メルティア_ス
「じゃあ、出掛けてくるねえ」
「いってら〜」
妹に見送られて、俺は玄関から外に出る。瞬間、真夏の眩しい日差しが俺の肌を刺す。すぐに日傘を開くも、夏の蒸し暑い熱波からは逃れる事が出来ず、こんな蒸し風呂の中を歩くのか、と歩く前から辟易しながら、嘆息と共に一歩を踏み出す。
外を歩く人間の数は少ない。当然だろう。誰もこんな熱に浮かされたようなニッポンの夏、それも真っ昼間に外出する人間などそうそういない。
男が日傘を差すようになったのも今は昔。夏に日傘を差さない人間はいない。外国からの観光客だって、夏に日本に来るなら、日傘はマストな時代だ。店先で売られる色とりどりの日傘は、夏の観光客のお土産上位だ。
「はあ。何でこんな真っ昼間にコンビニ行かにゃならんのだ」
分かっている。妹とのジャンケンに負けたからだ。だからアイスを買いに行かされたのだ。今の時代、夏ならデリバリーで買い物を済ますのが日本人の基本だが、残念な事に、俺の懐がそれを許してくれなかった。二人分のデリバリーを頼むには小遣いが足りなく、仕方なく近くのコンビニに行かなければならず、こうして外に出た訳だ。
うだるような暑さ、と言うよりも茹で上がるような暑さに苛まれながら、ふらふらになりながらも、何とかコンビニに逃げ込む。
「らっしゃいませー」
「涼しい〜〜」
覇気のない店員の声をBGMに、汗だくだくの身体を冷やす。
「…………いや、涼しくないな」
思った程店内が涼しくない現実に、思わず眉根を寄せて店員へ視線を送れば、
「すみませーん。これでもエアコンの温度は冷房最大なんですよー」
気のない返事。しかしそんな理由であれば、文句も言えない。俺はまた嘆息をこぼしながら、冷凍コーナーへ向かう。誰も考える事は同じらしく、店内の冷凍庫はほぼすっからかんで、冷凍食品も、氷も、殆ど残っていない。目当てのアイスともなれば、何とか妹の分も含めて二つ残っていたのみだ。
俺は無造作に冷凍庫を開けると、流石に少しだけひんやりする冷凍庫から、アイスを二つ取り出し、レジに持っていく。
「300円っす」
電子決済でレジを済ますと、コンビニから出ようと出入り口の取っ手を掴む。熱い。店内側の取っ手だと言うのに、日光がここまで入ってくるからか、店内側でも取っ手が熱かった。これは覚悟して外に出なければ……、とごくりと唾を飲み込みながら外に出る。
「……暑っつ!!!?」
その暑さに思わず大声が出て、直ぐ様日傘の陰に隠れるも、やはりそれ程暑さは変わらず、俺は堪らずに今さっき買ったばかりのアイスを一つエコバッグから取り出すと、袋を開けて中身を取り出す。
べちゃり。
中身を取り出した瞬間、アイスが溶けて棒からこぼれ落ちた。うん、分かっていた。こうなるって分かっていた。だよね~、と思いながら、この分だともう片方の妹の分も、既に袋の中で溶けてべちゃべちゃになっている事だろう。と内心確信しながら、湯立ったアイスをエコバッグに入れたまま、家路に着く。
それにしても暑い。暑いを通り越して熱い。熱いを通り越して痛い。そう思いながら、ふらふらと歩く。もう真っ直ぐ歩けない。右へふらふら、左へふらふら歩きながら、ゴチンと電信柱に頭をぶつけ、痛いなあ、と見上げれば、電信柱がぐにゃりと歪んで見える。
「は、ははは……。電信柱まで溶けているや」
熱に浮かされ、視界も歪んでいるのだろう。もう自分は熱中症確定だな。と思いながら、歩き続ける。視界は更に歪み、視界に入ってくる何もかもが溶けて見える。遠くに見えるビルも、道路と家を隔てる壁も、その向こうの家々も、世界が溶けて見える。車も、信号も、横断歩道も、道路自体も、溶けて歪み、混ざって滲んだ水彩画のような世界の中を、歩けど歩けど進んでいる気がしない。
おかしいなあ、と下を見れば、歪んだ道路がぐにゃぐにゃで、まるで泥に足を突っ込んだかのように足が道路にめり込んでいる。
「ははは……」
とうとう頭までおかしくなってきたのか、と思いながら、ぬちゃりぬちゃりと泥の中を歩いていくも、まるで底なし沼にでもハマったかのように、歩く程にずぶずぶと足が道路に沈んでいき、今や俺の腰まで道路に埋まってしまった。
流石にこれはおかしいだろう? と周囲を見回せば、溶けた世界は更に溶け、車も電信柱も道路に沈み込み、壁も家も溶けたアイスのようにぐにゃぐにゃとなりながら沈み込んでいく。
「何だこりゃあ」
俺が驚いている間に、日傘が溶けた。傘の骨組みだけ残して布が溶けた。同時に厳しい日差しに晒されて、骨組みまで溶け出し、訳が分からず咄嗟に傘を手放す。
「どうなってんだ?」
溶けて地面と同化した傘に目を奪われている間に、エコバッグが溶けて地面に染み込み、もうどうしよう? と天を仰げば、白い雲は青い空と混ざり合い、太陽からは雫がこぼれ落ちている。小学生の下手な絵でも見せられているかのようで、もう歩く気力も湧かない。熱に浮かされ仰向けに倒れると、俺の身体はずぶずぶと地面に飲み込まれていく。そんな中で見える世界は、全てがマーブル模様に溶けて混ざり合っていく。世界が溶けていく。
✕✕✕✕.〇〇.△△
その日、国際宇宙ステーションから地球を観察していた宇宙飛行士たちは驚きで言葉を失っていた。
地球からの交信が途絶えたかと思ったら、ある宇宙飛行士の上げた声に釣られて、ステーション内の全員が地球に目を向けると、何と地球が溶け出したのだ。それはまるで丸いアイスが溶け出したかのようで、宇宙に滲み出て、宇宙の紺青色と混ざり合い、何万何億光年先で眩しく光る星々と混ざると、星はパチパチと弾けて溶けていく。それは不思議な光景で、子供の見る夢のようでありながら、同時に目が醒めるように神秘的で、その、見続ける事に抗えない光景に見惚れていた宇宙飛行士たちは、いつまでもその光景を見続け、そしてその幸福な光景に見惚れながら、宇宙に溶けていったのだった。