No.14「秘密」
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この日、僕は一日中ソワソワとした気分を味わうこととなった。店で掃除をしている時も、コーヒー豆を整理している時も、気付けばガンコの姿を目で追ってしまうのだ。
昨日、藤本さんとのランチで自分の気持ちを自覚してしまった。僕はガンコのことが好きなのだと。
思い返すと、たぶん子供の頃からそうだったのだ。いつもガンコのことを考えていたし、彼女と遊んでいる時間が、当時の僕にとっては何よりの楽しみだった。ガンコが突如転校し、そのショックを長期間引きずっていたことは、今でも忘れられない。それらを総合すると、僕は小学校の頃からガンコのことが好きだったのだと、結論づけるのは自然と言えるだろう。
しかしこの恋心を自覚できているのといないのとでは、普段の態度や意識が大きく違ってくる。ガンコのことが以前よりもキレイに見えるし、彼女を見るだけで胸が高鳴る。今まではこんなことなかったはずなのに。
だから僕は、そんな自分の不自然さを悟られたくない一心で、ガンコを意識しないように努めた。彼女は幼馴染で、仲のいい友達、そして職場の上司なのだ、と。しかしそうやって自分に言い聞かせるほどにかえって意識してしまうのが、人間の嫌なところである。
そもそも僕は、ガンコとどうしたいのだろう。もちろん恋心を抱いているのだから、付き合いたいし、結婚して子供も授かることができれば、どれだけ幸せだろうとは思う。
しかし下手に告白してしまったとして、フラれた場合が問題だ。これまでの関係性が一気に瓦解する危険性が高い。それは僕自身、望まないことだ。仮に付き合えたとしても、同じ職場である以上、何かの拍子にケンカして、二人の気まずい雰囲気のせいで店に悪影響を及ぼさないとも限らない。
何だかこうして考えると、ガンコに告白するだけでいくつも危険が付きまとってくるように思えてしまう。やはりこの気持ちは、諦めるのがベストなのだろうか――
「国島くん。それ違うよ」
後ろから千尋さんに指摘され、僕は改めて目の前のコーヒー豆を確認する。確かに僕が補充している豆と、樽の上部に貼られた札に書かれた商品名は別の物だった。
「す、すみません」
慌ててしまったが、これ以上ミスを重ねるわけにはいかない。幸いにも、空の樽は三つある。僕は商品札を貼りかえることで、何とか失敗をカバーすることに成功した。
何だか自分が情けなく思えてくる。ガンコのことだけで、こんなにもいつも通りの行動ができなくなってしまうとは。
今は仕事に集中しなくてはいけない。そう自分に言い聞かせるも、だからと言ってそれだけで自分を完全にコントロールできるわけではない。ミスこそそれ以上起こさなかったものの、どうしてもガンコを意識してしまうのだった。そんな自分を心の中で叱咤するの繰り返し。終業時刻が来るのが、今日はいつもより遅く感じられた。
「後は私がやっとくし、みんなは先にあがっててよ」
掃除などといった締め作業を終え、後は電気を消すのとガスの元栓を閉めるのみとなったタイミングで、ガンコがそう言いだした。彼女はカウンター席に座り、パソコンとにらめっこしている。今日の売上について、データ入力しているのかもしれない。
ガンコが従業員を先に帰らせるのは、よくあることだった。もう少しで終わるのだし、最後までやりきってもいいのだが、そういうレベルだからこそ、後はガンコに任せようという気持ちにもなってしまう。何より今日の僕にとっては、いつも以上にその言葉がありがたかった。今日は彼女の近くにいると、どうにも調子が狂ってしまう。
「じゃあ、お先な」
そう言って先に身支度を済ませたリオンさんが店の入り口を開ける。それに続く形で、僕と千尋さんも店を出た。
外は思っていた以上に寒く、そして既に暗くなっていた。冬至が近い十二月の半ばなのだから当然ではあるのだが、店の中にいるとどうにも気温も外の様子もわかりにくいから少し意外に思えてしまう。
「あっ、ヤバい」
二、三分歩いたところで、僕はあることに気付き、ジーンズの右ポケットに触れた。いつもそこにあるはずのスマートフォンがない。店に忘れてきてしまったのだ。
リオンさんと千尋さんに先に帰ってもらうよう言った後、僕は急いで店に引き返した。すでにガンコが閉めていたらどうしようという不安はあったが、幸いにも店のドアから明かりが漏れていた。僕は安堵のため息を吐き、スライドドアを開けようとする。
だがそこで、僕は手を止めた。ドアに埋め込まれたガラス越しに、店の中の様子をうかがうことができる。カウンター席に座るガンコがパソコンを少しずらし、白い袋から何かを取りだした。
それは薬を包装しているPTPシートに見えた。錠剤を押し出すと、水を飲んで一気に流し込む。
そこまでおかしいことではない。薬ぐらい、誰だって飲む。そうわかっているのに、妙な胸騒ぎが僕の全身を支配した。
不安に身を任せるまま、僕はスライドドアを勢いよく開ける。当然ガンコは驚いてこちらを見た。そして慌てて薬のPTPシートと紙袋を膝の上に置き、僕の方から見えにくくする。
やはり変だ。風邪薬とかなら、急いで隠す必要はないはずだ。
「どうしたの達希くん、急に店に戻ってくるなんて。忘れ物か何か?」
ガンコは笑顔を作って聞いてくる。しかし予想外の展開だからなのか声は上ずっており、動揺を隠しきれていない。
「今隠したの、何? 薬の袋に見えたけど」
自分でも声に苛立ちが籠もっているのがわかった。何が気に食わないのか? きっと、ガンコに隠し事をされていると知ったからだろう。
「えっとね、生理の薬だよ。ほら、あんまり男の子に知られたくないやつじゃん? だから咄嗟に隠しちゃったっていうか」
僕が追及しにくいよう、ガンコはそう言ったのかもしれない。しかし目が泳いでおり、動揺を隠しきれていない。
「見せて」
言うが早いか、僕はガンコに近づいていった。ガンコは逃げるように立ち上がるが、どうやら膝の上に薬の袋を置いていたことを忘れていたらしい。カサッという音を立て、紙袋が床に落ちた。
チャンスだった。僕は袋を取るために走り出し、手を伸ばす。慌てて拾おうとしたガンコより、ほんの僅かな差で回収することができた。
「返して!」
ガンコの今にも泣き出しそうな声が耳にこだまする。しかし袋を見た僕に、彼女を気遣える余裕はなかった。
紙袋の下部には、調剤薬局の店名が書かれていた。僕が原田先生の診察の後に行っている薬局と同じだ。
胸騒ぎがする。心臓の鼓動が早くなる。僕は紙袋の中に手を入れ、ガンコが飲んでいた錠剤のシートを取りだした。
僕が飲んでいるのと同じ、抗うつ薬の名前がシートに書かれていた。
「これは、どういうことなの?」
いつの間にか僕の中から苛立ちは消え去っていた。代わりに恐怖とも言える感情に支配される。
なぜガンコが抗うつ薬を飲んでいるのか。どうしてそのことを隠そうとしたのか。
ガンコはすぐには答えなかった。俯き、僕に顔を見せないようにしている。
冷静に考えれば当然だ。理由はわからないが、彼女はこのことを必死に隠していた。それをあっさり白状しろと言う方が無理がある。
それでも僕は訊かずにはいられなかった。ガンコの肩をつかみ、彼女の今にも泣き出しそうな顔を覗き込む。
「お願い、教えて」
沈黙が店の中を支配した。やがてガンコは意を決したのか、深呼吸をすると次のように言った。
「うつ病、なんだよね。私」
(続)




