第10話「解放と誓い」
地下祭壇に満ちていた静謐な空気は、瞬く間に殺気へと塗り替えられた。
空間を切り裂いて現れた帝国の兵士たちは、無機質な銀の仮面をつけ、手には魔力を帯びた長槍を携えている。その数は十人あまり。狭い祭壇の中では、十分すぎるほどの脅威だった。
「確保せよ! 抵抗するならばリエン・アル・ヴァイザの死体でも構わん!」
隊長の号令とともに、兵士たちが一斉に動き出す。
彼らの足元から魔法陣が展開され、炎や雷撃がリエンめがけて放たれた。
「小賢しい」
リエンは私の前に片手を掲げた。
彼の手のひらから薄氷のような青い光の膜が広がり、迫りくる魔法をすべて弾き返す。爆音が轟き、熱風が頬を撫でるが、リエンの背後にいる私には指一本の風圧すら届かない。
圧倒的な防御力。だが、リエンの顔色は優れない。
封印解除と結界の綻びで、彼の魔力はすでに限界に近いはずだ。額に玉のような汗が滲んでいるのが見える。
「アキラ、私の後ろから離れるな」
リエンは短く告げると、攻撃に転じた。
彼が指を鳴らすと、空間そのものが凍りついたかのように、兵士たちの動きが鈍る。氷の蔦が床から伸び上がり、彼らの足首を絡め取った。
「ぐっ、この化け物め!」
兵士の一人が槍を振り回し、氷を砕こうとする。
しかし、リエンの魔法はそれだけではなかった。彼が視線を向けただけで、兵士の槍が飴細工のように捻じ曲がる。
これが、かつて帝国最強と謳われた魔術師の力。
けれど、多勢に無勢だ。一人が氷に囚われている間に、別の三人が背後や側面から回り込んでくる。
リエンは私を守りながら戦っているため、動きが制限されていた。
「そこだ!」
死角から放たれた風の刃が、リエンの頬を浅く切り裂いた。
鮮血が飛ぶ。
「リエン!」
「問題ない。かすり傷だ」
彼は血を拭おうともせず、冷徹な瞳で敵を射抜く。だが、その呼吸が乱れ始めているのを、私は感じ取っていた。
このままでは、ジリ貧だ。リエンが倒れれば、私は連れ去られ、彼は殺される。
そんな結末は、絶対に嫌だ。
私は胸の前で手を強く握りしめた。
思い出せ。私の中にある力。かつて「聖女」と呼ばれ、人々が恐れ敬ったその源泉を。
それは破壊のための力ではない。癒やし、守り、そして「在るべき姿」に戻すための力。
オメガとしての本能が、アルファであるリエンの危機に激しく反応している。私の内側から、熱いマグマのような奔流が湧き上がってくる。
『助けたい。彼を、守りたい』
その純粋な願いが、引き金となった。
「……やめ、て」
私の口から紡がれた言葉は、祈りのようであり、絶対的な命令のようでもあった。
その瞬間、祭壇全体が純白の光に包まれた。
まばゆい光の中で、時間が止まったような静寂が訪れる。
襲いかかろうとしていた兵士たちが、金縛りにあったように動きを止めた。彼らの仮面の下から、困惑と恐怖の息遣いが漏れる。
「な、なんだこれは……体が、動かない!?」
「魔力が……消失していく……!」
私の放つ光は、彼らの持つ敵意や戦意そのものを、強制的に「無」へと還そうとしていた。
聖女の力とは、周囲のエネルギーを強制的に「調和」させるもの。戦意というノイズをかき消し、平穏を強いる絶対的な平和の強制。
リエンが驚愕に目を見開いて私を振り返る。
「アキラ、君は……」
私はふらつく足でリエンの隣に並び立った。
「もう、守られるだけの人形じゃありません。僕はあなたの番です」
リエンの手を取り、強く握りしめる。
私の力が彼に流れ込んでいく。枯渇しかけていた彼の魔力回路が、乾いた大地が水を吸い込むように潤っていくのがわかった。
オメガによるアルファへの魔力供給と身体強化。
リエンの瞳の色が、より深く、鮮烈な蒼へと変化した。
「……ああ、力が溢れてくる。君と繋がっているだけで、世界そのものを掌握できそうだ」
リエンは恍惚とした表情でつぶやくと、再び敵に向き直った。
今度は、先ほどまでの疲弊した彼ではない。完全な力を取り戻し、さらにそれを上回る「番」としての力を得た最強の魔術師だ。
「さて、帝国の犬ども。私の愛し子が慈悲をかけているうちに、消えるがいい」
リエンが右手を振るう。
暴力的なまでの暴風が巻き起こった。しかし、それは私には優しく、敵に対してのみ猛威を振るう選別された嵐だった。
兵士たちは木の葉のように吹き飛ばされ、彼らが開けた空間の裂け目へと次々に放り込まれていく。
「お、覚えていろリエン! 帝国は決して……うわぁぁッ!」
隊長の捨て台詞は、閉じていく空間の彼方に消えた。
最後に残ったのは、嵐が過ぎ去った後の静寂と、床に散らばった銀の仮面だけだった。
その静寂を破るように、パキン、と硬質な音が響いた。
足元を見ると、砕け散った金属片がきらきらと光りながら転がっていた。私の首元を締め付けていた、あの首輪だ。
リエンの魔力によって維持されていた拘束が、私たちの魂が真に結ばれたことで不要となり、弾け飛んだのかもしれない。
リエンは杖を降ろし、深い息を吐いた。
そして、崩れ落ちそうになった私を慌てて抱き止める。
「アキラ!」
「大丈夫……です。ちょっと、力が抜けちゃって」
緊張の糸が切れ、全身の力が抜けていく。けれど、その脱力感は心地よかった。
リエンは私を強く抱きしめ、髪に顔を埋めた。
「すまない。君に戦わせてしまった」
「ううん。二人で戦ったんです」
私は彼の背中に手を回し、その体温を確かめた。生きている。二人とも、無事だ。
「リエンさん」
「なんだい」
「この島は、もう牢獄じゃありません。僕たちの城です」
私の言葉に、リエンは顔を上げ、涙ぐんだ瞳で微笑んだ。
「ああ、そうだね。君がいてくれるなら、ここは世界で一番自由な場所だ」
二つの月が窓から差し込み、抱き合う私たちを祝福するように照らしていた。
かつて私を縛っていた冷たい金属の感触はもうない。あるのは、目には見えないけれど、決して切れることのない温かな絆だけだ。
私はもう、どこへも帰らない。ここが私の帰る場所だから。




