第7話「封じられた記憶」
あの日以来、私とリエンの距離は急速に縮まった。
彼が夜な夜な島の結界を維持し、その代償として生命力を削っていることを知ってしまったからだ。
私は彼を支えたいと願うようになった。それが「番」としての本能なのか、あるいは吊り橋効果による錯覚なのかは分からない。ただ、傷つきながらも私を守ろうとする彼の姿に、胸が締め付けられるような愛おしさを覚えたのは事実だった。
リエンもまた、私に弱みを見せたことで、どこか張り詰めていた糸が緩んだようだった。
彼は昼間でも書斎に籠もることが減り、庭園で私とお茶を飲む時間を持つようになった。
風に揺れる木漏れ日の下、リエンが私の髪を梳く。その指先は優しく、まるで壊れ物を扱うようだ。
「アキラ、髪が伸びたね」
「切ってください、リエンさん」
「いや、このままでいい。私の色に染まっていくようで、そそる」
彼は私の髪に口づけを落とす。その瞳には、暗い所有欲と、蕩けるような甘さが同居していた。
私は少し顔を赤らめながら、カップに口をつけた。
平和な午後だった。このまま時間が止まってしまえばいいのに、と思うほどに。
だが、その平穏は長くは続かなかった。
ある日の午後、セバスが珍しく慌てた様子でテラスに現れた。
「旦那様、申し上げます」
リエンは不機嫌そうに眉をひそめた。私との時間を邪魔されるのが何よりも嫌いなのだ。
「なんだ、騒がしい」
「浜辺に……漂着物が」
その言葉に、リエンの表情が一変した。
鋭い眼光がセバスを射抜く。
「漂着物だと? 結界はどうなっている」
「綻びが生じている恐れがあります。通常なら弾かれるはずですが……」
リエンは無言で立ち上がった。その纏う空気は瞬時にして絶対的なアルファのものへと変わり、周囲の温度が下がったように感じる。
「アキラ、部屋に戻っていなさい。決して出てはいけない」
彼は私に命じると、風のように去っていった。
取り残された私は、不安に胸をざわつかせた。漂着物。この絶海の孤島に、外の世界から何かが流れ着いたというのか。
部屋に戻るフリをして、私はこっそりと後を追った。
浜辺へ続く小道を進む。心臓が早鐘を打っている。
岩場の陰からそっと覗くと、リエンとセバスが波打ち際に立っていた。
その足元には、黒い塊のようなものが転がっている。
近づいて目を凝らすと、それは木箱だった。古びていて、フジツボがびっしりと付着している。
リエンが杖でその箱を突くと、蓋が弾け飛んだ。
中から出てきたのは――人間ではなかった。
ボロボロになった衣服、錆びた剣、そして航海日誌のような革表紙の本。
リエンは日誌を拾い上げ、パラパラとめくった。
「……またか。『聖女』を探す愚か者どもの成れの果てだ」
聖女?
その単語が耳に飛び込んできた瞬間、頭の中に激しい痛みが走った。
――聖女様、どうか我々をお救いください。
――その力は世界を滅ぼす。封印しなければ。
知らないはずの記憶が、フラッシュバックのように脳裏を駆け巡る。
燃え盛る村、逃げ惑う人々、そして私に向けられる憎悪と崇拝の入り混じった視線。
「う、あぁ……!」
痛みに耐えきれず、私は呻き声を漏らしてしまった。
リエンが弾かれたように振り返る。
「アキラ!?」
彼の顔が驚愕に染まる。
私は頭を抱えてその場にうずくまった。
記憶の奔流が止まらない。私は誰だ? アキラ? それとも――?
リエンが駆け寄ってきて、私を強く抱きしめた。
「見るな! 思い出すな! 君はただのアキラだ、私の愛しいオメガだ!」
彼は必死に叫びながら、私の視界を塞ぐように顔を胸に押し付けた。
その体は小刻みに震えている。
彼のフェロモンが濃厚に漂い、暴走しそうな私の意識を強引に引き戻そうとする。
「忘れろ。すべて忘れろ。君の世界には私しかいない」
それは暗示であり、命令であり、そして懇願だった。
私はリエンの腕の中で、薄れゆく意識と共に、一つの確信を得ていた。
私は、ただの遭難者ではない。
この島に流れ着いたのも、リエンが私を隠しているのも、すべては私の「正体」に関係しているのだと。




