7話 四勢力激突VS魔族殲滅機関
エレイザとの別れから三週間。
あの子が元氣に過ごしていることを願うばかりだ。彼女の「またね」という言葉がまだ残響のように耳に響いている。約束を守れる自分でありたい。
独立都市ヘルキオスの孤児院に彼女を託した日のことを思い返す。小さな手で木の笛を差し出してくれた時の、あの純粋な笑顔。「大切な人にあげるものでしょ?」という言葉が、どれほど俺の心を温めてくれたことか。
あの夜、俺は初めて自ら「黒の貴公子」という名を名乗った。
エレイザを守るために。弱き者を守るために。父の教えが、ようやく血肉となって俺の中で脈動した瞬間だった。
『力は守るためにある』
百年間、ただ生き延びるためだけに振るってきた剣。復讐のためだけに磨いてきた技。だが、あの小さな命を守った時、俺は本当の意味での強さを知った。
孤児院での彼女の様子が気になる。新しい友達はできただろうか。夜、一人で寂しがっていないだろうか。魔界騎士ヘルキオス様の庇護下とはいえ、あの小さな体で新しい環境に馴染むのは大変だろう。
だが、俺にはまだ果たすべき使命がある。ハルゼルマ家の復活。パイロン家の裏切りの真実を明らかにすること。そして何より、吸血神ルグナド様への謁見。
エレイザとの約束を胸に、俺は再び旅路につく決意を固めた。「必ず会いに来てね」——その言葉を裏切るわけにはいかない。
<血道・隠身>を発動し、北の大都市に向かう。
地下通路は避け、地上を選んだ。
あの街の地下には――厄介な場所がある。今は関わりたくない。
【バルムスの大街衝】の地下に広がるドムラピエトー要塞。
そこには確かに魔界セブドラへの傷場があるが、今の俺では交渉の材料に乏しい。
前回の失敗を思い返すと、単身で乗り込むのは得策ではない。
それに、ミレイが最終的に目指すのはドムラピエトー要塞の傷場のはずなんだが……いなかった。そう考えると、この地での出会いは避けられないかもしれない。彼女の安全を考えると、教皇庁の動きが氣掛かりになる。
あの組織の遠征騎士団は、本拠地である宗教国家ヘスリファートから出て魔族狩りを行うことがあるらしい。更に、近頃その活動が活発化しているという噂も耳にした。
会わずに済ませたいところだ。
しかし、ここエイハブラ平原は【ドンレッド蛮王国】とエイハーン国の所領で東の宗教国家ヘスリファートからは、かなり遠いからな、出会う可能性は低いだろう。
エイハブラ平原を歩きながら、周囲の変化に氣を配った。
この平原は古くから戦場として知られ、至る所に古戦場の痕跡が残っている。
朽ちた武器、白骨化した遺骸、そして時折立ち上る怨念の霧。
三日目の夕刻、遠くに煙が立ち上っているのを発見した。
村の炊事の煙にしては色が濃すぎる。何かが燃えているのか、それとも——。
嫌な予感が胸をよぎる。この地方では、村がアンデッド化する事件が頻発している。【ドンレッド蛮王国】も対処に追われているが、根絶には至っていない。
煙の方角を避けて迂回しようかとも思ったが、情報収集も兼ねて様子を窺うことにした。何が起きているかを知っておくことは、この先の旅路の安全にも関わる。
夜が更けるまで待ち、<血道・隠身>を最大限に強化してから煙の発生源へと向かった。
月のない夜、小高い丘の上でライ麦パンを食べながら一時の休息を取っていた。独立都市ヘルキオスで調達した保存食は味気ないが、栄養価は高い。血だけでも生きていけるが、時折は固形物も摂取しておかないと、人族社会に紛れ込む際に不自然さが目立ってしまう。
乾いた風が平原を渡り、遠くで夜鳥の鳴き声が響く。星空は美しいが、どこか不穏な氣配が漂っていた。この地方特有の、古い怨念が染み付いた大地の匂い。
すると、北東の方角から異様な魔力の波動を感じた。
異様とは、光属性でありながら、どこか歪んだ――狂氣を孕んだ波動だった。
純粋な聖なる力とは明らかに違う。まるで聖なるものを無理やり捻じ曲げたような不自然で禍々しい感覚。教皇庁の魔術にしては、あまりにも歪みすぎている。
丘を下り、慎重に波動の発生源へと近づく。
隠身を強め、自身の氣配と<血魔力>を極限まで抑え込んだ。足音を殺し、呼吸を浅くし、心拍すら意識的に抑制する。高祖吸血鬼の身体能力を最大限に活用した完全なステルス状態。
夜目の利く俺には、闇など障害にはならない。むしろ、闇こそが俺の領域だった。岩陰に身を潜めつつ眼下の光景を観察する。
そこで目にしたのは、想像を絶する光景だった。
荒廃した村――朽ち果てた家々から立ち上る死の瘴氣。
地面のあちこちから、腐った手が土を掻き分けて這い出している。
骨がきしむ音、腐敗した肉の臭いが風に乗って漂っていた。
村の建物は半ば崩壊し、屋根は落ち、壁には巨大な穴が開いている。かつてここに住んでいた人々の生活の痕跡――農具、家具、子供の玩具が散乱している。だが、それらもすべて腐敗と死の瘴氣に汚染されていた。
井戸からは黒い水が湧き出し、畑は枯れ果てて不毛の地と化している。村の教会は屋根が陥没し、十字架は逆さまに突き刺さっていた。
村の中央に、骸骨の姿をした存在が立っていた。
豪奢なローブの残骸を纏い、宝石が埋め込まれた杖を握っている。
その骸骨、上級アンデッドの周囲には、無数の死者たちが蠢いていた。
腐敗の進行度も様々で、まだ人の原形を留めている者もいれば、白骨と化した者もいる。アンデッド村か。北マハハイム地方、ここではエイハブラ地方のエイハブラ平原にも、ナイト・オブ・ザ・リビングデッドような敵、アンデッドのスケルトン軍団にシャプシーのような存在は、墓場があれば比較的生まれやすい。
そして、各地の街、村にある冒険者ギルドの依頼には、あのような村のモンスター討伐依頼が多い。
惑星セラに土着する旧神や荒神、更には魔界や冥界といった異界の神々の干渉により、村人たちがモンスターへと変貌する。そうした事象は、ハルゼルマ要塞にいた頃から報告に上がっていた。
また、東のゼルビア皇国やエイハーン国と東に遠い宗教国家ヘスリファートの各所には、こうした村が存在していることは聞いていた。
そんなことを考えていると、中心から骸骨魔術師が現れた。
骨だけの体から尋常ではない魔力が溢れ出ている。
その魔力は純粋な死の力、生命を否定し、腐敗を促進し、魂を束縛する邪悪な波動。俺のような不死の存在でさえ、本能的に嫌悪感を覚えるほどの禍々しさだった。
上級アンデッドの魔杖から放たれる紫の光が、周囲の死者たちを活性化させていく。動きが鈍かったゾンビたちが、より俊敏に、より凶暴になっていく。
そこに、白いローブを纏った一団が、その村を包囲するように現れる。
先程の光属性の魔力、教皇庁の連中か。
教皇庁には、様々な騎士団が存在するようだからな。
騎士たちの装備は統一されており、白いローブの下に銀の鎧を着込んでいる。武器は聖なる光を帯びた剣や槍で、一振りするたびに神聖な魔力が迸る。
だが、その聖なる力にも、どこか不自然な歪みが感じられた。
聖なるものを無理やり兵器に変えたような、本来の神聖さとは異質の力。
松明の光に照らされた彼らの顔には狂信的な歓喜が浮かんでいた。
その表情は、神への信仰というより、破壊と殺戮への渇望に近い。
戦いそのものを神聖な行為として崇拝しているかのような、異常な熱狂。
すると、森の方角から地響きと共に異形の群れが姿を現した。
巨大な鹿の頭部を持つ者たち。四眼、二眼、二腕、四腕と様々な形態だ。武器と盾を手にし、中には翼を持つ者もいた。
——あれは狩魔の王ボーフーンの配下の軍勢か?
数にして、数千……魔境の大森林から、ここに狩魔の王ボーフーンの戦力?
……南東のサーディア荒野では、高・古代竜が大暴れしていると聞くし、エイハーン王国にも人族の軍隊がいる……そして、更に東にはゴルディクス大砂漠もあるというのに、あの鹿頭の軍団は、それらの土地を越えたか?
あるいはゼルビア山脈と【竜と蜘蛛の毒森】からを突き抜けてきたか?
否、可能性が高いのは、魔界十二樹海・北エイハブラからの流入か。
狩魔の王ボーフーンの連中が知記憶の王樹キュルハと通じているのなら、〝樹海道〟を使える。魔界から、このセラに渡り、【ドンレッド蛮王国】の軍隊と戦いつつも王都の【バルムスの大街衝】を避けるように迂回し、このエイハブラ平原に渡ってきた連中かもな……。
鹿頭の魔族たちは、それぞれが人族を遥かに超える体格を持っている。
最も小さい者でも身長は三メートルを超え、大きい者は五メートル近い巨体だ。
その巨大な鹿の頭部には、種族によって目の数が異なる。
二眼の者は比較的小柄で俊敏性に優れ、四眼の者は大柄で破壊力に特化している。武器も多種多様で、巨大な戦斧、長大な槍、湾曲した刀剣など、それぞれの体格と戦闘スタイルに合わせて選択されている。
翼を持つ者たちは空中戦を担当し、地上の敵を上空から攻撃する役割を果たしているようだ。
すると、白いローブを着た騎士の中心に立つ男が、
「——主よ、我が心は炎と化し、我が血は雷鳴と化す」
低く、しかし恐ろしいほどに澄んだ声が響く。
その男の周囲に展開する光属性の魔力は、他の騎士たちとは次元が違った。より純粋で、より強力で、そして何より——狂氣じみた歪みを孕んでいる。
彼の周囲の騎士たちが、一斉に詠唱を始めた。
「「「悪しき者の前に立つ時、汝の光、我を包めり」」」
騎士たちの詠唱が村の上空に響き渡る。その声には、宗教的な敬虔さと同時に、戦闘への狂熱的な渇望が込められていた。
彼らの武器が光を帯び始める。眩しい光だ——。
見ているだけで魂を焼かれるような感覚を覚えた。
純粋な『浄化』の力を感じる。仲間たちから「アンセム様!」と呼ばれている、あの男がリーダーのようだ。
アンセムと呼ばれた男は、他の騎士たちとは明らかに格が違った。
その身に纏う光の魔力は、まるで小さな太陽のように眩しく、周囲の闇を完全に払拭している。
だが、その光には不穏な影が混じっていた。聖なる力でありながら、どこか人工的で、無理やり作り出されたような違和感。
その白い騎士団、骸骨集団、そして鹿頭の集団による三つ巴の戦いが始まった。すると、骸骨集団の中心にいた骨の魔術師が魔杖を地面に突き立て、
「——愚かな光のモノ共! 魔界のクズ共! ここは、死賢の絶対者様の領域! 死こそが永遠なり!」
死賢の絶対者――その名前に聞き覚えはある。
上級アンデッドは、そいつらの勢力なのか、死に関わる上級の存在らしいが、詳細は分からない。旧神、地底神、魔界、冥界といった様々な勢力に死の概念を持つ者がいると聞くが、この存在がどこに属するかは不明だ。
魔界側や地底神側だと思われることが多いらしいが……。
村中の死体が新たに一斉に動き始めた。
農民、兵士、女、子供――腐敗の進行度も様々な死体たちが、ぎこちない動きで立ち上がり融合を始めて、大柄の肉塊怪物に変化を始め、鹿頭のモンスターと教皇庁の連中に突撃を開始していく。身内の骨戦士をも取り込む肉塊怪物も存在した。
肉塊怪物の変化は見るに堪えないものだった。人間だった頃の面影を残す顔が、腐肉の中に埋もれながらも苦悶の表情を浮かべている。まるで死してなお苦痛を感じているかのような、悲痛な表情。
それらの怪物は知性を失っているが、戦闘本能だけは残っており、敵を見つけると猛然と襲いかかっていく。
すると、鹿の頭部を持つ大柄魔族の群れも咆哮を上げた。
先頭の鹿の頭部に四眼魔族が魔剣と魔斧を掲げ、
「グルァァァ! 人族に死のモノ共! 狩魔の王ボーフーン様の名において、貴様らを喰らい尽くす!」
その咆哮は地響きのように平原に響き渡った。
四つの目が赤く光り、口からは炎のような息が漏れている。
魔族たちの武器は、それぞれが魔力を帯びており、一振りするたびに破壊的な衝撃波を放つ。特に四眼の魔族が持つ魔剣は、刀身全体が深紅に光っており、触れるものすべてを焼き尽くすような熱を放っていた。
三つの勢力の激突が激しくなっていく。
教皇庁の騎士団の第一隊が前進を開始し、己の得物を振るう。
十字を宙空に描いているように見えた。
その光の軌跡ごと死者たちを包み込んで、光に触れた死体は内から燃えるように崩れ落ちていく。
騎士たちの連携は見事だった。前衛が盾となって敵の攻撃を受け止め、中衛が槍で敵を牽制し、後衛が祈りと共に光の魔術で支援する。
光の十字の軌跡は、死者に対して絶大な効果を発揮していた。
光に触れた死体は、まるで内側から燃えるように崩壊していく。
しかし、骨の魔術師が、杖を一振りすると、灰と化した死体が再び形を取り戻す。しかも、今度は聖なる光への耐性を持つ。
「無駄だ。死は永遠に繰り返される」
と言うと骨の魔術師は少し浮遊し、魔杖から紫の雷状の魔力を教会勢力と、鹿頭の勢力に繰り出していく。
死賢の魔術は、単純な蘇生ではない。
死者に学習能力を付与し、一度受けた攻撃に対する耐性を持たせているようだ。つまり、同じ攻撃は二度と通用しない。
紫の稲妻は、生命力そのものを削り取る恐ろしい魔術のようだった。触れた者は、体力と精神力を同時に失い、最悪の場合は即座に死に至るようだ。
「グルァァァ——」
稲妻を喰らった大柄の鹿頭の魔族が叫びながら吹き飛ぶ。
その巨体が数十メートルも転がり、地面に巨大な溝を刻む。
だが、魔族の生命力は強靭で、致命傷を負いながらも立ち上がり、再び戦線に復帰していく。
一部の鹿頭の魔族たちは、「構うな、まずは光の者たちからだ——」
「「おおう!」」と騎士の側面に突撃していく。
魔族たちの戦術は単純だが効果的だった。
巨大な体格を活かした正面突破で、人間の防御線を粉砕していく。
その巨体の持つ魔剣が騎士を薙ぎ払い、鮮血が飛び散る。
白いローブは赤く染まったが、倒れた騎士の場所にはすぐに別の騎士が立つ。吹き飛んだ白い騎士は、信じられないことに傷が回復していく。あいつら吸血鬼並みの回復力を持っているのか……。噂に聞く魔族殲滅機関の連中なのか?
騎士たちの回復力は異常だった。
致命傷を負っても、祈りと共に傷が塞がっていく。
それはまるで人族を超越した存在になっているかのような。
「「「主の御名において、倒れし兄弟の仇を」」」
騎士たちの連携は見事だった。
一人が盾となり、別の者が槍で巨獣の目を狙う。
更に後方から、祈りと共に光の矢が放たれる。
光の魔力を圧縮したような遠距離攻撃。魔族の厚い皮膚をも貫通する威力を持ち、命中した部位は聖なる炎に包まれて焼灼される。
アンセムが放つ強烈な光の魔力に当てられ、隠れているにもかかわらず肌が焼けるような痛みを感じた。
思わず歯を食いしばる。
この距離でもこの威力、直接対峙すれば、俺でも相当な苦戦を強いられるだろう。アンセムの実力は間違いなく一流の域に達している。
その時、別の方角から声が響いた。
「おいおい、アンセム! また独り占めかよ!」
振り返ると、そこには異様な風貌の者たちが立っていた。
先頭の男は、顔中に無数のピアスと針が突き刺さっている。
針が皮膚を貫き、そこから新しい肉が盛り上がるように蠢いていた。
その男の顔は、もはや人間のものとは言えなかった。
鼻には十数本の針が突き刺さり、唇には鎖が通され、まぶたには小さな鈴が縫い付けられている。
彼が首を振るたび、金属が擦れ合う不快な音が響く。
「リンカーセン……」
アンセムが不快そうに呟いた。
続いて現れたのは、美しい顔をした細面の男。
だが、その笑みは正氣を失った者特有の歪みを帯びていた。
その男、ダコテソームの美しさは、まるで彫刻のように完璧だった。
だが、その完璧さが逆に不気味で、まるで人形のような無機質な印象を与える。
「ふふ、実に愉快ですね。アンデッド村を滅ぼすのは、私の趣味なんですよ」
「ダコテソーム……」
そして最後に、小柄な美女が音もなく現れた。
一見無害に見えるが、彼女の周囲の空氣が異様に震えている。
その少女――フォビーヌは、一見すると普通の人間の少女に見えた。だが、彼女の存在そのものが周囲の現実を歪めているかのような、異常な存在感を放っている。
「フォビーヌまで……ディスオルテの一桁が四人も集まるとは」
アンセムの声に苛立ちが滲んだ。
ディスオルテ――魔族殲滅機関。教皇庁が誇る対魔族特殊部隊で、その中でも一桁の番号を持つ者は、人間を超越した存在として恐れられている。
リンカーセンが前に出る。
キィィィン――顔中の針が共鳴し、耳を劈く金属音。
両手を広げると、宙に光の針が浮かんだ。
「へへへ、久しぶりの大物狩りだ」
光の針が死者の群れに降り注ぐ。
針は死体を貫き、その場に縫い止める。動けなくなった死者たちが、無力にもがく。
あの針使いの攻撃範囲は広いが、発動に一瞬のタメがある。懐に飛び込めば、対処はできるか。
そして、こいつらがディスオルテ。噂に聞く魔族殲滅機関か
ダコテソームと呼ばれた男は優雅に戦場を歩いた。
彼が指を鳴らすと、薔薇の花弁のような光が舞い散る。
「ああ、美しい。死という究極の美を、更に、昇華させてあげましょう」
花弁に触れた者は、恍惚とした表情を浮かべて塵と化していく。
死者も、獣も、区別なく。
その花弁は、見た目の美しさとは裏腹に、触れるものすべてを分解する恐ろしい力を秘めているようだった。分解された者は、苦痛を感じることなく、むしろ恍惚として消滅していく。
フォビーヌは無言のまま前進した。
彼女が手を向けた場所では、すべてが消えていく。
音もなく、光もなく、ただ存在そのものが『無』になっていく。
鹿の頭部を持つ魔族が、彼女に飛びかかったが、巨大な魔剣が届く前に、その巨体が空中で消失した。
「ふふ、<存在消去>は効きずらい時もありますが、この程度ならイケますね」
狩魔の王ボーフーンの戦力をこの程度か。
……フォビーヌの最も恐ろしい能力。対象の存在そのものを『無』に還す消滅術式か、光属性による魔術、魔法の研究も凄まじいものがあるな。
防御も回避も不可能のように思える。
発動と軌道にタイミングを読めれば、<血文王電>か覇王のシックルの白焔が包む闇夜剣で心臓を穿てばいけるか? だが、強力な光属性は、俺たち吸血鬼には、極めて有効な攻撃、少しでも当たれば、体の欠損は確実だろう。
<血魔力>による回復も、高祖吸血鬼の生命力も、存在そのものが消去されれば意味がない。
そのフォビーヌとやらの『消去』の余波がすぐ近くの岩を抉る。
『消去』能力者、フォビーヌは厄介すぎる。いかなる戦闘でも最優先で潰すべき相手か……冷や汗をかいた、<血道・隠身>を維持しよう……。
アンセムが両手を広げた。
彼の周囲の地面から、光り輝く茨が生え始める。
「異端どもよ、その、すべてを浄化してやろう」
光の茨が蛇のように這い回り、死者と獣を無差別に貫いていく。
茨に触れた者は、苦悶の表情を浮かべながら光の粒子となって消えていく。
光の茨は生きているかのように蠢き、逃げ惑う敵を執拗に追い回す。その動きには意志があるかのようで、単なる魔術を超えた何かを感じさせた。
「小癪な……我が恨み晴らさずおくべきか、怨念を思い知れ!」
死賢の絶対者が激昂した。
魔骨の杖が不氣味な光を放つ。すると、地面そのものが腐敗し始めた。
土が泥と化し、そこから新たな死者たちが湧き出てくる。今度は、骨だけの戦士たち——かつてこの地で戦った古代の兵士たちだった。
エイハブラ平原は古くから戦場として使われてきた土地。
この地に眠る戦士たちの数は数万に及ぶだろう。それらが骸骨戦士として蘇れば、いかなる軍勢でも太刀打ちできない。
古代の骸骨戦士たちは、生前の記憶と技術を保持しているようだった。剣技、槍術、弓術——それぞれが一流の技を披露し、現代の戦士たちを圧倒していく。
狩魔の王の軍勢も負けていない。後方から、翼を持つ魔獣たちが飛来する。
「空からも地からも、人族どもを滅ぼせ!」
魔獣たちが上空から酸を吐き、地上の騎士たちを溶かしていく。
酸に触れた者は、鎧ごと溶解していく。だが、騎士たちの回復力は異常で、致命傷を負ってもすぐに立ち上がってくる。
リンカーセンが狂ったように笑った。
「ははは! これだよ、これ! もっとだ、もっと来い!」
彼の全身から光の針が噴出し、空中の魔獣を撃ち落としていく。
落下した魔獣の体に、更に無数の針が突き刺さり、肉と骨を突き抜けていく。
針に貫かれた魔獣は、痙攣しながら絶命していく。その様子を見て、リンカーセンは更に狂氣的な笑いを浮かべた。
ダコテソームは恍惚とした表情で戦場を見渡していた。
「素晴らしい。これほどの死の饗宴は久しぶりです」
彼の周囲では、死体がより美しく、より芸術的に配置されていく。
それは死そのものを芸術作品として扱っているかのような……。
狂氣的な美的感覚。
フォビーヌだけは、相変わらず無表情のまま、淡々と『消去』を続けていた。
彼女の前では、いかなる攻撃も無意味だった。
魔法も物理攻撃も、彼女に届く前に『無』に還される。
フォビーヌの周囲に展開されるスキルは、不可侵の領域なのか?
足環と腕輪の魔力が連動し、彼女の足下が光る時がある、それが癖か、戦いとなれば、その隙を突けるか。
三つ巴——いや、今や四つの勢力が入り乱れる大混戦。
血と死と狂氣が渦巻く、地獄絵図のような光景が展開されていた。
<血道・隠身>を維持しながら、その狂氣の戦場を見つめていた。
四つの勢力、死賢の絶対者の勢力のアンデッド軍団、狩魔の王ボーフーンの魔族軍団、アンセム率いる教皇庁騎士団、そしてディスオルテの一桁たち。
それぞれが異なる目的で動いている。
死賢は領域の拡大、魔族は破壊と殺戮、教皇庁は異端の殲滅、ディスオルテは魔族の狩猟。
だが、その根底にあるのはすべて同じ、力への渇望。
これが教皇庁の『聖戦』か。狂氣と破壊と自己陶酔。
ケンダーヴァルと何が違う? 同じ穴の狢じゃないか。
光も闇も、結局は力を求める亡者の集まりか。
アンセムの狂信的な笑み、リンカーセンの破壊への渇望、ダコテソームの美への執着、フォビーヌの無感情な殺戮……どれも正常な精神状態とは言えない。
教皇庁は魔族を憎むあまり、自分たち自身が魔族以上に狂氣に堕ちている。神への信仰が、いつの間にか暴力への崇拝に変わっている。
ディスオルテの面々を見ていると、人族性を捨てることで力を得ているのがよくわかる。リンカーセンの自傷行為、ダコテソームの美への狂氣、フォビーヌの感情の欠如——すべて人としての何かを犠牲にした結果だ。
一方で、魔族たちの戦い方は単純明快だった。
力こそが正義という原始的な価値観で動いている。
教皇庁のような複雑な自己欺瞞はない。
死賢の軍団もまた、死への純粋な信仰に基づいている。
歪んではいるが、その信念には一貫性がある。
皮肉なことに、最も人族らしさを失っているのは、人族であるはずの教皇庁の連中だった。
戦況は膠着状態に陥っていた。
四つの勢力が互いを牽制し合い、決定打を欠いている。
死賢の無限再生、魔族の圧倒的な物理力、教皇庁の聖なる魔術、ディスオルテの特殊能力――それぞれが拮抗している。
だが、この戦いに勝者はいない。
すべての勢力が消耗し、最終的には共倒れになるだろう。
その隙を突いて別の勢力が漁夫の利を得る。それがこの世界の常だった。
力を求めて戦い、戦いによって力を失う。永遠に続く愚かな循環。
俺もまた、その循環の一部なのかもしれない。復讐という名の力を求めて、同じ道を歩んでいる。否、ミレイたちが居れば……生きていると信じている。
そしてエレイザとの出会いが教えてくれた『守る力』を思い出す。あの小さな命を守った時の感覚、それこそが本当の強さだったのかもしれない。
戦場を後にする時が来た。これ以上見ていても得るものはない。
むしろ、この狂氣に触れすぎると、俺自身も同じ道を歩む危険性がある。
<血道・隠身>を維持したまま、静かにその場を離れた。
四つの勢力は、まだ延々と戦い続けていた。
朝が来ても、昼になっても、きっと戦い続けるだろう。
刹那、背後に魔素を感知した――。
暫くは毎日更新を予定。