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ガンコ  作者: 夢見歩人


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16/17

No.16「ツーリング」



「――でね、日本のスタバって、私たちと同い年なわけ。一九九六年に日本に来たの。しかもそれだけじゃなくて、スタバが日本に上陸したことで、エスプレッソとかスペシャリティコーヒーとか、日本のコーヒー文化がさらに発展した。つまりスタバが日本のコーヒー文化を動かしたと言っても過言じゃないんだよ! これってすごくない?」

 島に向かう途中のサービスエリア。そこにあるスターバックスのテーブル席に座りながら、ガンコが熱く語っている。僕はその熱意に圧倒されながらも、笑いながら何度も頷いた。

 僕らは今、O県にある離れ島を目指している。提案してきたのはガンコの方だった。

 あの時、ガンコが泣き崩れた後のことだ。落ち着いた彼女は涙を拭うと、急にツーリングを提案してきた。

「私ね、海を見に行きたい。お願い、できないかな?」

 あんなに弱った後のガンコを見て、断れるわけがなかった。しかしどうしても気になることがある。

 店の方は、リオンさんと千尋さんの二人で回すことは可能だろう。今までも二人が休んで二人が出勤する、というシフトが何度もあった。

 ただ僕の告白がどうなったのかが気になって仕方がない。さすがにこのままスルーということはないだろうが、やはり答えをもらえていないままでは僕としてもモヤモヤする。

 もっとも、それはそれとして、だ。こんなに嬉々としてコーヒーの話をするガンコを見ていると、僕まで何だか嬉しくなる。好きな人のこんなに弾けるような笑顔を見て、鼻の下を伸ばすなと言う方が無理があるだろう。

「ねぇ、聞いている?」

 目の前でガンコが頬を膨らませている。この前のあの泣いていた姿が嘘のようだ。そう思うと同時に、僕の心に暗い影がさす。

 明るく振る舞っていても、彼女が現状、うつ病を患っていることに変わりはないのだ。それを忘れて浮かれているなどと評するのは、何だかひどく勝手なように思えた。

「うん、聞いているよ」

 僕は笑顔を作って頷く。ガンコは疑わし気な目を僕に向けていたが、すぐに頬が緩む。

「今日はありがとうね。私の突然のわがままに付き合ってくれて」

「全然いいよ。ツーリングも海を見るのもどっちも好きだし、僕としても楽しいから」

 無茶苦茶寒いのが難点だけどね、という言葉は飲み込むことにした。余計な一言は言わないに越したことはないだろう。

 僕はチラリと窓に目をやった。先ほど渡った橋が目に映る。

橋が強風に吹かれて揺れているように見えるのは、きっと気のせいだ。そう思うのだが、先ほど橋の上をバイクで通った時には風に煽られ、転ぶのではないかとヒヤリとした。

「そうだ、ちょっと物販コーナーに寄っていこうよ」

 そう言ってガンコが立ち上がった。気付けばお互いのドリップコーヒーはなくなっている。そして僕が動くよりも先に、ガンコはカップ二つをつかんでいた。

「いいよ、僕が持って行くよ」

「わっ、紳士的。でもこれぐらいは私にやらせて」

 そう言うなりガンコは返却コーナーへと足早に持って行った。僕はちょっとした居心地の悪さを覚えてしまう。

 バイクに乗せてもらっているお礼ということで、ここのコーヒー代もガンコが半ば強引に支払ったのだ。彼女らしいと言えばらしいのだが、何だか申し訳なさの方が勝ってしまう。

「さぁ、行こう」

 店を出たガンコの後に僕は続く。スターバックスの左にあるサービスエリアに入り、物販コーナーを物色し始めた。

 この島では玉ねぎが有名だ。それに伴ってか、やはり島が産地の新玉ねぎに関連した商品が多い。

「ねぇ。後でこれ飲もうよ」

 そう言ってガンコが手に取ったのは玉ねぎスープの素だった。お湯を入れるだけでできる、インスタント形式のものだ。

「いいけど、お湯は?」

 僕の質問に、ガンコは自慢そうに背負っているリュックサックを見せてくる。しかしその意味がイマイチ理解できない。

 魔法瓶か何かにお湯を入れてきたということだろうか。

「じゃあ買って来るね」

 言うが早いか、ガンコは颯爽とレジへと向かった。そして買った玉ねぎスープをリュックサックにしまいながら戻ってくる。

 サービスエリアを後にし、僕らはバイクへと向かった。同じようなツーリング目的でなのか、何十台というバイクが所せましと停まっている。ただ自分のバイクぐらいはすぐに判別がついた。

 僕のバイクはレースなどに使われるフルカウルスポーツタイプのものだ。人気のモデルで街中でも見かけることは多い。ごつい見た目に反して車体自体は軽いので、非常に乗りやすいのも特徴の一つだ。

 僕が乗るバイクは黑を基調にしつつも、所々に黄色い線が描かれている、珍しいタイプのカラーリングだ。だからこそ同じモデルが近くに停まっていても、自分のバイクを見分けることはたやすい。

 互いにヘルメットを被り、バイクに跨ると、僕はエンジンをかけた。バイクが唸り声を上げる。僕はアクセルグリップを回し、バイクを走らせた。

 目的地の海水浴場には、三十分程度で到着した。さすがに冬と言うこともあって、砂浜には誰もいない。

 バイクを道路の端に止め、僕とガンコは砂浜の手前にある石段に座った。海岸沿いなので少し寒くはあるが、この程度なら耐えられる。ただ、ガンコはどうかわからない。

「ガンコ、大丈夫? 寒くない?」

 僕がそう訊ねると、ガンコは首を横に振り「大丈夫だよ」と答えた。

「そういう達希くんは?」

「僕も大丈夫かな。というか、あんまり気にならない」

 そう言って僕は目の前の海に再び視線をやった。今は寒さ以上に、この海を眺めていたいという気持ちの方が勝っていた。後は空が灰色ではなく、快晴の青空であればより海も美しかったのだろうが、そこまでわがままを言うべきではないだろう。

 ガンコはリュックを脇に置くと、ジッパーを開いた。そして中に手を入れて何かを探す素振りを見せる。

 取りだしたのは、黒い筒型のケースだった。そしてガス缶に小型ケトル、水の入ったペットボトルと、次々と石段の上に置いていく。

「それは?」

「知らない? シングルバーナーっていうんだけど」

 言いながらガンコは筒型ケースのジッパーを下げていく。ケースの中には手の平より少し大きいぐらいの金属が入っており、ガンコはそれを取り出した。そして細い金属部分を展開していき、シングルバーナーを完成させる。

 シングルバーナーはアウトドアに使われる、折りたたみ式の小型ガスコンロだ。その存在は以前から知っており、僕自身、ツーリングの合間などに使ってみたいという願望はあったものの、中々買う機会がなかった。それをまさか、ガンコが持ってくるなんて。

「もしかして、この日のためにわざわざ買ったの?」

「まさか! たまたま前から持っていたのよ」

 そう言いながらも、ガンコの視線は泳いでいた。どうやら図星だったようだ。いずれにせよ、このことにはこれ以上突っ込んで聞かない方が良いのかもしれない。

 ただ、ガンコが僕とのツーリングを楽しみにしてくれていたことは伝わった。僕にはそれが何よりも嬉しかった。

「ねぇ、良かったら使ってみる?」

 そう言ってガンコはシングルバーナーを指さした。僕の目が、自然と大きく見開かれる。

「いいの?」

「うん。達希くん、すごく興味津々にこれを見ていたし」

 からかうようなガンコの言葉に、思わず僕は頬を赤らめた。自分では意識していなかったが、そんなに見つめていたのだろうか。

 彼女の顔を立てる意味も込めて、僕はガンコの好意に甘えることにした。

 ガンコから差し出された五百ミリリットルのペットボトルを受け取り、小型ケトルの中に注いでいく。容器一杯にまで水が溜まると、ケトルに蓋をしてシングルバーナーの上に置いた。

 バーナーの点火は、思っていたよりも少し難しかった。つまみが通常のダイヤル型とは違うのだ。長方形型の器具の先に細い三角形型の金属が取り付けられているので、それを回して点火するのだが、これが意外と難しい。少し回すだけでもバーナーが揺れ、ケトルが落ちそうになってしまう。

 何とかシングルバーナーの点火に成功した後、水が沸騰するまでの間、僕とガンコは再び海を眺めることにした。そして何とはなく話し始める。

 話題の大半は、うつ病のあるある話だった。毎日のように心がしんどくて、疲れを感じやすかったり、ちょっとでも物事が上手くいかなかったらすぐに自分を責めて、それで余計に落ち込んだりと。決して愉快な内容ではないのだが、それでも僕とガンコは互いに共感しあえた。似たような苦しみを、味わっている者同士だから。

 そんな風に話している間に、ケトルの注ぎ部分から湯気が出て、中から水が溢れ出そうになる。僕はバーナーを倒さないよう、慎重に栓を閉めた。

 ガンコがリュックから紙コップを取りだした。そして次に、正方形型の袋を二つ手に取る。

 よく知っている袋だった。というよりも、毎日のように店で見ている。

「それって、インフューズドコーヒーの――」

「そう。しかも達希くんがデビューしたオレンジフレーバー」

 ガンコが悪戯小僧のように笑った。その笑顔が不意打ちのようで、ついにやけてしまいそうになるが、唇の端を噛んで何とか堪え、そっぽを向いた。

「店から勝手に持ち出してきても良かったの? 横領じゃない?」

「その店の店長だよ、私。大丈夫に決まっているじゃん」

「そういう問題じゃない気がするけど――」

「硬いこと言わないの。一応リオンには言っておいたし、お金は置いといたから」

 そう言いながらガンコは袋からコーヒーの粉が入ったパックを取りだした。そして紙コップを四つ並べ、そのうちの二つにパックを入れる。

「残りの二つの紙コップは?」

「さっき買った玉ねぎスープに使うよ」

 そう言ってガンコはリュックから玉ねぎスープの素が入った箱を手に取った。中からスープの袋を取り出し、粉をコップに入れていく。

 サービスエリアで見せた自慢げな顔は、シングルバーナーを持ってきたことによるものだったのだろう。そのことに今さらながら僕は気付いた。だが――

「これ、お湯足りる?」

 僕は口元を引きつらせながら訊ねた。そしてケトルに目をやる。

 ケトルに入っていた水は五百ミリリットル程度だ。コーヒー二杯ならともかく、スープの素にも注ぐとなると、どう考えても足りない。

 見たところ海岸の近くにはコンビニはなさそうだ。自動販売機すら見当たらない。しかし仮に追加の水を買ったとしても、沸騰させている間に、先に注いだコーヒーかスープのいずれかは冷めてしまっているかもしれない。

「ま、まぁ、量を考えればギリギリいけるでしょう、たぶん」

 そう言ったガンコの顔は見るからに引きつっていた。やはり彼女自身、お湯の量を計算に入れることを忘れていたようだ。

 ガンコは不安そうな表情を浮かべながら、紙コップにお湯を注いでいった。僕は黙ってその様子を見守るしかない。ケトルはお湯を入れ過ぎないよう少しずつ傾け、それぞれの紙コップに均等に注がれていく。

 何とかコーヒーとスープ、それぞれにケトル内のお湯を注ぐことはできた。しかし明らかに量は少なく、コップの半分を少し上回るかどうかというところだ。とはいえ、神経を使ったガンコに文句を言う筋合いはない。

「ありがとう。じゃあ、いただきます」

 そう言って僕はまずコーヒーから口をつけた。初めてガンコの店に来た時と比べて、オレンジの香りもコーヒーの味も濃くなった気がする。しかし十分に美味しい。

「まぁ、これはこれで悪くないよね」

 そう言ってガンコは紙コップを掲げて底を見上げるような態勢を取る。言葉とは裏腹な、渋柿を食べたかのような表情から、納得できていないのは明らかだ。

 僕は満足なのだが、コーヒーショップの店長としては許容できる範囲ではなかったらしい。

「まぁ、僕も沸騰してから水の量について考えたし――ごめん、もっと早く気付いておけば良かった」

 何だかガンコが自分のことを責めているような気がして、僕はすかさず謝る。するとガンコは慌てて「何を言っているの!」と両手を振った。

「バーナーもケトルも、私が用意したんだよ。達希くんに何も言わずに。だから、達希くんが謝る要素なんて、一つもないじゃない」

「でも――」

「そうやって、自分の落ち度を無理にでも見つけて謝っちゃうの、達希くんの悪い癖だよ。まぁ、わたしもあまり人のこと言えないし、それが達希くんの優しさでもあるんだけど――」

 言葉の後半は蚊が泣くようなボリュームだったが、僕の鼓膜には十分届いた。気のせいか、ガンコの頬が先ほどよりも赤くなっているような気がする。それと同時に、僕の顔も一気に熱を帯びた。

 十代の青春的な恋愛ではあるまいし、僕は何をこんなに緊張しているのだろう。正直、情けなく感じてしまう。この寒さが一気に上がった体温を下げてくれればよいのにと思うのだが、少なくともすぐには難しいらしい。

 この胸の高鳴りが収まるようにと願い、僕は玉ねぎスープに口をつけた。

 玉ねぎの風味と、独特なスープの味が口の中で広がる。しかし心臓の鼓動が遅くなることはない。次にコーヒーも飲んでみたが、結果は変わらなかった。

 そういえばガンコはどうしているのだろうか。そう思った僕は、チラリと隣に目をやった。するとガンコは心ここにあらずといった空虚な目で遠くを見つめながら、コーヒーが入った紙コップを口につけていた。

やはり、僕の不器用さに幻滅したのだろうか。僕が勝手にそう思って落ち込みかけた時、目を大きく見開くものがあった。

 いつの間にか、ガンコの隣には空の紙コップが置かれていた。もう玉ねぎスープを飲み終わったということだろうか。それにしても早すぎる。

「ガンコ、もうスープ飲んだの? 熱くなかった?」

「え? あぁ、大丈夫。私、ある程度の熱さには耐えられるんだよね」

 そう言ったガンコの表情は、どことなく硬いように見えた。喋っていた今の様子も、どこか上の空のように思える。やはり変だ。

「ガンコ、どうかしたの? 何だかおかしいよ」

「おかしい? 私が?」

「うん」

「そんなことないって。というか、好きな人に対して、おかしいってひどくない?」

 口ではそう言いながらも、ガンコは中々僕の方を見ようとしない。だから今の言葉も、冗談なのか本気で言っているのか、判別しにくかった。

「それは、ご――」

「達希くん」

 僕が謝りかけた時、それを遮るようにガンコが言った。僕は何度も瞬きしながら「何?」と聞き返す。

「肩」

「え?」

「肩、貸して」

 唐突なガンコの発言に、僕は面食らうしかなかった。いくら何でも言葉の脈絡が無さ過ぎる。

「なんで?」

「えっと、その、まぁ――眠たいから、かな」

「眠たい? それで、何で肩?」

 ますます訳が分からない。僕が混乱するのもお構いなしと言わんばかりに、ガンコがさらに距離を近づけて僕の真横に座った。互いの腕が触れ合う。それだけのことなのに、心臓の鼓動がかなり早くなる。

「ねぇ、ガンコ――」

「少しだけ、眠るね。おやすみ」

 そう言ってガンコはあくびを一つすると、僕の肩に頭を預けてきた。

 シャンプーの甘い香りと、服越しに伝わる柔らかな髪の感触が、五感をくすぶった。頭が真っ白になり、理性が飛びそうとはこのことなのかと、一人で変な感想を抱いてしまう。

 一体、この状況は何なのだろう。どうすることが正しいのだろうか。

 僕は身も心も硬くするしかない。気付けば隣からガンコの寝息が聞こえてくる。既に夢の中に入ってしまったようだ。

 身動きがとりにくいこの態勢は、硬直しているからなのか体が痛い。かと言って、下手に動けばガンコを起こしてしまいかねない。

 もはやどうすることもできなかった。そもそもガンコは、なぜ今ここで眠るという選択肢を取ったのだろう。

 そんなにも僕と一緒にいることが退屈だったのだろうか。

 ネガティブとはわかっていても、どうしてもそんな不安が頭を過る。いったい、どのような会話をすればよかったのだろう。

 どうして僕は、こんなにも不器用なんだ――僕が自分自身を罵り始めた、その時だった。

 頬に柔らかい何かが触れてくる。それがガンコから伸びた手だと気付くのに、数秒のタイムラグがあった。

 でも、どうして? ガンコは今眠っているはずなのに――そんな僕の思考を遮ろうとするかのように、その手は力を入れて、僕の顔をガンコの方に強引に向かせる。

 目を閉じたガンコの、整った顔立ちが至近距離にあった。その美しさに、僕の心臓はさらに高鳴る。少しでも気を抜けば、本当に意識が飛んでしまいそうだ。

 ――キスしたい。

 そんな欲望が僕の体を支配しようとする。しかし僕は理性をフルで働かせ、何とかその衝動を抑えることができた。

 いくら何でも、こんな無防備なガンコに無理矢理キスするなんて、そんなことはできない。彼女を傷付けてしまうからだ。

 ――そもそも、ガンコって今は眠っているはずだよね?

 当たり前な疑問が、今になって僕の頭に浮かぶ。眠っている人間が、どうして手を動かして、他人の顔を動かすことができるというのだろう。

 僕がさらに考えようとした時、ガンコの顔が近づいてきた。かと思うと、次の瞬間には唇に柔らかい感触を覚える。

 脳内が台風に襲われた野原のように荒れた。思考という名の雑草が周囲に散らばり、僕から考える力を奪う。

 それがガンコからのキスだと気付いた時には、彼女の唇は僕から離れていた。先ほどまで閉じられていたはずのガンコの目は開いており、頬を赤らめて僕を見上げる。

 未だに僕の頭はパニックを起こしたままだ。まともに考えることができないのに、唇に残る感触だけは覚えている。

 リップによるぬめりと甘さ。何より、好きな人と唇を重ね合わせたという高揚感。それらが一気に僕の五感に襲い掛かってくるのだ。自分でも意識が飛ばなかったことを不思議に思う。

「ドン引き、してないよね?」

 上目遣いに見てくるガンコは、何だか僕よりも幼く感じられた。僕は「そんなことないよ」と答えようとしたのだが、先ほどの衝撃が強すぎて、未だに口を上手く動かすことができずにいる。それをどう思ったのか、ガンコが視線を泳がせ始めた。

「あ、あのね、これ、私のアイデアじゃないの。千尋なの。その、さ、達希くんの告白に答えたいけど、上手く言えないかもしれなくて、確実に伝えられる方法とか、返事のコツとかないかなって千尋に相談したら今のようなのをしろって言って――」

 ガンコがあたふたと言い訳をしてくる。今まで見てきた中で一番慌てており、その様がさらに僕を唖然とさせた。

 ただ混乱する頭でも、一フレーズだけ絶対に聞き逃せない言葉があった。

「ガンコ、あれが告白の答えってことは――」

 それ以上の言葉を、僕は続けることができなかった。それはガンコも同じようだ。急に大人しくなったかと思うと恥じらうように俯き、僕から逃げるように顔を逸らす。

「ごめん、やっぱり私――」

 ガンコが立ち上がろうと、腰を浮かせる。そのことを認識した瞬間、僕は彼女の腕をつかんだ。

 何か考えがあってのことではない。気付けば体が勝手に動いていたのだ。

 彼女に、逃げてほしくなかったから――

「達希くん――」

 ガンコが今にも泣きそうな目をして振り返った。僕は立ち上がり、彼女の肩をつかんで真っ直ぐに見る。

「正直、驚いた。驚いたけど、嫌ってわけじゃないんだ」

「え?」

「好きな人からキスされたから、それで驚いたんだ。もちろん、嬉しいって意味で」

 ガンコの頬に、涙がつたった。僕は優しく彼女の涙を拭う。

「やっぱり、僕は君のことが好きだ。子供の頃から、ずっと」

「うん、私も。私も、達希くんのことが好き。山上くんから助けてもらったあの時から今日まで。いえ、この先もずっと」

 ガンコが僕の胸に顔を埋めてきた。肩に乗せていた手を、ゆっくりと彼女の頭にまわして撫でる。柔らかな髪の感触が、手の平にあった。しかし先ほどのように戸惑ったりはしない。

 今、僕の中で渦巻いているのは、充足感だった。

 好きな人が僕のことを好きと言ってくれた。僕に抱き着いて来てくれた。僕にキスをしてくれた。

 僕と同年代の人達の多くが、既に経験していることだろう。それぐらいが何だ、と思うかもしれない。でも、そんなことは知ったことじゃない。

 これが幸福と言わないで、なんと表現すればよいのだろう。

「ねぇ、ガンコ」

「うん?」

「僕からも、キスしていい?」

 本当に、我ながら不器用だ。もっとスマートにキスする方法はいくらでもあるだろうに。

 しかしガンコは呆れたり拒絶したりしなかった。ただ黙って僕の胸から顔を離し、目を閉じて見上げてくる。

 心臓の鼓動は早くなるばかりで、血液が爆発するのではないかと思えてしまう。

 僕はゆっくりとガンコにキスをした。そして強く彼女を抱きしめる。

 頬に水滴の感触がある。それは僕の涙なのか、それともガンコの涙なのか。それはもうわからなかった。


(続)


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