番外編「それぞれの鎖」
屋敷の執事であるセバスチャン――通称セバスは、瓦礫の散らばった地下祭壇を淡々と片付けていた。
主であるリエンと、その番であるアキラは、今は寝室で泥のように眠っていることだろう。激しい魔力の消耗と、魂を削るような記憶の共有を経たのだ。少なくとも丸一日は目を覚ますまい。
「やれやれ、若いというのは無鉄砲でいけませんな」
独り言をこぼしながら、セバスは杖を一振りし、散乱していた瓦礫を元の石材へと戻していく。魔法による修復作業はお手の物だ。
彼はかつて、リエンの生家である侯爵家に仕える筆頭執事だった。
幼い頃からリエンの才能を見抜き、その孤独に寄り添ってきた唯一の理解者。
リエンが聖女を連れて逃亡すると決めたとき、セバスは迷わず彼についていくことを選んだ。名誉も地位も年金も投げ打って。
それは忠誠心という言葉だけで片付けられるものではなかった。
強大すぎる魔力を持つがゆえに、誰からも理解されず、化け物のように恐れられていた孤独な少年。彼が初めて「守りたい」と願った存在が、あのアキラという青年だったのだ。
その切実な想いを、どうして見捨てることができようか。
「ですが、旦那様も人が悪い」
セバスは苦笑しながら、床に落ちていたアキラの靴を拾い上げた。
アキラは、この島を「牢獄」だと思っていた。リエンに監禁されていると。
だが、事実は少し違う。
この島にリエンとアキラを縛り付けていたのは、帝国の追手だけではない。もっと強大な、古の契約だ。
セバスは掃除の手を休め、テラスへと続く階段を上った。
夜の海風が心地よい。
崖の下、暗い海面を見下ろすと、そこには巨大な影がうごめいていた。
海龍だ。
かつてリエンが「島を飲み込もうとする怪物」と説明していた存在。
しかし、セバスは知っている。あれは監視者ではない。
守護者だ。
聖女の魂を守るために、古代の神々が遣わした揺りかごの番人。
リエンが毎晩行っていた儀式は、海龍と戦っていたのではなく、海龍に魔力を供給し、その守護の結界を維持するためのものだったのだ。
アキラに真実を話さなかったのは、彼に「自分は世界から隔絶された特別な存在だ」という重荷を背負わせたくなかったからなのだろう。
どこまでも不器用で、独りよがりな愛だ。
海面から、ザバァと水音がした。
海龍が長い首をもたげ、黄金の瞳でセバスを見上げている。その瞳は、以前のような威圧感はなく、どこか満足げに見えた。
「おやおや、あなた様も祝福しておられるのですか」
セバスは海龍に向かって恭しく一礼した。
海龍は低く喉を鳴らすと、静かに海中へと戻っていった。波紋だけが、月明かりに照らされて広がっていく。
この島を取り巻いていた「閉塞感」という名の鎖は、もはや存在しない。
二人は自らの意志でこの場所を選んだ。
それが意味することは大きい。
これからは、帝国の追手も容易には手出しできまい。番となった彼らの力は、海龍さえも従えるほどのものになったのだから。
「さて、明日の朝食は何にしましょうか」
セバスは踵を返し、厨房へと向かった。
きっと二人は、お腹を空かせて起きてくるはずだ。
とびきり甘いパンケーキと、温かいスープを用意しよう。
新しい生活の始まりにふさわしい、最高の朝食を。
老執事の足取りは、いつになく軽やかだった。




