話やフランスの話題で盛り上がっていた。めぐはオレだけのものじゃないしな。この場は紗耶香に譲るとしよう。
学校へ着いて三人で部室に向かっていると、まずオレたちの姿を見て駆け寄って来たのは亜美だった。ウェーブのかかった髪をひらつかせて嬉しそうに駆けて来た。
「誠二先輩!遅かったじゃないですかー。亜美、すごく待ってたんですよー?」
そう言うが、オレたちが部室に向かっている時には、まだ亜美とその他数人しか姿は見えなかったんだけどな。お前はどれだけ先に来て待ってたんだ?
「結構早目に来たと思うぞ?」
「そんなことより行きましょうよ!あれ?その人は紗耶香先輩のお連れですか?ま、誰にしろ歓迎しますけどね!さぁっ!」
やっぱりめぐには気がつかず、強引にオレの手を引き部室へ連れて行こうとする亜美だったのだが…。
ガシッ!
めぐがオレの手を引いていた亜美の腕を勢いよく掴んだ。
「痛たっ!なっ、何しやがるです!何ですか!虎ですか!?鷹ですか!?今の手の速さ!」
相当テンパってるな、亜美のやつ。
「歓迎ありがとう、亜美ちゃん。でも残念ながら私は誠二くんの連れだからね」
めぐはそりゃあもう素敵な笑顔だったよ。オレでも一歩引き下がってしまうくらいに怖いスマイルだったさ。
「なっ、何で亜美の名前を!?名を!名を名乗れです!」
「もう忘れちゃったのかなぁ?そうだよねー。亜美ちゃんにとって私は邪魔者だったもんねー」
「なっ、何を言ってやがるです!」
はぁー…。
「亜美…。よーく話している相手の顔を見てみろ」
「顔?顔がどうかしま………」
ふぅっ…これで少しはおとなしくなるだろう。初っ端から一番騒がしいやつに会ったな。
「ひっ…ひえぇぇ!!せっ、誠二先輩!出ました!出ましたよ!めぐ幽霊が出ちゃいましたよー!亜美と誠二先輩を邪魔しに来たんだぁー!!」
おうっ、さらにヒートアップしてしまったようだ。
「ひ、ひどいなぁ亜美ちゃん。人を幽霊だなんて」
めぐっ!笑顔が引きつってるぞ!
「落ち着け亜美!よく見ろ!間違いなくめぐだ!」
紗耶香は紗耶香で止めようともせずに、シラケた顔で事の成り行きを見てるし。
「これが落ち着いていられますか!いないはずのめぐ先輩がいるんですよ!?祟りだー!!」
「ふふ…うふふ……亜美ちゃん……うふふ…」
あ…めぐが…めぐが…。
「勝手に人の恋人を殺すな!めぐはこっちに帰って来たんだ!これからはこっちで暮らすんだ!」
「そんなのダメです!めぐ先輩は死んじゃったんです!亜美の中ではそういう設定なんです!」
………はぁ~。
くだらね。無駄に時間を使ってしまったな。
「めぐ、紗耶香。行こう」
「私は言われっぱなしなんだけど…」
「こいつに絡んでても疲れるだけだって。ほらっ」
オレはめぐの手を引き、ギュッと手を繋いだ。
「も、もう。相変わらず私の使い方わかってるんだから」
そう言いながら照れてるめぐがかわいい。
意味はわからないけど。
「ちょっと二人とも!私を置いて行こうとしない!前にもこういうことあったわよ!」
「紗耶香?悪い、行こう」
「な、何よ、落ち着いちゃって。自分は大人です、みたいな感じでさ」
そんなつもりはなかったが何やら頬を赤らめている紗耶香がいた。
そんなこんなで部屋へとやってきたオレたちはみんなの到着を待っていた。
パーカッションの楽器が置いてある場所で囲んで座って話していた。途中置いてけぼりをくらった亜美がやってきたくらいで、まだめぐと仲が良かった部員は来ていなかった。
「で、何でめぐ先輩がいるんですか?もしかして亜美と誠二先輩のことが心配になってー…ですかぁ?」
「そんなことはこれっっっぽっちも心配してなかったなぁ。はははっ、ごめん、亜美ちゃんの事忘れてたのかもー」
「ぐぬっ……つ、冷たい人間ですねー、めぐ先輩」
「亜美ちゃんこそ私を勝手に亡き者にしてるなんて、人としてどうかと思うけどー?」
子供だな…二人とも。
まぁこんなブラックめぐも亜美が相手じゃないと出てこないからな、これはこれで…。
「誠二……」
二人がやり取りしてる間に紗耶香が小声で話しかけてきた。
「あんた、めぐん家に住んでるってホントなの?」
「え?あ、ああ」
「えーーーーーーー!!!」
うるさっ!!
亜美のやつ、聞こえてたのか?
「なっ…なななっ……ななっ……」
すっごい驚きよう…。
まさに驚愕だな。
「亜美、聞かれる前に言うけどホントだからな。今はめぐと一つ屋根の下だ」
「へっへーん!そういうわけなのだよ、亜美ちゃん。私と誠二くんの間には付け入る隙なし!」
めぐも追い討ちをあっけるように鼻高々と言い放った。
「…………諦めません」
…ダメだ。やっぱりこいつには何を言っても無駄なんだな。もはや尊敬するぞ、亜美。
「例え地球が無くなろうとも亜美の愛は無くなりません!」
「オレは例え地球が無くなろうとめぐと一緒だ」
「ぐぬっ……な、ならいっそ嫌いって言ってもらった方がいいです!」
嫌い…じゃないよな、うん。これがなければ元気でいい子だし。っていうか何でこういうことになってるかな?
「嫌いだ」
これでおとなしくなるなら…。
グサッ!
亜美の心に何かが突き刺さった音がした。
「誠二……あんたって酷いやつね」
「いや、亜美が言えって…」
「誠二くん…そこはウソでも嫌いって言ったらダメだよ」
なぬっ!?めぐまで!?
「え?え!?オレ悪者!?」
な、なんだ!?どうしてだ!?状況がどんどん悪化している!
「な、なかなか効きましたよ、誠二先輩。で、ですが嫌いという言葉には、好きという気持ちの裏返しということがあります…」
……ホントにタフな奴だ。
でもまぁ、私が逆の立場なら…なんて思うと亜美ちゃんには悪いなって思う。
だから亜美ちゃんからどんな嫌味を言われようと、私がそれに返したらダメなんだよね。
「でも誠二先輩。こんな巨乳だけが取取り柄のめぐ先輩といつも一緒に居て楽しいんですか?」
きょっ、巨乳だけ…。
「すごく楽しいぞ」
いや、誠二くん。嬉しいけど巨乳だけってとこ否定しようよ。
「巨乳って案外飽きますよ?」
ま、また巨乳って…。ん、いやいや、いちいち気にするからいけないんだよ。そう、胸だってステータスなんだから。実は羨ましいんだよね、亜美ちゃん。
………。
……口に出してはいないとはいえ私が嫌味を…。いけないいけない…。
「まだ飽きる程触ってないし」
カアァァァァ…!
「せっ、せせっ、誠二くん!な、何を言ってるのかな!?」
「え?あっ!あぁっ!ついっ!」
さ、紗耶香ちゃんも亜美ちゃんも…顔…真っ赤っかっか……かっ………。
「そんなに面と向かって言われると……」
あぅ~…。
「さ、紗耶香ちゃん。気にしない気にしない」
「亜美は一度目撃してますからね……部室で!」
「そんな昔の話しはやめようよ、亜美ちゃん」
「…………」
「…………」
き、気まずいよ。何とかしなきゃ、この空気…。
誠二くん……も無理そうだな。目を泳がせて…。
「みんな、おはよう」
!!!
誰!?
ううんっ、どこのどなたかわかりませんが、この場に現れてくれたことに感謝します!
私も含めて、その場に居た全員が勢い良く振り向いた先に立っていたのは…。
「な、何?どうしたの?みんな怖いよ?」
「よ、よう。美香、おはよ」
美香ちゃんだった。みんながあまりに勢い良く見たものだから少し驚いていた。
「おはよう。美香ちゃん」
「おはようございます」
…どうしよう。私も二人に便乗して挨拶を…?でも、びっくりさせたいし。
うーん……モジモジ……。
「めぐ……おかえりなさい」
「へっ?あっ…たっ、ただいま!美香ちゃん」
私が逆に驚いた。まさか美香ちゃんの方から話しかけてくるなんて思ってなかったから。
「なんか普通だな、美香」
誠二くんの言う通り。あまりに普通の反応で拍子抜けした。
「帰って来てたことは知ってたよ。誠二のおばさんに聞いてね。その時には驚いたけど。今日もしかしたら来るかなって。で、見慣れない子がいるなって思ってさ」
「てへへ…せっかく驚かせようと思ってたのにな」
「……よかった。帰って来てくれて」
そう言った美香ちゃんの表情は優しくて、でも複雑そうな表情だったんだ。
「ちょっと二人だけで話したいんだけど、いい?」
「え?う、うん」
何だろう。改まって。
「お、おい。美香、何――」
「誠二!」
誠二くんが何事かと美香ちゃんに聞こうとすると、紗耶香ちゃんが止めた。紗耶香ちゃんは何の話かわかってるのかな…。
美香は来るなりめぐを連れて行ってしまった。それよりも紗耶香に止められるとは…。
「紗耶香、どういうことだよ?」
「美香ちゃんは、きっとめぐに謝るんだと思う」
「は?何を?今久しぶりに会ったばっかだろ?」
「………ハァー…あんたって、言葉通りの罪な男よね」
オレは何のことかわからなかった。
「私より、あんたの方がわかるんじゃない?」
「な、なんだよ…」
まさかキスしたことか?た、確かにあれは美香の方からいきなりだったからな。
「美香ちゃんは言ってたわ。めぐがフランスに行っちゃって、チャンスって思ってしまったって。あんたのことをね。大事な友達なのに…。多分、それを謝りに行ったんだと思う」
「……そんなの、黙ってればいいじゃないか」
「そうかもね。でも美香ちゃんのことは私よりあんたの方がわかるでしょ?」
「そ、そりゃあ…まぁ……な」
確かに、美香はそんな奴だったかな。しっかり者で、人に気ばかり使って…。弱みは見せないで…。らしいっちゃたしい、かな。
「バカ正直だなぁ……」
「ホント、めぐも美香ちゃんもあんたにはもったいないわ」
「……言うな…」
そんなことはわかってる。マジでこれから頑張らないとな。
「亜美は蚊帳の外ですかぁ?」
「お前はもとより相手にしちゃおらん」
「ムキャキャキャキャーー!!」
私は美香ちゃんに連れられて外に出た。そして、普段は人がいない部室の裏に。
「っと、美香ちゃん、どうしたの?」
「あのね……その……フ、フランスはどうだった?」
なんとも話しにくそうに美香ちゃんは重い口を開いた。
「え?あー…うん、楽しかったし、少しだけれど、成長出来たかなって思う。でも、やっぱりこっちがいいあ。誠二くんいるし、みんなもいるから!」
「あっ…うん、そ、そうだよね」
「……それで?そんなことじゃ、ないんだよね?」
私もそんなにバカじゃなしね。空気くらいは読めるもん。
「………うん。あの……ね………」
「…いいよ、遠慮しなくても」
「遠慮じゃ、ないんだけど……その………ごめんなさいっっ!」
「………っ!」
いきなりだった。美香ちゃんはチャームポイントのヘアピンが落ちてしまいそうなほど、勢いよく頭を下げた。
「み、美香ちゃん?」
謝られるようなことは覚えがなかった。当然だけど。帰って来て今日初めて会ったんだ。もし、あるとするなら誠二くん絡みのことなんだろうか。
「私……私ね、ずっと、また会えたら謝らなきゃって思ってた」
「……どうして?」
少しだけ怖かった。誠二くんと何かあったんじゃないかって……。
「ただの自己満足…だと思う。黙ってればいいのに。だけど、聞いてくれる?」
「……うん、聞くよ」
私は美香ちゃんが話すことに身構えた。
「今は……めぐが帰って来て本当によかったって思ってる。ウソじゃないよ?だけどね……一年前の私は違ったんだ」
それだけでも、美香ちゃんが何を話そうとしているのかわかる気がした。
「チャンス……って思ってしまったんだ」
「それは…前にも話したよ?」
「そう…話してスッキリしたつもりだったんだけど、自分を抑えられなかった。めぐが行っちゃった後でも…そう思ってしまったんだ。…だ……だから……グスン…」
だから、ごめんなさい…か。
やっぱり美香ちゃんは優しい子なんだ。だから、そう思ってた自分が許せなかったんだろうな。
確かに自己満足かもしれない。謝って、スッキリして。だけど、大切な友達だから。
「泣かないで?美香ちゃん。もういいから」
「だ…だから、誠二にキスしちゃったの」
ドクンッ…!
「……えっ?」
私は心臓が跳ね上がった。
思わぬ言葉が美香ちゃんの口から放たれたから。
「……ごめんなさい」
「へっ、へえぇぇぇっ。そっ、そうなんだ」
ちょ、ちょっと待って。落ち着いて……おち…落ち着いて、私!
まず整理!
美香ちゃんは私がいなくなってチャンスと思いました、はい。
それで我慢出来ずに誠二くんとキスしちゃいました。終了。
これだけだ……うん、たったこれだけ…。
「本当にごめん…。私から一方的だったから…誠二は悪くないから」
「…………」
でも…事実なんだ…。
私は今どんな顔をしてるんだろう。わからないよ。
「そのあと、きっぱりと言われたよ。めぐが好きだから…って、ちゃんと。だから、恨むなら私だけを恨んで?許してもらおうとか…思ってないから……」
そんな事言われて……恨めるわけないよ。
イヤだけど……聞きたくなかったけど……。
「ゆ、許す」
「……めぐ…」
責めるのは簡単だ。だけど話してくれたということは、きっと、友達でいたいから…だと思う。わだかまりを残さずに本当の友達で。
たった一度の裏切り。
それを許す術を幸いにも私は持ち合わせていた。
「美香ちゃん、戻ろう!みんな心配するよ」
「また、私に笑いかけてくれるの?」
「当ったり前だよー!友達だから!」
笑顔だ。
昔、誠二くんを競い合った。
私と美香ちゃんはお互いにお互いの気持ちを知って競い合った。美香ちゃんがどれほど誠二くんを好きでいたかなんてわからないけれど、本気だったんだ。
私も本気で好きだった。今はもっと。
だからわかる。美香ちゃんがしてしまったこと。抑えられなかった気持ち。痛いくらい。
だから許す。
それが少しだけでも、私の”罪償い”。
「おあいこ……にはならないだろうけど」
「え?」
「ううん、何でもない!さ、戻ろう?」
思えば私も、美香ちゃん以上に罪の意識があったのかもしれない。誠二くんと一緒に居るのを見られると、少し胸が痛んでいたのを覚えてる。
私が美香ちゃんにつけた心の痛みはこんなものじゃなかったはずだから。
だから、私たちは今日、本当の意味で友達になったのかもしれない。
そう時間も経たずにめぐと美香は戻ってきた。
オレの見間違いじゃなければ美香の目元には泣いた跡があった。
何を話したのか気になるところではあるが、せっかくの卒業式だ。今は触れないでおこうと思う。ともあれ、二人とも妙に仲が良くなっているのは気のせいだろうか。
そんなことを考えながらまた話していると、奈美先生が入ってきた。
普段はカジュアルな格好なんだが、今日はビシッとスーツを着込んで来ていた。
「みんなー!おっはよーう!」
…まぁ、テンションだけはいつも通りだ。
それから奈美先生は何かに気がついたようにこちらに向かってきた。
「あれあれ~?卒業生諸君。いくらキミたちの卒業式だからって部外者は困るんだけどなー」
そう言いながらも、別にかまわないっぽい感じだったけどな。
そこでめぐは、スッ…と立ち上がり、奈美先生に向かい一礼して言った。
「先生、お久しぶりです。昨年は大変ご迷惑をおかけしました」
「え?…………あ………あ………」
奈美先生もまるで幽霊でも見たかのようなリアクションだ。亜美とは正反対だけどな。指を差してわなわな震えている。
「相田さん!?」
めぐはニコッと笑顔で返し、また頭を下げた。
「どうして…?」
「いろいろあって、また日本で暮らすことになりました。お願いがあるんですけど、私も今日の卒業式に参加させてもらってもいいですか?」
「え………えぇ!もちろんよ!それならっ……」
っと、奈美先生は何かを閃いたように急いで部室を出て行った。
「相変わらずだね、先生も」
「ああ、ずっとあの先生で楽しかったよ」
ガタンッ!
そんなことを話していると部室の入り口の方から物音がして振り向いた。
「めっ……めっ………めっ…」
「な、何?ど、どうしたの?梓ちゃん」
めぐの後輩のフルート二人組だった。
「ね、ねぇ舞。あそこにいるの……」
「え?あ、梓ちゃん、だ、誰?」
「ほら、よく見てよ、あの胸」
「む、胸?………あっ……」
「って二人とも気付くのそこ!?」
めぐのツッコミが部室に響き渡った。
確かにそんなんでわかるんならオレより……おっと失言だな。
「みなさん、おはようございます」
「お、おはようございます」
ツッコミもスルーか…。二人ともなかなかやるな。
ホントにこの子たちは…。
「もっとこうさぁ、会いたかったです!とか、めぐせんぱ~い!とかないの!?」
「だって、そんなのベタじゃないですか」
「ベ、ベタですよ」
「ベタでも何でも感動の再会シーンでしょ!」
「めぐ先輩ドラマの見すぎー」
「見てない!」
「お、おもしろくないです」
「おもしろくなくていい!……はぁ……」
フフッ、やっぱり変わらないな、二人とも。
「めぐ先輩、あとでまた少しフルート教えてくださいよ」
「梓ちゃん……」
「わ、私も」
「舞ちゃん…。よーし!二人とも覚悟してね!」
これこれ!懐かしい。あの頃に戻ったみたいに。
「覚悟って言ってもめぐ先輩甘いしね」
「そ、そうそう」
「……やっぱりあなたたちは……」
それからさらに亜美ちゃんや梓ちゃん、舞ちゃんの後輩の子たちが来たけれど、もちろん「誰?」みたいな顔で見られてた。
その子たちに私のことを紹介するとわらわらとみんな寄ってきて「噂のめぐ先輩だ!」なんて。
どんな噂が流れていたのかは後で誠二くんに追求することにしよう。
だとしても。
「ちょっ、ちょっと待ってみんな!」
「ははっ、やっぱりめぐは人気者だな」
「誠二くん!呑気なこと言ってないでどうにかしてよ!」
後輩の子たちが…。
「先輩!椿先輩をフランスに連れて行こうとして失敗したってホントですか!?」
「ちょっ、なにそれ!?」
「人身売買のマフィアが絡んでたって聞きました!」
「全くなしっ!」
全然知らない後輩の子たちからあることないこと噂されてたみたいで、どんどんわけわからないことを言われていった。
「ほら、騒ぎになった」
「えっ!?こういうこと?」
そんなぁ。みんな感動の再会の騒ぎじゃないの?
「ほらほら、めぐが困ってるだろ?みんなそろそろいいんじゃないか?」
し~ん…。
誠二くんの一言で静まりかえる。どうして?
「おっ、みんな良い子だなー」
「椿先輩!めぐ先輩のどこに惹かれたんですか!?」
「フランスですか!?愛の逃避行ですか!?」
「これから駆け落ちですか!?」
…あれ?
「お、おいおい、待てよ」
「どうなるんですか!?これから二人はどうなるんですか!?」
その質問に周りのみんなはピタッと止まった。
し~ん…。
「どうなるってそりゃ……うん、まぁ…な、めぐ」
……逃げた。
「こ、今後は二人で相談してー……」
「け、結婚!?」
し~ん…。
「出来たら……いいな……って……」
…………。
「「「きゃーーーーーーー!!!」」」
あうっ!
「すごいねっ!結婚だって!」
「うんうん!憧れるぅ!」
「いやーん!羨ましいー!」
「けっ!ですっ!」
何か最後に亜美ちゃんらしい舌打ちあったけど…。
「ねっ!もうそろそろいいんじゃないかな?」
「そうよー。先生だってもう来てるのにー。みんなー、私のことなんて眼中に入ってないみていねー」
あれ?
いつの間にか奈美先生が指揮台に座ってた。嫌味そうにみんなに言う。
「あっ……あははは……」
みんなはそそくさと自分の席に戻って行った。
いよいよ始まるんだな、卒業式。
「確かにね、私も驚いたわ。まさかまた相田さんに会えるとは思ってなかったからね。しかもこの部室で」
その言葉に今日久しぶりに会ったみんなは揃って頷いていた。
「一年生のみんなは初めてでしょうけど、よかったわね、噂の相田さんに会えて」
その言葉に今度は一年生のみんながそろって頷いていた。
「そ、そんな、私はそんな大それた人間じゃ……」
「そして椿くん。本当によかったわね」
その言葉に誠二くんは恥ずかしそうに頬をかいていた。
「でも、今日という日に来てくれてよかったわ。相田さん、あなたにとって今日が吹奏楽部の卒業式であり、そして柳ヶ浦高校の卒業式よ」
「……はい!」
私の卒業式…。みんなから少し遅れたけれど、卒業…なんだ。
嬉しい……。
その奈美先生の言葉を、めぐは嬉しそうに噛み締めているように見えた。目を細くして優しそうに笑っていたんだ。
一緒に卒業したかった。
卒業を迎える時にそう思っていたオレは、この時のめぐの表情を見て、一瞬涙が溢れそうになってしまった。
本当に帰って来てくれてよかった。何度もそう思ったけど、この時ほどそう思ったことはなかったかもしれない。
「それでは、ただ今より柳ヶ浦高校、吹奏楽部の卒業式を始めます。卒業テープ、授与」
今まで三年間、オレたちが演奏してきた曲を録音したMDが一人一人に渡される。
後でめぐと一緒に聞きながら思い出を語ろう、そう思った。
そして卒業生全員にMDが渡された。もちろんめぐにも。
そして…。
「卒業証書、授与」
その言葉にオレとめぐを含めた全員が目を丸くして奈美先生を見ていた。
「相田恵」
「えっ?あっ…あの…」
突然のことにめぐは驚いてキョロキョロしていた。
「めぐ、ほら行けよ」
「う、うん」
「相田恵」
「は、はい!」
めぐは返事をして照れくさそうに奈美先生の前に立つ。
「相田さん」
「は、はい」
「本当は、この卒業証書はフランスに送る予定だったの。でも何かと忙しくてね、送れないままだったんだけれど…。この手で直接あなたに渡せてよかった。あなたは間違いなく柳ヶ浦高校の卒業生であり、私の生徒でした。卒業、おめでとう」
「せ、先生……。あ、ありがとうございます!」
めぐは両手でしっかりと卒業証書を受け取り、深く頭を下げた。涙を流して喜んでいた。
みんなからは拍手が贈られ、紗耶香も涙ながらに喜んでいた。
オレだけじゃないんだ、めぐと卒業したかったのは。紗耶香ももちろん、他のみんなだって。大切な友達だから。
めぐが戻ってきてオレの隣に座った。
「誠二くん…私…」
「一緒に、卒業出来たな」
「……うん!」
まだ幼さの残る幸せを絵に描いたような笑顔は、オレが守っていく、そう改めて誓わざるをえない笑顔だった。
「どうしたの?」
めぐが不思議そうにオレの顔を覗き込んでくる。
「な、何でもないよ」
今さらながらめぐの笑顔に見とれていたなんて、気恥ずかしくて言えなかった。
それから現部長から祝辞があり、元部長の美香からの答辞があった。
そして卒業生一人一人が話していく。
美香は部長としてやって来たこと、紗耶香はコンクールへの思いを込めて。オレはこの部で吹奏楽デビューして今までやってきたこと。
めぐは…中学の時にいじめられていて、ここで自分を取り戻せたこと。正直に話していた。それを紗耶香が暖かい笑顔で見守っていた。
それぞれが思い思いのことを話した。
「卒業生のみんな、何度も言うけれど、卒業おめでとう。この部が楽しかったかなんて聞かないわ。ここに居ることが答えでしょうから」
そうだな。奈美先生の言う通り、今日卒業式に来ているのは、旅立ってしまったやつを除けば全員ここにいる。
最後かもしれない別れを惜しんで来ているんだ。
「あなたたちは私の誇りです。今から歩んで行くそれぞれの人生に幸あることを心から願っています」
美香と紗耶香は進学。勇介はすでに仕事をしている。オレも就職だ。めぐも就職?かな。
みんな違う人生だ。同じ学校から旅立ち、違う道へ。
これからまた新しい出会いがあって、別れがあって、恋をして、結婚して、子供が産まれて…。そんな当たり前の人生を当たり前に過ごして行く。簡単なようで難しいことなのかもしれない。
オレたちはまた、大人への階段を一歩踏み出した。
「この吹奏楽部で過ごしてきた日々は、きっとあなたたちの糧となっています。みんなで協力して一つのものを作り上げる。そんな難しいことをずっとやってきたんだもの。これからも仲間を、友を大事に頑張ってください。本当に卒業、おめでとう」
その奈美先生の言葉が最後となって、吹奏楽部の卒業式は幕を閉じた。
「めぐ先輩!」
卒業式が終わった後でもめぐへの質問責めは続いていた。
こりゃしばらく帰れそうにないな。
「椿くん」
「あっ、奈美先生、今までお世話になりました」
全て終えてリラックスした感じで話しかけてきた。
「フフッ、どういたしまして。よかったわね、相田さん」
「はい、本当に」
「クスッ…。やっぱり好きな人が近くにいると違うみたいね。一時期は見てられないくらいだったのに」
「やっぱいいですよ。隣を並んで歩くのって」
「なぁに?独身女性の前でノロケ?あーあ、二人に先を越されちゃいそうね」
「そんな、まだまだですよ。めぐに追いつかないと」
めぐみたいに立派になって…。
「そんなに気負いすることないと思うわよ?女って好きな人のそばに居れるだけで幸せなんだから」
「そんなもんすかね?」
「そんなもんよ。それはそうと……椿くんの就職先、いい人が居たら紹介して」
「ははっ、なら職場に遊びに来て下さいよ」
「うん、絶対行くから」
マ、マジだこの人。すっごい真剣。これが目的だったか。
「い、いい人が居たらですね」
「私ももう三十だもの。贅沢は言わないわ。ちょっとかっこよくて、ちょっとお金持ちで浮気しない人。最後のが一番大事だから。それとね……」
…いつも浮気が原因で別れてたのか。
奈美先生は長々と彼氏の条件を話していく。
「―――な感じの人」
「最初に言ったの以外わかりませんよ」
「とにかく!……私も焦ってるのよ…うちの男性教師なんかハゲばっかだし」
うわぁ…。オレにそんなこと言ってどうすんだよ。
「き、期待しないで下さいね」
「いいのよ、候補はたくさんいるから。…あっ!ねぇねぇ!」
奈美先生は次のターゲットを見つけたようだ。職場が地元の卒業生を捕まえていた。
「ふぅっ…」
先生もオレみたいな恋愛をしてきたのかな。オレはめぐと別れるなんて考えられないけどな。浮気か……。いやいや!いらん事を考えるのはよそう。一緒に住んでるんだし。
「誠二!」
「おぅ、美香」
美香には幸せになって欲しいんだよな。大学でいい人を見つけて欲しい。
「ホントに終わっちゃったね」
「そうだな。長いようで短い三年間だったな。よく聞くセリフか」
「でもホントにそうだよ。……高校までずっと一緒だったけど、ついに離れちゃうね」
「近くの大学だろ?家から通うのか?」
「しばらくはね。そのうち車の免許取るか、大学の近くに引っ越そうかなって思ってる」
「そっか…」
もし、めぐと出会ってなかったらオレは美香と付き合ってたのかな…。
「なぁ…」
「ん?」
「いい人、見つけろよ」
「……うん」
寂しそうな笑顔だった。
「……やっぱり私、大学の近くに引っ越すよ」
「……あぁ」
美香の言いたいことは何となくわかった。オレから離れるってことなんだろうな。
「悪かっ………いや…」
ここで謝ったってどうにもならないだろ。美香が救われるわけでもないんだ。
「クスッ。大人になったね、誠二。私は大丈夫」
「お互いまだまだ子供だろ」
「ううん、誠二は変わった。変わらないのは私だけ。……じゃあね!後輩にも挨拶しなきゃ!」
「…おぅ!」
そうして美香は行ってしまった。
オレは変わったのかな。昔から一緒に居た美香が言うんだから、きっとそうなんだろうな。
「幼馴染に未練ありって感じ?」
「……そんな顔してたか?」
「あーもう!辛気臭いわね!」
今話しかけてきた紗耶香と会う事はこれからないかもしれない。遠くの大学に行くみたいだから。
「お前にも世話になったな」
「そうね。犬としてお世話をしてあげた飼い主に一生感謝しなさい」
「犬は飼い主に似るって言うけど、あれって嘘だったんだな」
「…どういう意味かしら?」
サッっとオレは身構える。
「……ふんっ!あんた、めぐを頼んだわよ」
「お……?まだそれを言うか」
「めぐは日本の楽団に入るようになったからって言ってたけど、本当はあんたのそばに居たいから帰って来たんでしょ?」
「ま、まぁ…そうだな」
「あんた、プレッシャーとかないの?そこまで想われて」
「あるさ。しっかりしないとって思うよ。オレが幸せにしてやるって」
「だからまだ言うのよ。その余計な考えを捨てなさい」
「はぁ?」
「普通よ」
「普通?」
「めぐは普通を求めてるの。ただの日常。ただ、めぐと笑って話せばいいのよ」
「そんなの当たり前だろ?」
「当たり前に出来る?正直めぐはスゴイわよね?あれだけの才能を持ってる。きっとこれからも活躍するわ」
「いいことじゃん」
「だからよ。あんたはそれに足並み合わせようとしてるでしょ?そんなの出来るわけないじゃない」
「そ、それは……」
だからこそ、頑張ろうって思ってるんじゃないか。
「私はあんたがそのプレッシャーに負けないか心配してんのよ」
「だから…か」
「そうよ。これから社会に出て、変わるなって言う方が無理な話し。でも、変わったらダメなのよ」
「……わからねぇ」
「そのうち身に染みて感じるわよ、多分ね。そうならないように精々”普通”でいることね」
「”普通”ね。よくわかんねぇけど、うまくやっていくよ。紗耶香も元気でな」
「私のことなんて心配ないわよ。今度また会う時にもめぐと一緒にね」
「ああ」
今度っていつなんだろうな。遠くならそう何度も帰って来れないだろうし。
「寂しくなるな」
「じゃあ今のうちにいっぱい体に染み込ませてあげようかしら?」
「それは勘弁な」
こんな紗耶香でもやっぱり変わるんだろうか。いや、変わるよな。
みんな確実に大人になっていくんだ。
「なぁにしんみりしちゃってるんですかぁ?亜美なら誠二先輩の職場に遊びに行くから心配しないで下さいね!」
「……いいよな、お前は」
「なっ、なんですか!その小バカにしたような言い方!」
「亜美ちゃん、いろいろあったけど楽しかったわよ」
「紗耶香先輩。紗耶香先輩の指導は一生忘れません。わ、忘れられるわけありません」
紗耶香は……厳しかったんだ。もちろんオレに対しても。
「ふふふ…コンクールはなるべく見に来るからね」
「は、はい!」
おーおー、紗耶香の前だと亜美も素直だなー。
「これからのパーカッションをお願いね」
「うっ……」
亜美は顔をしかめていた。
「自信持ちなさい。そしたら誠二も見直すかもね」
また余計なことを…。結局はオレに押し付けか。
「そんな目で見るな」
亜美は文字通り目を輝かせてオレを見つめていた。なんか…頭を撫でたくなるような…。
なでなで…。
「きゃう~ん…」
うむ、かわいいじゃないか。
「誠二くんっ!」
「め、めぐ!」
「なーにやってるのかなー?」
「い、いや、つい…」
「ついー?私以外をそんな顔にさせちゃダメだよ!」
「わ、悪い!悪かったよ!」
「誠二先輩…。ごろにゃ~ん」
亜美は顔をスリスリしている。
「ぐっ……くく……」
「お、おい、めぐ?落ち着いて…な?」
「今日のご飯、誠二くんの嫌いな物ばっかりで作るよ?」
そ、それは…オレにとってはまさに生き地獄。
「亜美離れろ!頼む!」
「……聞き捨てなりませんね。さっきの言葉」
ん?
「何のことだ?」
「まさに一緒に暮してます的な発言…」
めぐのご飯のことか?
「こうしてやります!」
亜美は思いっきり抱きついてきて、ほっぺにチュウまでやりやがった。
……悪くはない。
「こらーっ!誠二くんもなすがままじゃない!」
「ま、待って…」
「お仕置きだよ!今日は生野菜のサラダ!」
「ぐはぁっ!」
ナマモノはダメだ!勘弁!
「お刺身!」
「ぐはぁっ!」
あの冷たい魚の感触は…。
「魚介類たっぷりのパエリア!」
「ぐはぁっ!」
もう…匂いだけで……げふぅ。
「め、めぐ……」
「なに?」
「せめて…サラダじゃなく野菜炒めにぃ」
「青汁、追加ーーー!」
「ぐっはぁ!」
ダメだ…終わった…。オレの運命は餓死なのか…。
「誠二先輩!誠二先輩!ちょっ、めぐ先輩!真っ白になってるじゃないですか!」
「亜美ちゃんが誠二くんをそこまで追い込んだんだよ」
「えっ……。あ、亜美のせいで…」
「そうだよ。介護が必要みたいだから連れて帰るからね」
「はい…」
イヤだ…。帰ったらナマモノ地獄が…。
「誠二くん、帰るよ!」
「は、はい!」
「なら私も帰ろ。めぐ、一緒に帰ろうね」
「うん!」
うおぉ…。ブラックめぐと紗耶香に挟まれるのか…。
「じ、じゃあな、亜美。そういうことだから」
「はい…。あ、あの、すみませんでした。亜美のこと、嫌いにならないで下さいね」
「はは…」
今日嫌いって言ったことはすでに頭にないようだな。亜美らしい。
「大丈夫だ、大丈夫。オレの晩飯を心配してくれ」
それからみんなに挨拶をして部室を出た。
紗耶香の人望は思ったより厚く、別れを惜しむ部員が多かった。姉さん肌だったからな、紗耶香は。
美香はめぐに連れられるオレを笑って見送っていた。その時ばかりはオレも今日の晩飯の恐怖は忘れていたな。やっぱり美香との別れは寂しく思う。一人で暮らすと言った美香が遠くに行ったような気がした。
三人で奈美先生にお礼を言った。
涙目だったオレに「私も椿くんがいなくなるのは寂しいわ」と言っていた。これは恐怖からきている涙だというのは一生の秘密だ。
帰りのバスの中、誠二くんはう~う~唸っていた。私が本当に誠二くんの嫌いなものオンパレード料理を作ると思ってるんだろうか。でも、たまにはこういうのもいいかなと思う少し意地悪な私がいた。
「めぐ、よかったね。卒業式」
「うん。みんなにも会えたし、何よりもこの卒業証書。みんなと卒業した、そんな気になるな」
「何言ってるの。一緒に卒業したんだよ」
「……うん」
紗耶香ちゃんはもう明日には出発するみたいなんだ。私は連絡しなかったことを後悔してた。
「あ、あの、紗耶香ちゃん」
「なーに?」
「今度はいつ、会える?」
「……わかんないな。向こうでの生活が忙しくなるならなかなか帰って来られないだろうし…」
「そっか…。そうだよね…」
「でも…大丈夫だよ」
「え…?」
「一年ぶりにめぐとこうして会ったって、何も変わらない友達だったもん。どんなに離れたって…。それに私、国内だし!」
「も、もう。紗耶香ちゃんってば、意地悪」
「あははっ!でも、時間があればなるべく帰るからさ、その時は遊ぼうね」
「うん!」
私は卒業証書を握り締めつつも、卒業した喜びと紗耶香ちゃんとの別れの寂しさで複雑な思いだった。
「それにほら、誠二がいるから大丈夫でしょ?」
「……うん」
二人で誠二くんを横目に話していた。
「明日、何時?見送りに…」
「ん……。朝早いからいいよ。駅まで車だしさ」
「……でも…!」
「いいっていいって~。親の前で泣いちゃうのも恥ずかしいし」
紗耶香ちゃんは少し困ったような笑顔だったんだ。
『次は~…』
あっ…。紗耶香ちゃんが降りるとこ。
「じゃあね、めぐ。メールするから」
「あっ、うん。ほら、誠二くん!紗耶香ちゃん行っちゃうよ!」
横でいじけていた誠二くんを振り向かせる。
「あ、あぁ。紗耶香、達者でな」
「私が言ったこと、忘れないようにね」
「んぁ?お、おぅ」
「二人とも、何の事?」
「めぐを大事にしなさいってことだよ。……それじゃ…ね」
紗耶香ちゃんは軽く手を振ってバスを降りて行った。私は見えなくなるまで手を振っていた。
「紗耶香ちゃん…」
寂しい…。辛いな、この気持ち。
そうだ、私がフランスに行った時にも、誠二くんや紗耶香ちゃんはこんな気持ちだったんだな。
「めぐ、泣いたっていいんだぞ?」
「誠二くん…。ううん、またすぐに会えるから。きっと…」
「…そうだな」
だから泣かない。涙は会えた時の嬉し泣きにとっておくんだ。
「誠二くん。今日のご飯、何がいい?」
「えっ…。め、めぐーーー!」
「あはっ!」
誠二くんが嬉しそうに抱きついてきた。
やっぱりめぐはオレの女神様だ!
地獄から救い出してくれる!
「だけどさ」
「うん?」
「美香ちゃんとキスしたって……」
……美香、ちゃんと置き土産はしてるんだな。
「そ、それは…」
「どうなのかな?誠二くん?」
め、女神様と閻魔様を使い分けるなんて、成長したじゃないか、めぐ。
「お、お怒りですか?」
「美香ちゃんから話しは聞いたからね、誠二くんは悪くないって。ぜんっっっぜん怒ってないよ。ただ、どうしてそんなことになっちゃったのかなぁって」
怒ってらっしゃる怒ってらっしゃる怒ってらっしゃる。
「めぐが行ってしまった後、み、美香が何かと気にかけてくれてさ。その……余計なこと聞いたのはオレだけど…。ふ、不意打ちだったんだ!」
「ふぅ~ん。ま、美香ちゃんだからまだ許せるけど、それが亜美ちゃんとなら……あーー!想像しただけでも悔しい!」
「し、しっかりとライバル視してるんだな」
「誠二くん!!」
「は、はい!ごめん!」
く、口は災いの元だよ、みんな。
「……ふぅ…。逆の立場ならイヤでしょ?」
「……イヤだ!」
…一瞬、他の男とめぐがキスしているシーンを想像してしまった。オレなら耐えられるだろうか?
「めぐ…ごめんな」
「わかればよろしい。さ、もう着くよ。お買い物して帰ろう」
「おう。……今日は料理手伝ってみようかな」
「えーっ…。余計手間がかかりそう…」
「な、なんだよ!やれば出来るんだぞ!」
「じゃあ、ジャガイモの芽でも取ってもらおうかな」
「目?ジャガイモって生き物なの?」
「………やっぱいいや」
「え?」
「誠二くんのおバカ」
「なにを!よーし!今日は誠二特製料理を作ってやる!」
「…遠慮しとく。明日を無事に迎えたいし」
「なっ…!ひ、ひどいぞめぐ!」
「クスッ、冗談だよ。一から教えてあげるね」
「お、おぅ…!」
その後はひどい有様だった。オレは料理の大変さを何一つわかっちゃいなかったんだ。
めぐの手際の良さには尊敬しっぱなしだった。
結局オレは配膳係と片付け係だった。
なんとも情けない。
「り、料理は私の得意分野だからさ。誠二くんが出来なくてもいいんだよ」
なんてことを言われるが、何かしてあげたい、そう思うから。
「誠二くんとこうして暮らしてるだけで幸せなんだから」
そこで紗耶香の言葉が頭の中をよぎった。
暮らしてるだけで…か。特別なことなんていらないんだな。紗耶香の言った通りに。
頑張らなくていい、なんてことは思わないけど、こんな生活がずっと続いていけばいいなって思っていた。
お互いに仕事が始まってどう変化していくんだろう。この時にはオレはまだ何もわかっちゃいなかったんだ。
「お風呂、い、一緒に入る?」
「もちろんだ!めぐ!」
ただ、楽しかった。幸せだった。
まるで世界中の幸せを一人占めしているかのようだったんだ。