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ガンコ  作者: 夢見歩人


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17/17

No.17「二人で」



 今日はいつにも増して店は賑わっていた。カウンター席は埋まり、ショーケースの前には四人のお客さんが所せましと密集している。

 ガンコと海を見に行ってから、十日が過ぎた。彼女との交際が始まったのはいいものの、忙しさのせいでデートには行けていない。

 コピ・ルアクというコーヒー豆を数量限定で販売したのが原因だろう。ジャトウネコという動物の排泄物から採れる豆だが高級品で、百グラムだけでも七千円前後はする。

排泄物と聞くと、汚いと思う人も多いだろう。しかしジャトウネコの体内で消化されるのはコーヒー豆を覆う果実のみで、豆自体は丈夫なパーチメントで守られたまま外に出てくる。だから一応汚れてはいないし、仮に菌がいたとしても焙煎すれば殺菌できる。

ただ、コピ・ルアクは非常に珍しいコーヒー豆と言われており、僕も名前を聞いたことはあったが、実物を見るのは初めてだった。それがこの近場にいる、コーヒー好きを引き寄せてしまったらしい。ガンコはこのキャンペーンを一週間ぐらい続ける予定だったみたいだが、この調子では今日の内になくなってしまうかもしれない。

「あれ? そう言えばガンコは?」

 コピ・ルアクの会計を一つ済ませたところで、僕はいつの間にかガンコの姿が店内から消えていることに気付く。先ほどまでキッチンにいたはずだが、今はリオンさんしか立っていない。

「あぁ、さっき店の外に出て行ったよ。少しだけ休ませてって」

 カウンター席にコーヒーを持って行っていた千尋さんがそう言った。僕はちょっとだけ情けなく思う。

 忙しないとはいえ、恋人の存在に気付くのが遅れてしまうなんて。

「達希。頑奈の様子を見に行ってやってくれ」

 リオンさんがコーヒー豆を挽きながら指示を出してきた。しかし店が慌ただしい状況ではその言葉に甘えるわけにもいかない。

「いや、でも――」

「大丈夫だって。さっきと比べると少しは落ち着いたし。それに私たちの店長がもし急な体調不良に襲われて道端で倒れていたら、それこそ大問題じゃない」

 そう言って千尋さんは僕の肩を軽く叩いた。

 言っていることはわかるし、もしもそんな事態になったら、僕は冷静ではいられない。でも、やっぱり店を後にすることには気が引けた。

 千尋さんは状況が落ち着いたと言ったが、僕からすれば先ほども今も大して変わっていないように思える。だが、ここで渋るのも逆に二人には申し訳ないように思えた。

「わかりました。なるべく早く戻ってくるようにするんで」

 そう言って僕はエプロンを脱いで片手にかけると、店を出た。裏へと続く狭い道を通ると、すぐにガンコを見つけた。

 店の裏は他の建物も密集していることもあって薄暗い。その上、今日は空が曇っているので、なお陰鬱だ

 そんなどんよりとした空気の中で、ガンコはうずくまっていた。まるで泣いている子供のようで、慌てて僕は彼女に近づく。

「ガンコ!」

 僕が叫ぶや否や、ガンコは顔を上げた。眠そうに薄められた目の下には隈が浮かんでいる。それに気付いた瞬間、僕の中で嫌な予感が浮かんだ。

「あっ、達希くん」

「まさか、眠れていないのか?」

 僕の言葉に、ガンコは視線を逸らした。それだけで図星だということがわかる。

 僕自身、うつ病になったことがあるからわかる。様々な不安が襲い掛かり、眠れなくなることがあるのだ。昨晩のガンコも、それと同じ状態だったのだろう。

「一体、何に悩んでいるの?」

 こういう時は、下手に取り乱してはいけない。僕は自分にそう言い聞かせ、一度深呼吸をすると、ガンコの隣にしゃがんだ。

「悩んでいるって言うか、ちょっと不安があるって言うか――」

「不安って? お店のこととか?」

 僕が訊ねると、ガンコがこちらを向いた。そして両手を大きく広げる。

 予想外な行動に、僕は「え?」と間の抜けた声を上げるしかなかった。

「えっと、ガンコ――」

「ハグ」

「はい?」

「ハグしてくれたら、答えることができるかも」

 僕はポカンと口を半開きにした。だが、同時に嬉しくも思う。

 こんなふうに甘えてくれるガンコが、本当に可愛らしい。

 僕はふっと笑みをこぼすと、彼女の背中に腕を回した。なんだかんだと忙しかったので、抱きしめるのはあの海以来かもしれない。

「ありがとう」

 耳元でガンコが囁くように言った。声量のせいなのか、その声はなぜか沈んでいるように思えた。

「その不安って言うのは、これでも解消されない?」

「というよりも、これが不安そのものって言えるのかも」

「どういうこと?」

 ガンコを抱きしめながら、僕は首を傾げた。彼女はためらうように唸ると「あのね」と話を切り出す。

「正直に答えてほしいんだけど――」

「うん」

「私って、重かったり、甘えすぎたりしていない?」

「何それ」

 訳がわからず、僕は訊き返した。どうしてそんな質問が出てくるのかがわからない。

「いや、やっぱり不安に感じちゃうんだよね。うつ病のこともあるし、メンヘラ彼女になったりしてないかなって。まぁこんな質問をしている時点で、既に面倒くさいのかもしれないけれど」

 ガンコがため息を吐いた。自分を責めているのかもしれないが、そんなことはない。少なくとも僕はそうは思わない。

 それを伝える意味も込めて、僕はガンコをさらに強く抱きしめる。

「思わない」

「本当に?」

「気持ちはちょっとわかるよ。というより、僕も似たような不安を感じていた」

 僕とガンコは、似たような苦しみを持っている。もしも二人の関係が傷の舐めあいによる依存となってしまったら、ガンコに負担をかけてしまうかもしれない。そんなことは毎日のように考えてしまうし、今日だけでも何回頭を過ったことだろう。

 でも、ガンコの胸に抱えているものを聞いたことで、その不安は少しだけだが軽くなった。

 互いに同じ不安を持っているからこそ、二人とも自分達の関係に慎重になれる。注意ができる。

 きっと僕達二人は、僕達が思っている以上に、お互いに支え合えるのかもしれない。

 そのことをガンコに伝えた。顔の横でガンコが吹き出す声が聞こえる。

「よくわかんない理屈」

「ごめん。口下手で」

「ううん。でも、言いたいことは何となく伝わったし、おかげでちょっとスッキリした」

 そう言ってガンコは僕の体から離れると、立ち上がって伸びをした。僕も腰を上げ、手を差し伸べる。

「行こう、ガンコ」

 ガンコが僕の手を見つめる。そして口元に悪戯小僧のような笑みを浮かべた。

「まだあだ名で呼ぶの?」

 僕の頭は一瞬だがフリーズする。やがてガンコの言葉の意味を理解し、顔が赤くなるのを感じた。

 簡単なことではあるのだが、妙な躊躇いが僕の中で生まれ、数秒の間、頭を掻いたりして時間を稼ぐ。しかし逃げることはできないと諦め、腹をくくって口を開いた。

「行こう、頑奈」

 半ば叫ぶような形になってしまった。しかしガンコは――頑奈は満面の笑みを浮かべ「よくできました」と手を取ってくれた。頑張って名前を呼んだかいがあったと言うものだ。

 そして僕ら二人は歩き出す。薄暗い店の裏スペースを抜け、表の明るい道へと向かって。

 きっと二人なら大丈夫だと、今は信じることができた。


(了)


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