表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

残された男爵令嬢の新しい婚約者

作者: 龍 たまみ

似たような流れの物語を現実世界バージョンで以前、投稿したのですが、異世界バージョンだとどんな物語になるのか個人的探究心から書いてみた作品です。ゆるふわ設定ですので、ご了承願います。

どうぞ宜しくお願い致します。

 私はカトリーナ・モンテローザ男爵令嬢、十六歳。

 王都から離れた穀倉地帯に住んでいる。

 私には今年十八歳になる許嫁のガブリエルがいて、来年の春が来たら騎士をしていている彼のところに嫁ぐことが決まっている。


 雪が深く積もり始めた頃。

 隣国との国境に面している駐屯地にガブリエルは遠征に行ってしまった。

 筆まめな彼は離れていても、定期的に手紙を送ってきてくれるので、そんなに寂しくはない。


 今日、届けられた文には隣国との境にある町が雪で孤立していないか、険しい山道を通って確認しに行くと書かれている。


「ガブリエル、温かくして過ごしていたらいいのだけれど…彼が、こちらに帰ってくる時には彼の好物の豆のスープを用意したら喜んでくれるかしら」


 そんな呑気なことを考えていた。


 ■■■


 それから一週間後。

 私の返事の手紙は届いていないと思うけれど、一通の手紙が届いた。

 差出人はガブリエルが所属している騎士団の団長からだ。


 彼に何かあったのかしら…


 不安になりながら、開いた手紙には彼が雪崩に巻き込まれて亡くなったと書かれている。団長は、なぜ彼が亡くなってしまったのか、状況を詳しく書き記してくれている。


 どうやら、同じ雪道をすれ違った母親の薬を買いに歩いていた少女を助けようとして、雪崩の中に自ら突っ込んでいったらしい。


 ガブリエルが大きな身体で包み込むようにして少女を抱えたため、少女は雪の中から発見された時も軽い凍傷だけで済んだと書かれている。

 雪の下から発見された時に、ガブリエルもまだ息はあったらしい。

 ただ頭をぶつけたのと、手足に損傷が見受けられ、それで死に至ったのだと考えられると説明がなされていた。


 最期を看取ってくれた騎士団員がガブリエルには許嫁がいることを知っていたため、上司に報告して私のところにも不幸な事故だったのだと手紙を送ってきてくれたらしい。


「ガブリエル…私を置いていっちゃったの? なんで先に逝ってしまったの!!」


 行き場のない想いが溢れ出て涙が止まらない。

 張り裂けそうな胸の痛みがこみ上げてきて、嗚咽がこぼれる。


 幸せな家庭を築こうねって言ったのに…。

 まだあなたの好きな豆のスープも食べてもらっていないのに…。

 ガブリエルの腕の中で強く抱きしめてもらいたい…。


 私はその手紙を何度も読み返しては、愛していたガブリエルのことを思い出し枕を濡らした。


 ■■■


 ガブリエルの訃報から三日後。

 突然、許嫁を失った私を心配した父が書斎から一つの本を持って、私の寝室までやってきた。


「カトリーナ…。ちょっといいかい?」

「……えぇ……」


 泣きはらした瞼を持ち上げて、部屋に置かれているソファに座ると父が手に持っていた色褪せている本をそっと私に手渡した。


「カトリーナ…これは我が家に代々伝わる当主の手記なのだが、一つ不思議なことが書かれているページがあるんだ。見てごらん」


 父は、大きくて温かい手で私の肩を抱きしめながら、その不思議な事が書かれているというページを開いて差し出してきた。


 数行読むと、私は父からその本を奪い、一文字も見落とさないように丁寧に読んでいく。


「お父様…これって…」

「あぁ、不思議だろう。こんなことは出来ないと思うけれど……真面目な当主たちが数人、この記載について触れているんだ。『嘘ではない。可能だ』と」


 震える手の中の手記には、私の住む男爵領のはずれにあるダール湖に行けば、一度だけ亡くなった人に逢えると書かれている。


 しかも条件まで事細かに記載されていた。


 ■■■


 私は、そのダール湖の真偽を確かめようと街道沿いの景色を眺めながら、父の用意してくれた馬車に揺られている。


「…本当なのかしら…」


 大きなため息を付きながら、書斎にあった代々当主が書き残した現象が真実であればいいのにと願って止まない。


 馬車で揺られている私の膝の上には、小さな紙袋。

 私の好きなピンク色のリボンがついた小さな箱が紙袋の中には入っている。


「ガブリエルに会いたい…」


 一縷の望みをかけて、胸の痛みをこらえながらもダール湖に向かう。

 書かれている事は起きないかもしれない。

 でも、もし本当なら……チャンスは今日しかない。

 そんな不安を胸に私はその紙袋をギュッと両手で握り締める。


 馬車で揺られながらも、ガブリエルと過ごした日々が鮮明に蘇る。

 ガブリエルは背も高く、とても温厚な性格だ。

 自分よりも困っている人がいたら、迷わず手を差し伸べる。

 そういう彼の性格に魅力を感じていたし、とても愛おしいと感じている。

 馬に乗って、私のもとに手を振りながら駆けてくる姿もとても凛々しくて眩しかった。

 私はそんな彼を愛している。


 国境沿いの遠征に向かう前日のことを思い出す。

 私の男爵家にやってきた彼は、いつものように

「行ってくるから、戻ってきたら美味しいスープを作ってね」

 と言ってお別れをした。


 それが私が彼と言葉を交わし、抱擁をした最後。


 ガブリエルは雪崩に巻き込まれそうになった少女を助けようとして亡くなってしまった。


 ガブリエルが許嫁になったのは、私が三歳の時だ。

 もともと私の家とガブリエルの家は祖父同士が学び舎の同級生だった縁から、とても仲が良く、お互い孫が出来たら結婚させたいと言っていたらしい。


 祖父が決めた相手だったけれど、私はガブリエルの許嫁であることが本当に幸せだった。ずっと彼しか見てこなかった。彼がいればそれで満たされていた。


 お互いが愛情をゆっくりと育んで、温めてきた恋愛結婚になると思っていたのに…


 ガブリエルのことを思い返してみると、幼少期は私に虫を見せて驚かせたり、いたずらもした。家庭教師の勉強でわからない部分があるといつも丁寧に教えてくれた。

 騎士団に入る前に、必死で剣術の稽古をしているガブリエルの姿も未だに目に焼き付いている。


 次々、ガブリエルとの思い出が溢れ出てしまって馬車の中だというのに、涙が溢れ出す。


「カトリーナ、しっかりしなさい。今は泣いちゃダメ」


 私は、自分に言い聞かせながら、目が腫れないように細心の注意を払う。


 ダール湖でガブリエルに会えるかもしれない。

 泣き顔なんて見せたら、ガブリエルが安心してあの世に行けなくなってしまう。


 そう思って、私はガブリエルとお揃いの柄で刺繍したハンカチで目元の雫を拭う。


 先祖の手記によると、亡くなって四十九日が経つ前にしか起こらない現象と書かれている。満月が湖の湖面に映り込んでいる間、亡くなった人に逢えるらしい。


 満月の周期は約二十九日。


 だから、亡くなった人が死んで四十九日経過してしまうとダール湖に行っても逢えないから、会えるチャンスは一度きりだと注意事項として記載されていた。


 ガブリエルのご家族にもダール湖に行きませんかと声をかけたけれど、まだガブリエルの死を受け止められていないし、弔問客の対応に追われているから行けないと断られてしまった。


 さすがにガブリエルのご両親も迷信めいた内容だから、信じられなかったのかもしれない。それでも、もし逢えたら伝えて欲しいことがあるのだと、しっかり伝言は預かっている。


 もし逢えたなら、ご家族の思いも伝えてあげたい。


 そんなことを考えて馬車で揺られていたら、夕方にはダール湖に到着することができた。父と護衛も心配してついて来てくれたけれど、少し距離を置いて離れているから、もしガブリエルと再会できたら、後悔しないように話したいことを話しなさいと気遣ってくれる。


 ガブリエルにもし逢えたら伝えたいことを書き記してきた。

 そのメモを何度も読み返して、静かにその時が来るのを待つ。


 ■■■


 夜がやってきた。


 日が暮れてから、満月が空高く昇って湖面に映り込むのを今か今かと胸に手を当てて待つ。


 その時。


 風がなくなり、湖面に満月が映し出される。

 綺麗な満月が映りこんでいる湖の縁に両膝をついて、水面に顔を近づけてみる。


「ガブリエル…私よ、カトリーナよ。もしいるなら出てきて頂戴。あなたに逢いたくてたまらないの…ガブリエル!! カトリーナよ!!」


 私は湖の水面を上から覗き込むようにして、逢いたいガブリエルの名前を何度も呼ぶ。


 ガブリエルの名前を呼んでから、数秒すると私の名前を呼ぶ声が水の中から聴こえてきた。


「カトリーナ! カトリーナ!!!」

「ガブリエル!!」


 目の前の湖の中には、愛してやまないガブリエルの姿がある。


「ガブリエル!! 会いたかったわ。とっても!!」

「俺もだよ。ごめんね、こんなことになって……カトリーナ…不安にさせてしまったよね。いっぱい泣かしてしまったよね」


 ガブリエルは、泣きはらして瞼が腫れている私の表情で察しがついたのだろう。

 毎日ガブリエルを思い出して涙を流しているけれど、今日くらい……最後くらい笑顔で会いたい。


 ガブリエルを安心させたい私は、できる限り泣かないでおこうと心に決めて、ガブリエルの優しい眼差しを見つめ返す。


「あなたがいなくて寂しいけれど、今はまた会えて幸せよ。もう会えないと思っていたの」

「そうだね。俺も…カトリーナが心配でたまらなかったよ」


「……ガブリエル…私を置いていくなんてひどいじゃない」

「そうだね。俺もまさかこんな若さで死んでしまうとは思っていなかったんだけど、誰かが困っているのを見捨てることはできなくてね。身体が勝手に動いてしまったんだ…」


 ガブリエルの気持ちを考えれば、いきなり人生が終わってしまったのだから心残りもあるはずだ。

 しかも、自分も助かると思って、襲い来る雪崩に立ち向かったに違いない。


 ガブリエルは、真剣な表情になると大きく息を吸い込み大事な言葉を私に告げてくれる。


「俺ね…カトリーナとこれからもずっと一緒にいたいと思っていたよ。おじいちゃん、おばあちゃんになるまでね。心から愛しているよ」


「ガブリエル、私も愛しているわ。離れたくない…」

「カトリーナと家庭も持って、可愛い子供たちに囲まれながら過ごすのが…夢だったんだ」


 私は叶わない夢を語り始めたガブリエルの気持ちも、自分の行き場のない気持ちもどうしたらいいかわからずに、静かに水面に涙を落とした。


「カトリーナ…お願いだから、泣かないで。先に逝ってしまった俺が言うのも申し訳ないけれど」

「わかっているのだけれど…あなたが傍にいないと思うと、涙が出ちゃうの…ずっと傍にいて欲しいの…」


「ごめんね…」


 叶わなくなってしまった未来に、ガブリエルは謝罪だけを口にした。


 湖面に映るガブリエルが私の頭を撫でようと腕を伸ばしてくるけれど、その手が私の頭に触れることはない。それを目の当たりにして、彼の肉体は本当にないのだと思い知らされた。


 私は、満月が位置を確認しながら、まだガブリエルと話す時間があることに胸をなで下ろす。


「そういえば、ガブリエルに聞きたいことがあったの」


 私は、ガブリエルに伝えないといけないことを思い出す。


「ねぇ、この紙袋って……騎士団の方が届けてくれたんだけど」

「あぁ!! 良かった! 受け取ってくれたんだね。 これはね、雪崩に巻き込まれる日に見回りをした小さな街で買ったカトリーナへのプレゼントなんだ」


「雪崩の日…」


 彼が生きていた時に、最後に私のために選んで買ってくれたプレゼントになる。遠方にいても、私のことを想って選んでくれたことがこれほど嬉しいとは思っていなかった。


 私へのプレゼントとして購入した紙袋は、彼の騎士団服の胸ポケットの中に大事に入っていて、雪崩に流されることはなかったらしい。

 少しだけ紙袋がしわくちゃなのは、雪崩に巻き込まれた時の衝撃を少なからず受けたようと騎士団の人が教えてくれた。


「カトリーナ。その箱の包みを開けてみてくれる?」

「わかったわ。ちょっと待ってね」


 紙袋の中から、少し凹んだ小さな包みを取り出し、ピンクのリボンをほどく。


 蓋を開けると中には、恋人同士がペアで使うエメラルドグリーンの平たい魔石のついたペンダントが入っていた。


「カトリーナと俺と二人で身につけたいなと思って買ったんだ。離れていても、常にお互いを感じられるかなぁって思ってさ。どうかなぁ?」


 ガブリエルは、私が気に入ってくれるのか不安そうな顔をしながら、私の瞳を見つめてくる。

 私が、彼からの贈り物なら何でも嬉しいのに。


「すごく素敵ね!! とっても魔石が綺麗で気に入ったわ!! ありがとう」


 手のひらに乗せた魔石付きのペンダントを湖の水に映っているガブリエルにも見せる。


 お月様を形どったペンダントで、二つのエメラルドグリーンの色をした魔石を合わせると満月の形になる。


 私が喜んで、本来なら二人で身につけるべきペンダントをガブリエルに見せると、ガブリエルが少し眉を下げて申し訳なさそうに気が付いたことを告げる。


「カトリーナ…ごめんね。片方のペンダントは…雪崩に巻き込まれたせいか魔石が少し歪んでしまってるね。その歪んだペンダントの方を俺がもらおうかな」


 ガブリエルがそう言うので、よくよく一対になるお揃いのペンダントを見比べると、確かに片方だけ表面が真っ直ぐではなくて歪んでしまっていた。


「そんなこと、気にしなくてもいいのに…。私はガブリエルとお揃いなだけで、幸せよ」

「相変わらず優しいね…ほら、歪んでいるペンダントをこっちに渡してくれるかい?」


 ガブリエルが片方のペンダントを渡すように催促してくるから、私は歪んでいる方のペンダントを湖の水の中にそっと沈める。


「あっ」


 不思議なことに手の中に握って持っていたはずのペンダントが、静かに消えていく感覚があった。


 慌てて水の中を覗きこむと、映し出されたガブリエルがペンダントを手に持って見せてくれる。


「不思議ね!!」

「本当だね」


 そう言いながら、二人でペンダントを片方ずつ身に着けた。

 本当なら彼に付けてもらいたかったし、私も彼の首につけてあげたかったけれど、それは叶わない。


 それから、私はガブリエルの家族から渡された手紙をカバンから取り出す。


「ガブリエル。これはご家族の皆様からの手紙だって預かってきたわ。『私たちの子供に生まれてきてくれてありがとう』って、おっしゃっていたわ」


「そうか……親より先に逝くなんて…申し訳ないことをしたな。愛情をたっぷり与えて育ててくれて本当に感謝しているって伝えてもらえると嬉しい。十分、幸せだったよってね」


「ガブリエル、わかったわ。必ず、伝えておくわ。手紙も湖の中に入れるわよ。しっかり受け取ってね」


 少しでもしんみりとしないように、わざと元気な声でご家族から預かった手紙を水の中に入れると、それも一瞬のうちに消えてしまった。


「手紙、受け取れたかしら?」

「あぁ。ありがとう。確かに受け取ったよ」


 ペンダントを首にかけたガブリエルの手には、確かに手紙がある。


「ガブリエル…そろそろ時間かもしれないわ。忘れ物はない? 手紙もペンダントも持っているのよね?」


 私は西の空に傾き、林の木々に隠れそうになる満月の位置を見て、残された時間が少ないのだと気が付く。


「あぁ、持っているよ」


 これが本当にガブリエルとの最期の別れだと意識すると、急に胸が締め付けられる。

 苦しくて、痛い。

 泣かないように涙をこらえるけれど上手くコントロールはできなかった。


「カトリーナ。…俺がいなくなっても、将来、カトリーナを幸せにしてくれる人が現れたら、遠慮せずに幸せになっていいからね」


「嫌よ……あなたの口からそんなこと聞きたくないわ」


 私は、首を横に振りながら否定するけれど、ガブリエルは大事なことだから覚えておいて欲しいと言う。


「将来のことなんてわからないわ。ガブリエルよりも素敵な人に出逢えるかわからないもの」


「そうだね。俺以上の人を見つけるのは、難しいかもしれないね。俺がカトリーナをずっと愛しているのは死んでも変わらないよ。俺の身体は無くなるけれど、心はいつも寄り添っているから。大丈夫だよ。必ず…また逢えるから。信じて。会いに行くからね」


「……わかったわ。また会える日を…楽しみにしているわ」

「ありがとう。愛しているよ、カトリーナ」

「私も愛してるわ。ガブリエル」


 私は水面に顔を近づけて、ガブリエルとキスをしようとする。

 冷たい水面に唇が触れた。

 ゆっくり瞼を開けると、目の前の手が届きそうな場所にガブリエルの優しい笑顔があった。


 その言葉を最後に、湖の水の中にいたガブリエルが目を細めて微笑むと、静かにスーっと姿が消えてしまった。


 ■■

 ガブリエルが亡くなって三年が過ぎ、私は十九歳になった。

 私はガブリエルからもらったペンダントを今も毎日、身に着けている。


 そんなある日。


 今日は、騎士団が日々の鍛錬の成果をお披露目する模擬試合が開催されるため、私は両親と共に王都に向かった。

 ガブリエルと共に過ごした騎士団の頑張りを、この目で見て、ガブリエルにもいつか伝えることができたらいいと思っている。


 今の私には許嫁はいない。婚約もしていない。

 ガブリエルを失った悲しみに憂いている私に、無理に婚約者として誰かをあてがったりせずに、心が平穏になる日々を両親はずっと待っていてくれている。


「ねぇ、騎士団員のアンドリュー様、ご覧になりました?!」

「えぇ、とっても素敵な方ですわね。ルフト侯爵家の養子の方だとお聞きしましたわ」

「お子様がいらっしゃらないルフト侯爵家は遠縁にあたるアンドリュー様を養子に迎えて、跡を継いでもらうらしいですわよ」


 周りの貴族令嬢は、アンドリュー様という騎士団員の話に色めきだっていた。それほど、容姿が整っているのだろう。人柄も申し分ないのかもしれない。


 私には関係ないことだと思いながら、彼女たちの横を通り過ぎて会場の爵位ごとに分けられた自分の座席を目指す。


 そんな折、ルフト侯爵ご夫妻に挨拶をして模擬試合会場に向かう、背の高い男性とすれ違った。


「あの……初めまして…アンドリュー・ルフトと申します。恐れ入りますが、あなたのお名前もお聞きしても宜しいでしょうか?」


 急に立ち止まった背の高い男性は、いきなり自らの名前を名乗り私に挨拶をしてきた。


「初めまして。私はカトリーナ・モンテローザと申します」


 爵位が下の私は、きちんと挨拶をする必要があると考え、自己紹介をした。私の名前を確認したアンドリューは、一瞬、目を見開いたように見える。


「模擬試合、応援していますわ」

「カトリーナ嬢、ありがとうございます」


 社交辞令で応援すると伝えたものの、それを本気で受け取ったアンドリューは真面目な顔をして試合会場に向かっていった。


 不思議なお方…

 他のご令嬢にも、あのような感じで挨拶されているのかしら?


 私は、奇妙な男性とのやり取りに一瞬気をとられながらも、笑顔は確かに噂通り素敵ねと内心感じていた。


 模擬試合はトーナメント戦になっていて、先ほどのアンドリューはどんどん勝ち上がっていった。


 そして、彼が見事優勝して、試合会場の舞台の上から私の方を見た気がしたため、私も笑顔を変えそうとアンドリューの瞳に視線を向ける。


 アンドリューと目が合った瞬間。


 身体が…心の中で何かが打ち震えるような感覚に襲われる。

 何かしら…体調は悪くないけれど…。


 首を傾げた私は、アンドリューがずっと私の方を見ていることに気が付いていなかった。


 ■■■


 模擬試合の翌日。

 訪問の手紙を事前にいただき、私の両親はあたふたしていた。

 昨日、会ったばかりのアンドリューが我が家に訪問したいと申し出てきたからだ。


 しかも、アンドリューは訪問だけに留まらず、我が家の応接室で私に婚約者になって欲しいと告げてきた。

 私も、アンドリューの瞳を見つめる度に、胸が多幸感に満たされ、胸が震える感じがするため、その婚約を承諾した。


 ガブリエルのことも大事だけれど、年老いていく両親に心配してもらう日々もそろそろ終わりにして、嫁いだ方がいいと思ったからだ。


 それから、しばらく婚約者として私たちは手紙をやり取りしたり、時々、一緒に外出をしてお互いの仲を深めていった。


 ■■■


「カトリーナ。どうか私の伴侶となってはくれないだろうか」


 私の二十歳の誕生日の日、アンドリューはそろそろ結婚しようと告げてきた。


「えぇ、至らないこともあると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします!」


 私が結婚の申し入れを受けた日。

 私の男爵家の庭にあるガゼボで、アンドリューはプロポーズの他に大事な話があると告げてきた。


 何かしら…

 何を告げられるのか不安になりながら、ベンチに座るとアンドリューは大きくて逞しい両手で、私の手を包みこんだ。


「さきほどは婚姻の申し出を受けてくれてありがとう。でも、その前に話して置かないといけないことがあるんだ。」 


 アンドリューは、胸元のボタンをはずしながら神妙な面持ちでシャツの前を開けて私に肌を見せる。彼の指先の動きを見ていた私は、目が釘付けになった。


「えっ?!」

「ごめん…驚いたよね。実は三年ほど前、魔物に襲われたことがあってね。当時は、死にかけたんだけど、騎士団の魔術師によって心臓移植を行ってもらい、何とか生きながらえたという過去があるんだ」


 アンドリューの胸にある治療創を見せてくれる。肌が引きつれている場所もあり、魔術を使ったとはいえ大変な移植だったということは一目でわかった。


 でも、私が驚いて声を発したのは魔術師によって行われた治療創のせいではない。

 震える指先で、彼の首元に指を這わせる。


「これ…どうしたの?」


 私は、見覚えのあるガブリエルに渡したはずの歪んだ魔石のペンダントがなぜアンドリューが持っているのか、理解できなかった。


 確かにダール湖でガブリエルに渡したはずだ。

 それをなぜアンドリューが持っているのだろう。

 その忘れもしない歪んだペンダントが、今、目の前にある。


「あぁ、これはね…不思議な話なんだけれど…魔術師が心臓移植が終えたら、なぜか枕元に置いてあったそうなんだ。誰の持ち物かはわからないのだけれどね」


「……うそ……」


 私は、もう生涯見る事はないだろうと思っていた、対になっているペンダントの片方が目の前にあることに驚き、言葉をうまく発することができない。

 震える手でそっとペンダントを撫でると、確かに魔石には歪みがある。


「……ガ、ガブリエル?……」


 私は、ついアンドリューに向かってかつて愛していた人の名を口にしてしまった。

 それでもアンドリューは嫌な顔をすることもない。


「……なんだか胸が締め付けられるんだ、カトリーナを見ていると。大切にしたくて……渇望していた人に出逢ったような感覚に陥るんだ。なぜだろう…」


「まさか……ガブリエル、ここにいるの?」


 私はアンドリューの心臓を移植したという治療創にそっと手をのせる。


 ”カトリーナ…また逢えたね”


 手のひらから、アンドリューの体温に加えて切ないほど懐かしい声が聴こえたような気がした。


「カトリーナは…この心臓の持ち主を知っているの? 私は彼のおかげで…心臓だけでなく傷ついた内臓を一部移植してもらい、生きながらえることができたんだ」


「えぇ、知っている人よ。ガブリエルというのは…私が愛していた人よ。でも、もうこの世にはいない思っていたわ。…アンドリューと共に生きてきたのね」


「そうなのか…だから、カトリーナを一目見た時から心臓が騒がしかったんだな」


 それから、私はガブリエルが亡くなった当時のことを思い出した。


 ガブリエルのご両親はガブリエルの生前の意思により、脳と手足はダメージを受けてしまったけれど、内臓は守られていたからやるべきことが残っていると話していたことを思い出す。


 当時は、何のことかわからなかったけれど、ガブリエルは自分の身体が他人の治療に役に立つのなら、使って欲しいと願うような人間だったのは間違いない。


 ガブリエルのご両親が詳しく語らなかったからわからなかったけれど、ガブリエルは使える臓器を魔術によって他者に提供することにより、誰かと一緒に生き続けているのかもしれない。


「カトリーナ、この心臓を提供してくれた人の気持ちと…想いと共に、君を幸せにしてもいいだろうか」


 アンドリューは、私の膝に置かれた震える手の上に大きな手を重ねて、私の溢れ出る涙を温かい親指で拭った後、もう一度、婚姻の申し込みをしてくれる。


「えぇ、アンドリューと引き合わせてくれたのは、心配性のガブリエルのような気がします。私の事をずっと気にかけてくれていたのね…こちらこそどうぞ宜しくお願い致します」


 私は涙がまだ溢れてどうしようもないけれど、そんなことを気にせずアンドリューは私の肩を抱いてくれる。彼の厚い胸に身体を預けると、アンドリューの体内から確かに鼓動を感じとることができた。



 私のかつて愛した人は、少しでも私に寄り添うためにアンドリューの一部となってからも愛し続けてくれようとしてくれたのかもしれない。


 私は思いっきり夫を愛し、ガブリエルもアンドリューも幸せにしようと心に誓った。

 

お読みいただきありがとうございます。


下の★★★★★の評価、ブックマークを押して評価して頂けますと幸いです。

励みになりますので、どうぞ宜しくお願い致します<(_ _)>

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ