もしも私が神であったなら
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もしも私が神であったなら、
このような世界を創りはしなかっただろう。
心を病んだ——それは今やどこにでも転がる言葉だ。
けれど個人にとってそれは、ある日突然、足元の地面が崩れ落ち、自分が氷の上に立っていたのだと知る瞬間だ。
何も信じられず、世界のすべてが自分を拒絶する。
そのとき、人生は音もなく否定され、未来は静かに閉ざされる。
異動先の上司は、私にだけ冷たかった。
声をかけても、返ってくるのは嘲笑のような言葉だけ。
顔を向けることさえなく、無視よりも残酷な、軽蔑の色を帯びた視線があった。
「そういう人だ」と、他人は言った。
「あなたの前任にも同じ態度だった」と。
つまり私個人に非があるわけではない。
——そう、頭では理解していた。
けれど、その上司は他の者には笑いかけた。
些細な雑談に目を細め、相談に快く応じ、時には冗談を交わして笑い合う。
その表情を見たとき、私は世界の中で自分だけが排除されたような錯覚に囚われた。
そんな日々が続くにつれ、私の心は乾いていく。
理解と納得は別物だ。
私は、私という存在そのものが拒まれているように感じた。
否定の矢は、誰の手から放たれたものであろうと、
自分の胸に突き立てば、それはもう他人事ではない。
私は優秀な人間を演じてきた。
愚かで、脆く、怯える自分を見せるまいと、仮面の裏で息を殺して生きてきた。
だが、仮面は次第に皮膚と癒着し、ついには剥がすことも、表情を変えることもできなくなった。
そうして、静かに終わりが訪れた。
壊れた心は、救いを求めて手を伸ばした。
確かに、誰かの温もりを掴んだ気がした。
けれどその手は、途中で私の手をあっさりと突き放した。
傷つけられたことに憤り、矢を打ち返した私に、呆れたのだろう。
あのぬくもりは、唐突に消えた。
周囲は心配してくれた。
けれどそれは、表層を撫でるような優しさでしかなかった。
家族は言った。
「甘えているだけだ」と。
彼らの言葉は正論であり、同時に刃だった。
街を歩く。
人々の顔には、微笑と疲労が重なり合い、誰もが仮面の下で泣いているように見えた。
彼らは互いを傷つけ、また傷つけられ、それでもなお、生きるふりを続けている。
私もその一人なのだろう。
私は恐ろしい。
他人を憎みながら、その憎しみを糧に生き延びようとする自分が。
壊れたままでも呼吸している、この生々しい心が。
もしも神がいるのなら、なぜ黙しているのか。
なぜ人に、このような脆い心を与えたのか。
矢を射る者と、救いの手を差し出す者を、なぜ同じ地平に立たせたのか。
そしてその両面を、何故人は合わせ持つのか。
この不均衡を、神はどこから眺めているのか。
私は思う。
神がいるなら、恐ろしい。
だが、神がいないのなら、もっと恐ろしい。
神がいないのなら、
この世界の冷たさも、残酷さも、
すべて人の手によるものになるのだから。
そして私は——
その「人」という括りの中に、確かに存在している。
その事実が、たまらなく恐ろしい。




