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ガンコ  作者: 夢見歩人


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11/17

No.11「ラーメン」



 閉店の時間を迎え、僕らは閉め作業を開始した。

 結局、僕もガンコもあれから一切会話をすることはなかった。今日だけはキッチンと接客、仕事が分担されているのが本当にありがたいと思う。もしリオンさんのように彼女の隣に立って仕事をしていたら、もっと気まずくなっていたに違いないのだから。

「もう後は電気消して鍵を閉めとくぐらいだし、二人は先に上がっちゃって」

 僕がほうきとちりとりを壁際のロッカーに戻している時に、ガンコが言った。彼女は今キッチンの中で清掃を終えたコーヒーマシンを元通りにしているところだった。

「後、達希くん」

 エプロンを脱ぎだした僕に、ガンコが何かをつかもうとするかのように手を上げながら言った。「何?」と僕はなるべく冷静を装って答える。ケンカして以降、初めての会話だ。

「今日は、その、ごめん。私、変にからんじゃって」

 申し訳なさそうにガンコは目を伏せ、頭を下げる。僕は慌てて手を振った。

「いやいや、僕の方こそ、ごめん」

 それ以上会話を続けられそうにない。ただリオンさんが無表情でリュックサックのチャックを開ける音だけが店内に虚しく響いた。

「それじゃあ、お疲れ様」

 僕はエプロンをトートバッグにしまうと、逃げるように店を出た。ガンコの顔は振り返らない。彼女の今の表情を見ると、思考がグチャグチャになってしまうような気がした。

 外の空気はひんやりとして冷たい。その寒さが僕の体温を奪っていくように、この無茶苦茶になった感情も取り除いてくれればいいのに。

「おい」

 歩き出そうとするとふいに後ろから呼び止められ、僕は振り返った。リオンさんが腕を組みながら店の壁にもたれかかっている。

「この後、用事はあるか?」

「用事ですか? いえ、特に――」

「じゃあ今からラーメンを食いに行くぞ。付き合え」

 僕の答えを聞くよりも早く、リオンさんが足早に歩きはじめた。僕は戸惑いながら「あの、ちょっと」と呼び止めるも、彼が足を止める様子は一切ない。

 本当は今すぐにでも帰りたかった。確かにお腹は空いているが、おそらく母さんが晩御飯を作ってくれているだろうし、何よりこのモヤモヤした気分を家で少しでも払拭したい。本当に拭い去ることができるかどうかは別としても。

 しかしリオンさんを止めることができぬまま、駅前のラーメン屋にたどり着いてしまった。暖簾をくぐり、僕らは二人掛けのテーブル席に案内される。

 この店はI市内でも特に美味しいと言われているラーメン屋だ。正確な名前は忘れたが、ラーメンにおける何らかの大会で金賞を受賞したのだとか。

 僕とリオンさんは互いに醤油ラーメンを注文した。店員が去った後も、気まずい沈黙が続く。リオンさんから声をかけておきながら一体何なのだと正直思ったが、彼もまた話し出すきっかけを探っているのかもしれない。

「――あ、あの、リオンさん」

 沈黙はもうたくさんだ。そう思った僕はついに自ら話しかけた。しかし僕が次の言葉を紡ぐよりも早く、リオンさんが口を開く。

「お前、頑奈のことが好きだろ」

 あまりにも唐突な言葉に「はい?」と声のトーンを大きく外してしまった。店内が閑散としていたため、奇異な目を向けてきたのは店員ぐらいだ。これを幸いと言っていいのかどうかまではわからないが。

「ちょ、え、あの、いきなり何を言い出すんですか?」

 声を押し殺して僕はリオンさんを睨みつけた。しかし目の前の先輩はいつもの仏頂面を一切崩さない。

「別にふざけたりからかったりしているわけじゃない。至って真面目に言っているつもりだ」

「いや、そうかもしれませんけど、そういう問題じゃなくて――」

「じゃあどういう問題だって言うんだ?」

 リオンさんが首を傾げたタイミングでラーメンが運ばれてきた。スープの独特な香りが僕の鼻腔をくすぐる。僕はナイスタイミングと思いながらリオンさんに割りばしを渡し、ラーメンを啜り始めた。

 ただ、リオンさんは僕を逃がす気は一切ないらしい。麺を口に入れながらも、黙って僕を見つめ続けていた。その圧が以前とはまた違った怖さを与えてくる。仕方なく僕はため息を吐きながらも言葉を発することにした。

「正直、僕自身よくわかりません。大切な友達であることは間違いないですけれど、恋愛感情を抱いているのかどうか」

「じゃあ、俺と頑奈が付き合ってもいいって言うんだな?」

「それは――」

 急に襲ってきた不快感に身を任せ、僕は短い言葉に怒りを滲ませてしまう。しかしそれ以上言葉を続けることができず、黙るしかなかった。するとリオンさんが「そういうところだよ」と箸の先端を向けてきた。

「そういうところって――」

「中途半端が良くないって言っているんだよ。こういう人間関係においてはな」

 リオンさんの言っていることがわかるような、つかみあぐねているような気がして、僕は曖昧に「はぁ」と答えるしかなかった。

 それからリオンさんは箸を置き、腕を組んだ。なぜか視線が泳いでいたが、意を決したように僕を真正面から見つめ、口を開く。

「実はな、頑奈に告白したんだ」

 僕は変な声が出そうになるのを、何とか堪えた。

「えっ、あの、いつ――」

「三日ぐらい前だな。ほら、国島と千尋を先に帰らせて、二人で閉め作業をしただろ?」

 確かにそうだった。三日前、ガンコの指示に従って僕と千尋さんは少し早く上がることになった。リオンさんも同様に言われていたのだが、彼は残ると言って結局そのまま作業に取り掛かったのだ。

 まさかあの後、告白していたなんて思いも寄らなかったが。

「それで、あの、どうなったんですか?」

 恐る恐る僕は訊ねた。するとリオンさんは苦笑を漏らし、再び箸を手に取る。

「今の俺の様子を見たら、何となくわかるだろ? わざわざ傷を抉るような真似はやめろ」

「あっ、すみません」

「いや、俺も今の言い方は悪かったな。すまん」

 向かいの席で、リオンさんが頭を下げてくる。その姿に僕は呆気に取られてしまう。

 本当に、この短期間でよく変わったものだ。今までのリオンさんなら、ここまで素直に謝らなかっただろう。

「まぁ、わかりきってはいたことだ。頑奈は俺のことを異性としては見ていない。本当に、ただの仲間の一人と思っているってことはな。頑奈にこう言われたよ。リオンの気持ちには気づいていた。なのにそれに甘えて、私のわがままに付き合わせてしまった。本当にごめんなさい。もう、無理に私を手伝う必要はないんだよってな」

 リオンさんの話を聞きながら、僕は二週間前の公園でのやり取りを思い出していた。あの時も、ガンコはリオンさんを利用してしまっていると、自分を責めていた。彼からの告白を機に、解放しようと考えたのだろう。

「全く、俺も見くびられたもんだなって、正直あの時は思ったよ」

 そう言ってリオンさんはラーメンを一口啜ると、肩をすくめて見せた。

「こんなもん、全部俺の都合だ。俺が勝手に頑奈に惚れて、勝手に力になりたいと思い、勝手に日本まで来た。お袋の生まれた国に興味がある、とまで言ってな――あれ、もしかして俺ってキモいか?」

 リオンさんが急に不安げな表情を浮かべて口元を手で覆う。僕は「いやぁ、そんなことは」と曖昧な表情を浮かべて首を傾げるしかなかった。

 正直、ストーカーと見られても仕方がない行為かもしれない。しかし結果としてガンコは嫌がっているわけではないし、僕自身、そうまでしても好きな人の力になりたいという気持ちは、理解できた。

 そういう意味では、リオンさんはある意味純粋というか、一途な性格なのかもしれない。

「まぁとにかく、頑奈に振られたことは別にしても、俺は日本が意外と気に入っている。だから、少なくとも今はアメリカに戻るつもりはないし、このまま働き続けることにしたんだよ。日本の飯は上手いし、可愛い女の子もいっぱいいるからな。マッチングアプリを使うなりなんなりして、新しい出会いってやつを探すさ」

 リオンさんが頭を掻きながら言った。しかし「でもな」と言葉を紡いだ時の表情は、かなり真剣なものとなる。

「頑奈のことが、どうしても心配っていうのもあるんだ」

「心配、ですか?」

 僕は首を傾げてリオンさんの言葉を繰り返した。彼は目の前で大きく頷く。

「あいつはな、普段から明るく振る舞っているけれど、その時の顔がどこか芝居くさく感じるんだよ。何て言うか、無理に笑顔を作っている、みたいな」

 リオンさんがため息を吐きながら髪をかき上げる。しかし僕は彼の言葉があまりピンと来なくて「そうでしょうか?」と聞いてしまう。

 確かにガンコはあまり怒らないし、明るく振る舞うよう心掛けている面はあるのかもしれない。しかし喜怒哀楽が出ないかと言うとそうは思えない。再会した時だって僕の話を聞いて泣いてくれたし、今日だってケンカしてしまった。無理に笑顔を作る人間が、そこまで感情を出すものだろうか?

 僕はそうした疑問をリオンさんに伝えた。するとリオンさんは呆れたと言わんばかりに首を横に振り「やっぱお前、贅沢だな」と鉢に残った麺を全部啜ってしまう。

「別に贅沢ってわけではないと思いますが」

 何だかバカにされたような気がして、僕の中に小さな苛立ちが生まれるが、それを表に出したくはないので心の奥底に押しやる。それを知ってか知らずかリオンさんは口角を上げ「いいや、贅沢だ」と首を横に振る。

「国島。お前は気付いていないみたいだけどな。頑奈はお前と話す時と、俺や千尋と話す時とでは、態度が違うんだ」

「態度が、違う?」

 これもまた納得できずに訊き返してしまう。ガンコは誰に対しても平等に接しているように見える。そんな彼女が、いくら幼馴染とはいえ僕にだけ明確に態度を変えるなんてことがあるだろうか。

「そう。何て言うのかな、いつも他人に作っている一定の距離、というか壁が、国島と話している時だけは薄くなる。少なくとも俺は、頑奈が誰かと話をしていて、泣いたり、怒りを露わにしたりする姿を見たことがなかった」

 こうして話を聞いても実感はわかない。しかしリオンさんの言葉には一切の迷いがなく、ただただ真っ直ぐな真剣さが伝わってきた。

「俺じゃあ手に入れることができなかったポジションを――頑奈の感情を引き出せる立場を、急に現れた男があっさりと手に入れた。正直に言うと、それがすごくうらやましかったし、妬ましかった。だからお前にきつく当たってしまっていたんだ」

 リオンがそこで深呼吸する。そして姿勢を正すと鉢に顔を突っ込むのではないかと言わんばかりの勢いで頭を下げた。

「本当に、すまなかった」

 謝罪するリオンさんを見て、僕の方が逆に慌ててしまう。

「いや、ちょっと、顔を上げてください。実際、僕は仕事ができませんし、リオンさんに注意されるのも仕方ないと思っていたっていうか――」

「ただ、これだけは覚えていてほしいんだ」

 そう言って顔を上げたリオンさんが、真っ直ぐ僕を見つめてくる。

「結局は国島の気持ち次第ではある。でもな、どうして頑奈がお前に対して他とは違う態度を見せるのか。それを考えてほしい。頼むから、あいつに関しては、中途半端なことはやめてくれ」

 低く、重い声でリオンさんは言う。わずかな間を空け、僕は「わかりました」と大きく頷いて見せた。

 頑奈が僕に対して他とは違う面を見せている。それに関しては未だに実感が湧かない。ただ、リオンさんが心の奥底から真剣に言っていることだけは伝わった。

 そもそも僕はガンコのことをどう思っているのか。まずはそこから考えた方がいいのかもしれない。

「あのさ、俺の方が色々と話していてあれなんだけど――」

 そう言ってリオンさんは気まずそうに苦笑する。僕が首を傾げる中、リオンさんがテーブルを指さした。

「ラーメン、大丈夫か?」

 言われて初めて、僕はまだラーメンを食べきれていないことに気が付いた。鉢の中の麺は先ほどまでの細さを感じさせないぐらい太くなり、スープも口をつけていないはずなのに少なくなったような気がする。

 僕は慌てて麺を啜った。のびた麺は柔らか過ぎて、せっかくの金賞の美味しさを台無しにしてしまっていた。

「あの、リオンさん」

 若干の恨みを込めつつ、僕は目の前の先輩に目を向けた。

「今さらですけど、どうしてラーメンを?」

「いや、日本人は真面目な話をするとき、ラーメンを食べるものなんだろ?」

「誰から聞いたんですか?」

「聞いたっていうか、ドラマで? 日本の作品はいくつか観たけど、たいてい話をするときはラーメンを食っていたし」

 僕は共感すればよいのか呆れたらいいのかわからず、ただ渇いた笑みを浮かべるしかない。そしてもう一度、ラーメンを啜る。

 近いうちにまたこの店にリベンジしに来た方が良いかもしれない。そう思いながら。


(続)


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