第8話「双子の月」
あの日以来、リエンの監視はより一層厳しくなった。
部屋の窓には鍵がかけられ、廊下には見えない結界が張られたようで、私の意志だけでは一歩も出られなくなってしまった。
セバスでさえも、私と目を合わせようとしなくなった。
私は部屋の中で、ひたすら記憶の断片を繋ぎ合わせようとしていた。
聖女。力。封印。
あの漂着物が持っていた日誌に書かれていたこと。そして私の脳裏に浮かんだ映像。
私はおそらく、外の世界で「聖女」と呼ばれる存在だったのではないか。
そして何らかの理由で追われ、あるいは利用されそうになり、この島へと逃げてきた。いや、逃がされたのか?
リエンは知っているはずだ。
彼は私を「守る」と言った。それは、外敵から守るだけでなく、私自身の過去からも守ろうとしているのかもしれない。
夜、窓の外を見上げると、満月が二つ浮かんでいた。
大きな蒼い月と、寄り添うような小さな紅い月。
この世界特有の天体現象だ。双子の月が重なるとき、魔力が高まると言われている。
ドアが開く音がした。
リエンが入ってくる。手には銀の盆を持ち、そこにはワインとグラスが載っていた。
「今夜は月が綺麗だ。一緒に飲まないか」
彼は努めて明るく振る舞っていたが、その目の奥には深い疲労の色が見えた。
私は無言で頷き、彼が注いでくれたワインを受け取った。
深紅の液体がグラスの中で揺れる。
「リエンさん」
「なんだい」
「僕のこと、本当は知っているんですよね」
直球で尋ねると、リエンの手がピクリと止まった。
彼はグラスを置き、静かに私を見つめ返した。
「……知っていたら、どうするつもりだ」
「教えてほしいんです。僕は、自分が怖い。自分が何者なのか分からないまま、あなたに甘えて生きていくのが」
「それでいいじゃないか」
リエンは声を荒げた。
「君が何者だろうと関係ない! 君はここで、私だけのものとして生きればいいんだ! 外の世界なんて、君を傷つけるだけの地獄だぞ!」
彼は立ち上がり、私に詰め寄った。
その迫力に押され、私はベッドに倒れ込む。
リエンが覆いかぶさってくる。その瞳は狂気と執着に燃えていた。
「君の力がなんだ。聖女なんて、ただの呪われた器だ。そんなものに価値はない。私にとっての価値は、君という存在そのものなんだ!」
彼は私の服を乱暴に剥ぎ取ろうとした。
いつもなら優しく触れる彼が、今は余裕を失い、ただ私を繋ぎ止めようと必死だった。
「嫌だ……リエン、やめて!」
私は抵抗した。彼の愛は嬉しいけれど、こんな形で消費されたくない。
私の拒絶に、リエンはハッとしたように動きを止めた。
我に返った彼は、震える手で私の頬に触れた。
「すまない……私は、どうかしていた」
彼は私から身を引き、ベッドの端に座り込んだ。頭を抱え、深く項垂れる。
「君を失うのが怖いんだ。あの月が重なる夜、君の力が暴走するかもしれない。そうすれば、結界が破れ、外の連中に君の居場所が知られてしまう」
リエンはぽつりぽつりと語り始めた。
「私はかつて、帝国の魔術師だった。君を見つけ出し、保護する任務を帯びていた。だが、帝国の上層部は君を『兵器』として利用しようとしていたんだ」
兵器。その言葉に戦慄する。
「だから私は君を連れて逃げた。誰も手の届かない、この呪われた島へ。ここなら、君の力を封じ込め、ただの人として生きられると思ったから」
リエンの告白は、衝撃的だった。
彼は私を誘拐した犯人であり、同時に命の恩人でもあったのだ。
「記憶を封じたのも私だ。辛い記憶は、君の心を壊してしまうから」
彼は顔を上げ、濡れた瞳で私を見つめた。
「恨んでくれてもいい。でも、お願いだ。ここから出ようとしないでくれ。君を守れるのは私だけなんだ」
その悲痛な叫びに、私の胸は締め付けられた。
彼は全てを捨てて私を選んだのだ。地位も名誉も、おそらくは帰る場所さえも。
私はそっと彼に近づき、背中から抱きしめた。
「恨みません。あなたが僕のためにしてくれたこと、やっと分かりました」
リエンの背中は温かかった。そして、とても小さく感じられた。
「でも、僕はもう逃げたくないんです。自分の運命から、そしてあなたからも」
私は彼を正面から見据えた。
「記憶を戻してください。すべてを知った上で、僕はあなたを選びたい」
リエンは目を見開き、しばらく言葉を失っていた。
やがて、彼は観念したように息を吐き、優しく微笑んだ。
「……強いな、君は。私が思っていたよりもずっと」
彼は私の額に自分の額を合わせた。
「分かった。次の満月の夜、封印を解こう。ただし、覚悟してくれ。真実は残酷だ」
その夜のワインは、少しだけ苦く、そして深い味がした。




