5話 汝、自身の真実を掴め
ハルゼルマ要塞の燃え落ちる音と爆発音が、何度も脳内に響くのを感じながら駆けた。
肺腑を焼くような煙の匂い――。
口に血の味が沁みる――。
同胞たちの断末魔――。
最期の母の決意の表情――。
メイラスの忠義に満ちた顔――。
走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
同胞を失うたびに、心ごと内臓がちぎれてもげる氣分となる――。
ミレイは無事か――。
コトハ……穏やかな微笑みを浮かべていた最期、胸に突き刺さった棘のように痛む。愛する者、長年仕えた老臣、忠臣たちを一夜にしてすべてを失った。
数千年を生きた時間は人族から見れば途方もないが、これほどの喪失は初めてだった――。
そして〝覇王のシックル〟と<影刻加速>は、そんな過去と触れることのできる証しの一つ。
覇王のシックルは、時に重く、時に奇妙な熱を帯びて脈を打つように揺らめき血と共鳴する。父の遺産、母の研究の結晶……母は俺の力の鍵と語ったが、その重さだけが現実感を伴っていた――地下通路を再び抜け地上に出た。星明かりを頼りに、人族の氣配が多い通りは避けて森を駆けた。
やがて瓦礫ばかりの砂利の坂道となった。そこを抜けると岩場が増え断崖絶壁の山場と滝となるが、その滝と山を見るように跳躍。断崖と突兀の岩を右足の裏で捉え、直ぐに左足の裏で、その岩を突き斜め前方に跳躍し、高い岩場の頂点に着地。その岩を踏み台にするように再び蹴って、跳躍し上昇、断崖絶壁を軽々と越えた。
滑空するように降下、全身から<血魔力>を発しながら樹の枝葉を突き抜け幹を蹴り、前方に跳躍、岩場に着地。
すぐに駆け、前方斜めに跳躍し、岩肌に爪を立て崖を這い上がる。
背後から岩が崩れる、その音で、要塞が崩れる音を連想した、母の最期の叫びが、まだ耳に残っている。
降下しては、岩を何度も捉え蹴り跳躍を繰り返す。
峠と山を越え、川に飛び込み臭いを消した。追っ手の氣配から逃れるためだ――ひたすら泳いだ。
冷たい川底に体が沈む。
水中で目を開けると、鱗を持つ何かが近づいてきた。
魚のような皮膚を持つ大型のモンスターか。
普段なら戦うところだが、今はそれどころじゃない。
臭いを消すため、ひたすら泳ぐ。追っ手のことしか頭にない。
吸血鬼の追跡には<血魔力>を追うことが第一。
分泌吸の匂手を使えば、大概は追跡できるからな。だが、それを使えば縄張り宣言するのと同じ、また、人族から吸血鬼ハンターの追跡が激しくなる。
それを想定し、<血魔力>は使わず、<影刻加速>を断続的に使用した。
常人では追跡不可能な速度で距離を稼ぐ。体が悲鳴を上げるが構わない。
<影刻加速>を使うたび、体の奥が軋む。
高祖吸血鬼といえど、限界はある。
追跡を逃れるためとはいえ、自分の体を痛めつけながら逃げ続ける日々。
いつまで持つだろうか。
そして、この<影刻加速>のスキル力を使うたび――メイラスとミレイに注意を受けていたことを思い出す――。
<影刻加速>の大本は、俺の体に父から受け継がれたソレグレン派の超技術が内包されていた小粒のカプセル。それを幼い時に受け継いだ。
吸血鬼の赤ん坊から成長するのは極めて稀、更に母が<錬金術・解>と血魔術など無数の魔法、魔術とアイテムを駆使し、ソレグレン派の超技術の強化と俺の強化を施してくれていた、その結果の果ての特異なスキルが<影刻加速>――。
この加速能力が、孤独な俺にとってどれほど大事なスキルか――。
父と母に感謝だ。
そして、メイラスは、
『……同じ<血魔力>を消費する。その点でもかなり優秀な加速スキルが<影刻加速>です。しかし、連続使用は<血液加速>とは大きく異なり、諸刃の剣となることが多いと聞いています。体の筋肉組織、高祖吸血鬼の回復速度でも追いつかない。しかし……』
当時のメイラスは間を空け、
『ソーニャ様から、『ウタジの<影刻加速>の連続使用によって、体にダメージを受けますが、逆に強化を促す。それは我々の理解を超えた目に見えずともたしかに存在する、超密度の神経繊維の強化にも繋がっている可能性が高く、ウタジという<筆頭従者>に、今後どのような作用を齎すことになるのか、他にもウタジには秘密がありますが、メイラス。今後ともウタジのことを頼みますよ』と、言われておりました』
当時の俺は、メイラスの言葉にいつもの説教かと受け流していた。
メイラスは他にも母上の言葉を、
『……<血魔力>という偉大な神の魔法力、式識の息吹の一つを生み出した吸血神ルグナド様も完全ではないの。因果律の作用は多岐に亘るのですよ……と、老いぼれめに語ってくれました。ですが、若様、吸血鬼として、ハルゼルマ要塞を任されている意味、その本懐を見失ってはなりませぬぞ」
と、いつも傍で、俺を支えて語り導いてくれていた。
逃亡から七日目――。
食料は尽き、<血魔力>も消耗していた。
追っ手の氣配は薄れたが、代わりに這い上がってくるのは底知れぬ孤独感だった。ふと、メイラスが作ってくれた菓子の味を思い出す。甘く、温かく、家族の愛に満ちていた――もう二度と味わえない記憶の欠片。
かつてはハルゼルマ家の潤沢な資源と配下によって満たされていた欲求が今は生存を脅かす牙となっていた。
森で野ウサギを見つけた。
小さな命を狩れば、飢えは満たせる。
だが、見逃していた――。
分からない、なぜ見逃した。あの怯える瞳に、誰の姿を見たというのだ――。
血を失い続けたら吸血鬼は干からびて死ぬ。
「あぁぁぁぁ――」
追っ手があろうと叫んでは、泣いていた。
そのまま森を駆けると、鹿を見つけた、やった……吸血神ルグナド様の恵みか、今度こそ一瞬の<影刻加速>で仕留める――。
苦しませることなく、一撃で――。
これも父の教えの一つか。その血を啜る。生き延びなければならなかった。
メイラスの最後の言葉が支えだった。あの白髪の老人が、血を吐きながらも俺を「息子」と呼んでくれた声。千年を超える忠誠の重み。その声だけが、絶望の淵で俺を支えてくれていた。
メイラスの最期の言葉が、今も耳に残っている。
『汝、自身の真実を掴め』
血の根源――父と母の遺産だけでなく、俺自身の道を見つけろということか。復讐の先に、俺は何を見つけるつもりなのだろう。
そうだ、まだ終わっていない。
ミレイ、サルジン、スゥン。皆が生きている可能性を信じなければならなかった。
皆を見つけ出し、合流し、そしてケンダーヴァルへの復讐を果たす。それが唯一の道標。
日中は洞窟や廃墟に身を潜め、夜になると移動を再開する。
覇王のシックルを握りしめ、父の日記の断片を思い出す。
『力は道具であって、目的ではない。血と命の尊厳を忘れてはならない』
父の言葉が、母の研究とケンダーヴァルの野望とは対極にあることを改めて感じる。
『力は破壊のためではなく、守るためにあるべき』
父の声が脳裏に響く。だが今の俺は、その言葉に応えられているだろうか。
復讐への渇望が、父の教えを踏み躙ろうとしている。守るべき者もいない今、俺の力は何のために存在するのか。
父の力の使い用を教えてくれている。母も母なりにその言葉を理解し、実践したのが、俺の体と覇王のシックルへの研究だろう。この力は、ハルゼルマのため、否、もう、己のために使うべきなのだろうか。
答えの見えない問い、考え過ぎも良くないな。
ある夜、月明かりが洞の入り口から差している古木に身を落ち着けた。
アイテムボックスから古びた〝血魂の琵琶〟を取り出した。
螺鈿細工のハルゼルマ紋章を月明かりが鈍く照らす。
その琵琶を膝に乗せ、静かに弦を爪弾いた。
――『血』。
――『影』。
――『月』。
――『魂』。
四相に調律された弦が、低く物悲しい音色を奏でる。
「失われし日々に捧ぐ……」
呟きと共に歌い始めた。
それは鎮魂歌であり、自身の孤独を慰める歌でもあった。
闇夜に響くは 嘆きの調べ――
燃え落ちた砦 灰燼の夢――。
友の面影 遠き彼方に――。
我は一人 影となりて彷徨う――。
指先からわずかに<血魔力>を流し込むと琵琶の音色に深みが増し、洞の中に悲哀に満ちた旋律が満ちていく。
失った仲間たちへの想い、母への複雑な感情、そして先の見えない未来への不安。それらすべてが音となり、夜の静寂に溶けていった。
一曲奏で終え、しばし目を閉じる。
琵琶の余韻が洞窟に響き、石壁に反響して戻ってくる。
この音だけは俺を裏切らない。
数百年前と変わらぬ音色で、心の奥を満たしてくれる。
そんな束の間の安らぎを破るように、耳にかすかな獣の氣配を捉えた。
それは単なる森の獣ではない、禍々しい魔力の匂い。
洞の入り口から、血走った目を持つ異形の狼――腐肉喰らいが数体、涎を垂らしながら姿を現した。
「……招かれざる客か」
血走った目、涎を垂らす異形の狼たち。静かな時間を邪魔されて、少しイラつく。
だが、命ある者を狩るよりはマシだ。
こいつらなら、容赦なく殺せる。
立ち上がり、〝血魂の琵琶〟を構え直す。左手には魔刀鬼丸を召喚。
再び琵琶の弦を激しく掻き鳴らした。今度の音色は先ほどとは打って変わり、鋭く、闘争心を煽るような激しい旋律――。
滅びの淵より 蘇りし牙――。
我が道を阻む 愚かなるものよ――。
ハルゼルマの血 戦いの詩――。
――漆黒の刃と 琵琶の音に散れ!
――歌いながら、魔刀鬼丸を振るう。
数体の腐肉喰らいの胴を抜き、肩口から胸元を斬り捨てる。
一体が飛び掛かってきたが、冷静に琵琶の胴で受け流した。
――否、琵琶からの、衝撃波のような音の壁が狼の動きを一瞬鈍らせた。その隙を見逃さず、魔刀鬼丸が閃き、狼の首を刎ねる。
――同時に、琵琶の『血』と『魂』の弦を特殊な奏法で掻き鳴らす。
『血魂励起』――琵琶から放たれた音の波動が、俺自身の<血魔力>を内側から高めていくのを感じるまま体が熱くなり、動きに鋭さが加わった。
――歌い続けながら、魔刀鬼丸と琵琶の音波を巧みに操り、次々と襲い来る腐肉喰らいを斬り伏せていく。
琵琶の音色は時に敵を怯ませ、時に自らを鼓舞し、魔刀鬼丸の斬撃は正確に急所を捉え、斬り、貫く。
琵琶を奏でながら戦う――
美しさと残酷さが共存する戦いの舞踏。
父が望んだのは、こんな戦い方だったのだろうか。芸術と暴力の境界線で、俺は何を表現しているのか。
また、この〝血魂の琵琶〟を使った剣術を、第三者が見たら、歌と剣と音が一体となった、恐ろしい舞踏に見えているに違いない。
そして、歌と剣と音、この琵琶を使った剣術は、俺の血魔力を最大限に引き出し、相手を圧倒する。
恐ろしいほどに効率的であり、まさに戦いの舞踏だ――。
最後の腐肉喰らいを魔刀鬼丸で貫き、その骸が塵となって消えるのを見届けた。荒い白い息を見ながら、再び琵琶を構えた。血糊の付いた魔刀鬼丸を鞘に納め――。
今度は違う旋律を奏でる。
力強さの中に、諦めない意志を込めて。
物悲しさは残るが、それだけじゃない。希望への渇望、生きる意志――
音楽が、俺の心を整理してくれる。
屍を越えて 道は続く
血に染まる大地に 誓いを刻む
失われし光 取り戻すまで
この琵琶の音色 止むことなし
戦いの勝利を宣言する歌……。
同時に、これからの過酷になるだろう旅への決意を新たにする誓いの歌だ。
〝血魂の琵琶〟の音色は洞窟を満たし、夜明け前の静かな森へと響き渡っていく。
覇王のシックルと連動している〝血魂の琵琶〟は普通の楽器ではない、ハルゼルマの魂そのものであり、父と母と仲間たちとの絆を繋ぐ楽器なんだと改めて感じた。
消耗した<血魔力>を回復させる間もなく、新たな追っ手の氣配を魔察眼と掌握察で把握した。
〝血魂の琵琶〟をアイテムボックスに仕舞い、再び立ち上がった。
その魔素の反応箇所を、凝視。
そこからパイロン家の紋章をつけた吸血鬼の狩人が現れた。
続けて、追跡用のパイロンの騎士たちとケンダーヴァルの眷族衆。
「見つけたぞ! ハルゼルマの残党め!」
血が沸騰した。残党だと? 俺は残党なんかじゃない。ハルゼルマ家の正統な継承者だ。
お前たちこそ、裏切り者の分際で。
「ヒャッハー、狩りの時間だ」
「吸血鬼が、吸血鬼を狩る時間だぜぇ」
月明かりの下、敵が叫びながら前後に分かれて迫ってくる。
最前列には赤い紋章を胸に刻んだパイロン家の精鋭狩人が五人、その後ろに黒装束の下級狩人が十数人――。
彼らの動きを有視界の魔察眼と、魔力を周囲に放つ掌握察で把握する。
側面からはケンダーヴァルの刻印を額に浮かべた狩人たちが三手に分かれている。
後衛には、紫のローブを着た魔術師が二人、青いローブの見習いが三人。
残党か、俺を狩るつもりのようだが、<筆頭従者>としてのプライドが刺激される……各個撃破を狙うか。まずは後衛の紫ローブの魔術師だ。
覇王のシックルが俺の意志に応えるように淡い光を放ち、眩い白い魔力が覆う直剣、白焔が包む闇夜剣へと姿を変えた。その白焔の淡い刃越しに、
「来るなら来い。ハルゼルマの血は、まだ絶えてはいない!」
――<影刻加速>を使う。
世界がスローモーションになるように加速した――。
風になった如く、騎士たちの間隙を縫うように駆け抜け右腕を振るった。右手に握る覇王のシックルこと白焔が包む闇夜剣が二人の狩人の胴を抜き背骨を輪切りに処す。
「ぐあっ!」
「げぇ」
「構うな、かかれ」
「「「おう」」」
――狩人と騎士と魔術師は数で押し込もうとするが、遅い――。
魔刀鬼丸を突き出し、正面の騎士の剣を弾き、返す刃で、別の騎士の剣を弾き飛ばすが、多勢に無勢。連携の取れた攻撃が迫る。
そして、赤い紋章を胸に有した若い狩人、その顔に、かつての部下の面影を見た。同じような年頃、同じような瞳の色。その一瞬の躊躇、それが命取りになるところだった。
光の剣が肩を掠める。焼けるような痛み。だが同時に、迷いが消えた。
灼けるような痛みこそ、活力――傷を受ければ受けるほど己の血が活性化する――。
覇王のシックルが強く脈打った。地下での戦いはもっと激しかった――。
<血魔力>を練り上げシックルへと注ぎ込み、そのシックルを振るった刹那、脳裏に父が<血文王電>を放つ姿が一瞬よぎる。
「<血文王電>!」
血が媒介となり、血の雷光がシックルから迸る。
体からも雷属性の<血魔力>を放たれ、血文字が刃と化しつつ全身を覆う。
攻防一体を成す吸血鬼専用、俺専用と呼べる秘技――だが、それは父のそれよりも荒々しく、制御しきれていない力の発露だったが、威力は十分。傍にいた雷光を浴びた騎士たちは吹き飛びながら、黒焦げとなった。しかし、その威力は反動をもたらし、膝をついた。
「まだだ!」
右に跳ねた。俺がいた地面は爆発、直ぐにまた左に跳ぶ。
その地面も爆発。パイロン家の狩人が対吸血鬼用の棒手裏剣を<投擲>してきやがる。
吸血鬼が吸血鬼ハンターの如く、光神ルロディスの祝福を受けた聖なる武器、光の武器を扱うとはな――。
パイロン家とケンダーヴァルの部隊の遠距離攻撃を避け続けていく。
前方にいる狩人へと、ハルゼルマ流『撞木の型』の足構えから両足を滑らせるように前進し――仰け反り、狩人と騎士の光を帯びた聖剣の斬撃を避けた刹那――。
地面を蹴り、斜め前へ身を翻し右腕を振り上げた。
覇王のシックルの刃が、狩人の脇腹を捉え、そのまま斜めに斬り上げた。
宙空に出て、もう一度<影刻加速>を使用した。
足下に足場があるように斜め右前の下へと、身を低くした構えハルゼルマ流『隼の型』のまま直進した。
左にいる他の狩人との間合いを零とするや否や、右腕ごと剣になる如く突き出た白焔が包む闇夜剣の切っ先が、狩人の首を突き抜け、瞬時に引き抜き、再度、胸を突き刺す。
「――ぐぇあ」
声にも成らない声を発した狩人。
吸血鬼らしく回復力を示すが、覇王のシックルから放出されている血雷の威力は、その回復力をはるかに凌駕する。
吸血鬼狩人の上半身は内部から破裂したように爆散した。
着地した直後、他の狩人と騎士から光を帯びた剣が突き出される。
その突きの攻撃を首を数回わずかに傾け、避けた。
同時に右手の覇王のシックルを持つ手首を返し、左へと振り払いながら前に出る。
魔刀鬼丸と覇王のシックルで、宙に『乙』を描くように振るう。
狩人の得物を魔刀鬼丸で弾き、前に出て、狩人の手へと、シックルの刃を吸い込ませ、その手ごと腕と肩を真っ二つにするように覇王のシックルを持ち上げ、腕と肩と耳ごと側頭部を斜めに両断した。
更に、右から左に動かした左手に持つ魔刀鬼丸の刃が騎士の首を捉え、その首を刎ねた。
『進むを打ち、退を打つ――』
決死隊の合い言葉を心に前進――。
掌握察で、敵の魔素を把握した。
右から迫る金の鎧を纏った騎士は見栄えだけか――。
左の黒髪長身の狩人は鍛えられているが、動きが鈍い。
膝が悪いか? 中央のチビ狩人は目付きが悪く、刃の持ち方に経験の深さが窺える。
奥には銀の杖を持つ禿頭の魔術師が控えている――こいつは脅威だ。
「ここだ――」とジグザグに動きを変え、経験豊富なチビ狩人に向かい、回避されるとわかっていながら覇王のシックルを振るう――。
予想通り彼が後方に跳躍した隙に、金の鎧の騎士の腰を、魔刀鬼丸が捉え斬る――倒れ込んだところで黒髪狩人の膝を突き、更に、左の半仮面の狩人の胸を貫く。四人の障害を斬り伏せ、禿頭の魔術師へと迫る。
魔術師は「来るな!」と叫び、雷撃と火球を無詠唱で繰り出す。
「しねぇ――」
更に、腕先から魔力の矢を数本、生み出し、それを俺に向け射出した。
――直ぐに<影刻加速>と<血道第三・開門>の<血液加速>を使い分けるように使用し――。
速度と加速を変化させ、緩急を付け、前進し、雷撃と火球と魔力の矢の遠距離攻撃を避け、前にいた狩人と騎士との間合いを詰めて、
「くっ、速い――」
「黒の貴公子め――」
魔刀鬼丸を突き出し、狩人の魔剣を弾き、その胸を穿ち、覇王のシックルを振るい、騎士の足を削ぎ、左腕を振るいながらわずかに左に跳躍し、騎士の上半身を斬る。前転し、魔矢と斧の攻撃を避け、パイロン家の追っ手に近づき、次から次へと斬り捨てた。
もはや個々の技名を意識するまでもない――。
体に染み付いた剣術と、血の衝動のままに加速と減速を織り交ぜ、敵を殺す。
敵の悲鳴も、剣戟の音も、すべてが遠のくほどの集中――。
俺はただ、目の前の障害を排除するためだけに二振りの刃を振るい続けた。
追っ手の後衛だった魔術師の懐に潜り込む。
――覇王のシックルが閃くまま、<血剣・白雷遷架>を繰り出した。覇王のシックルの白焔が包む闇夜剣が魔術師の防御魔法を切り裂き、腰を捉え、腰椎と太股をも両断――。
右から左へと白焔が包む闇夜剣を動かす。その剣身から白雷の<血魔力>が夜氣を貫く十字の奔流となって迸り、魔術師の衣服と体のすべてを溶かすように消し去った。
動きを止めない――。
残った騎士たちが怯んだ隙に再び<影刻加速>を発動――。
その場から逃げたパイロン家の騎士に近づき、背から心臓を狙うように覇王のシックルの刃を突き出し鎧と背骨をぶち抜き、左手の魔刀鬼丸で、その項ごと首を刎ね、横に一回転――右腕ごと左に返す白焔が包む闇夜剣が――横にいた騎士の体を真横に捉え、その腹ごと前に運ぶように、背骨を両断し、他の吸血鬼に近づいた。
更に、吸血鬼としての回復力を殺すように、残りの体の半身をも覇王のシックルから放出されていた白い炎が捉えて、燃焼させて倒した。
次の狩人を見て、
「ハッ、俺を殺すんではないのか――」
と発言し、近づく。
狩人は、俺の迫力に押されたように怯え、
「ひぃぃ」
と身を翻し逃げる。逃がさない、左手に魔刀鬼丸を召喚し、前進、狩人の背の肩口から容赦なく袈裟斬りに処した。
そのまま二刀流、一刀一剣流と呼べる剣術で、逃げ惑う吸血鬼狩りを開始した。
暴れに暴れてから、両手の武器を消す。
この地を離脱、否――。
<血道・隠身>を使用し、離脱したフリをしては、追跡者を待つ――。
案の定、俺の痕跡を探る<血ノ接触者>持ちの狩人が現れた<血文王電>――指を腕先に血の雷文を集め、<血道・隠身>のまま狩人の側面から近づき、その狩人の脇から心臓を一突き――。
ズシュッと音が響かせながら、貫いた心臓を引き抜いた。
そのまま<吸血>で血飛沫こと狩人の血を抜き取り、干からびさせる。追っ手をすべて振り切った。
……荒い息をつきながら、己の未熟さを痛感していた。
力はあるが、まだまだだ。母が最後の研究を施していた覇王のシックルは、俺の成長と共に様々に形状変化も可能になっているが、まだ完全には制御し、使いこなせてはいない。父の力、母の研究、そして自分自身の血。
それらが混淆したこの身は、まだ不安定なままだった。
ミレイ、サルジン、スゥンどこにいる。
愛した女と同胞たちの顔を思い浮かべる。皆がいれば、この苦境も乗り越えられるかもしれない。
だが、今は一人だ。数週間、数ヶ月が過ぎた。
モンスターばかりの地下に嫌氣がさし危険だが、地上に出ることにした。
人の氣配を避け、東マハハイム地方の辺境の地を転々とし、様々な土地の情報を得た。
同時に、吸血神ルグナド様の勢力の吸血神信仰隊が多く暮らす独立都市サイファルが西にあることは知っていた。まずはそこを目指す。
ミレイたちも生きているなら、まずはそこを目指すはずだ。
独立都市サイファルの近くの地上には【牙城独立都市レリック】という名の都市がある。
南マハハイム地方からしたら、【牙城独立都市レリック】は東マハハイム地方の東端に位置する。
俺たちハルゼルマ要塞も、その東マハハイム地方の東に存在する。そして、要塞の広間に一部に掲げられていた地上の地図では西端の都市の名の一つに【牙城独立都市レリック】が描かれていたことが多かった。俺たちがいたハルゼルマ要塞は、南マハハイムや西マハハイムからしたら東の東にあたるということだろう。
他にも、独立都市ヴァグレル、独立都市メーデリウス、独立地下都市ファーザン・ドウムの名を聞いた、これは俺が知る独立都市と符号する。
地上の情報収集で地上で然り氣無くハルゼルマ家の名を出してみた。
反応は三者三様だった。ハルゼルマの名を知らず首を傾げる者、知っていて恐怖に顔を歪める者、そして、そもそも興味すら示さない者。
わずかに知っている人族とドワーフにエルフたちは、始祖の十二支族家、外れ吸血鬼なのか? 分派の吸血鬼か? と逆に聞かれることも。
ハルゼルマ家も出たが、東マハハイム地方の地下に要塞を持つ程度の情報だけだった。
数千年の歴史が、風化していく。それが悲しいのか、安堵なのか、自分でも分からない。
ミレイたちの消息に関する確かな情報は、数年経っても、どこからも得られなかった。
焦りと孤独が募る。自らの血をすすり、獣の命に感謝する日々。
かつて<筆頭従者>として数千の部下に囲まれ、すべてが整えられた環境で生きていた俺が、今は獣の血でさえ貴重な糧として感謝する。
この転落は、皮肉にも父の言う『謙虚さ』、『命の尊さ』を教えてくれた。
それでも血を求める時は、賞金稼ぎになり、賞金首の血を求めた。
地位も失い、家も失い、尊厳だけは失うまいと、父の教えを噛みしめる日々――。
それは母の『力こそすべて』という教えとは相反するものだが、この孤独な放浪の中で、父の言葉の真意が少しずつ胸に沁みていく。
父の遺したもう一つの力に意識を向け始めた。
高音の白焔と金属を操る力、そして、己の速度を上昇、加速する力の<影刻加速>……このシックルには、まだ俺の知らない秘密があるはずだ。
危険だが、故郷近くの地上を徘徊し、人氣のない山奥に向かう。
慣れ親しんだ道のりと花の匂いにミレイたちの顔を思い浮かべた。
洞窟に入り、覇王のシックルを膝に置き、静かに目を閉じる。
「父さん、聞こえているか」
シックルがわずかに温かくなる。
氣のせいかもしれない。だが、この武器だけが俺と父を繋いでくれている。
孤独な時間が、武器との絆を深めてくれた。
かつての修練とは異なり、今では血魔力と武器の対話はより深いものになっていた。
「来い」
ほんの囁きほどの言葉に応えるように、シックルが掌の中で脈打つ。
今や血は単なる力の源泉ではなく、シックルとの対話の媒体となっていた。
血を通して父の意志を感じ、母の研究の真意を探る――。
かつては水のように揺らめくだけだった金属が、今では思いのままに形を変える。
撥は言わずもがな、長剣、短剣、盾……そして父の記述にあった複雑な形状へと大剣はまだ無理だが、<血剣・白雷遷架>の血雷、血の白雷放射のような近距離~中距離の攻撃はスムーズに使えるようになった。様々に戦い抜いたからな。
シックルから漏れる白光が周囲を照らす。
岩肌に走る亀裂から、過去の訓練の痕跡が見える。
数百年前の荒々しい<血文王電>の痕。白雷、白い焔、それが制御を失っていたころの無定形な焦げ跡だ。今の俺なら――。
指先から放たれる<血文王電>は、もはや荒々しい奔流ではない。
血液から生まれた文字が刃となり、狙った箇所を精密に切り裂く。
<血文王電>も繊細な意志の表現として、指先から放つ一筋の血雷で木の幹に「父」の一文字を刻むことさえできる。これは力の支配ではなく、対話。破壊ではなく、創造への一歩だった。しかし、父の日記に記された域には、まだ及ばぬか――。
だが、復讐のためには十分だろう。
月明かりの下、獣の氣配を察知する。
血の渇きを抑えながら、身を低くした。
かつてなら従者たちが用意した血で事足りたが、今は自ら狩りをしなければならない。
逃げた当初を思い出す、兎を見逃したのは、あれは俺に見えたんだ……。
「獲物を選ぶ……無駄な殺生はしない」
父の日記に記された教えを反芻する。
覇王のシックルではなく、今日は素手の修練。
<血魔力>を極限まで抑え、氣配を消して近づく。
獣が振り向く寸前、一瞬の<影刻加速>で間合いを詰め、急所を的確に捉える。
苦しませることなく、一撃で命を奪う。
獣の血は人族の血ほど甘くない。だが、命には変わりない。
「ありがとう、命を分けてくれて」
自然と言葉が出た。かつての俺なら、このような氣持ちは抱かなかった。
ハルゼルマ家の<筆頭従者>の時代が、遠い夢のように思える。
これもまた父の教えだった。
生き延びるための技術と、魂を失わないための作法。
ハルゼルマ家の<筆頭従者>としては考えられなかった日々。
しかし、この孤独な時間が俺に教えてくれたものは小さくない。
狩りを終え、再び覇王のシックルを手に取る。
今夜も修練を続ける。
もう家族のためではない。誰かに認められるためでもない。
自分自身のため。そして、いつか大切な人を守るため。
孤独が俺に教えてくれた、力の本当の意味。
覇王のシックルが俺の心を読み取っているようだ。
考えただけで形を変え、意志に応えて力を発揮する。
<血文王電>も<影刻加速>も、そして雷状の白焔と金属を操る力さえも、かつてとは比較にならない練度で使いこなせるようになっていた。
これは単なる武器ではない。俺の一部であり、父との絆でもある。
孤独な時間が、この武器との理解を深めてくれた。
覇王のシックルは俺の意思に完全に応え、長剣の白焔が包む闇夜剣と化す。
東マハハイム地方を放浪しつつの修業の旅と情報収集は順調だった、ところが、寂れた獣人たちが多く暮らす村で、毎度のように情報を集めようとしたが……闇の属性が強い高祖吸血鬼に反応する魔道具が奇っ怪な警戒音を響かせる。更に、聖獣と呼ばれていた獣たちが反応し、その村人と獣たちから追われることになった。
今まで友好的だった獣人たちが豹変し、罵り、殺氣を向け罵倒しながら追いかけてくるのは、心にくる。東マハハイム地方のハルゼルマ要塞の真上にあった古都市バビロンの人族たちとは、大きく違う。
古都市バビロンは、高度な法に守られ、秩序を保つ衛兵隊たちは人族ながら立派な者たちだった。
だが、その都市を支配する陰湿な権力者層たちは、衛兵隊とは異なる。
魔界王子ハードソロウや破壊の王ラシーンズ・レビオダに、狂氣の王シャキダオスの眷族と繋がっていた。また、その魔界との繋がり理由から、闇属性に強い反応をもたらす、対吸血鬼用の魔道具も、あまり意味をなさなかったことも大きいか。
覇王のシックルを鞘に納め、〝夜帯華紐〟のアイテムボックスには仕舞わず、普通に腰ベルトの専門の剣帯に差し込み、次なる目的地へと向かう。
再び地下の洞窟に入った。
各地下都市の名を得ていたこともあり、その独立都市を探るように地下の道を駆けていく。
サルジンとスゥンを見つけ出し、そしてミレイを救い出す。
そのために必要なのは、制御された力と冷静な判断だけだ。
南マハハイム地方のサルジンの故郷まで行くより、サイファルの方が近い。
しかし、ここから近い独立都市サイファルまでの地下道も分からない。
方位も魔道具で分かるのは限定的だ。
専門の<地図探知>と<方位探索>に<セラの大地図家>などのスキル持ちは貴重な人材で早々巡り会えるわけではない。巡り会えたとしても俺は吸血鬼だ、人族が受け入れることはない。
だが、このままではらちがあかない、危険をおかし、南に向かいつつ東マハハイム地方の地上の村を巡る――ミレイ、サルジン、スゥン、どこにいるんだ。
彼らの消息は依然として掴めない。生きていてくれ……。
メイラスの言葉を信じ、探し続けた。
分泌吸の匂手を使った痕跡を追っても、その血のフェロモンは違う吸血鬼の場合が多い。
地図や協力者も無しに、独立都市サイファル、エイジハル家のエイジハル血印など、吸血神ルグナド様の他の始祖十二支族家の支配する領域へと移動するのは、凄まじく難易度が高い。
同時に、吸血神信仰隊が多い独立都市サイファル、エイジハル家のエイジハル血印、独立都市ヘルキオスまでの地下の道は崩落により様々に形を変える。
そして、地上よりは少しマシな程度のモンスターの湧きだ……。
力の練度は増し孤独は深まった。仲間を探すという誓いだけが風化していく心をつなぎ止める唯一の楔だった。そうして季節が巡り、風景が変わり、人々の世代が幾度も入れ替わるほどの時が流れた。
――逃亡から20年目。
<血文王電>の微細な制御が可能になった。指先から放つ血雷で、蝶の羽に文字を刻めるほどに。地下での激戦で身につけた破壊の技が、今は繊細な芸術へと昇華されつつある。
――50年目。
覇王のシックルが、俺の血の鼓動と同調は強まった。
白焔が包む闇夜剣。その長剣タイプへの変化の速度は速くなった。
大剣への変化はまだまだできない。
だが、父の日記にあった「血と金属の完全融合」――その境地に、少しずつ近づいている。
ある雨の夜、盗賊に襲われていた少女を助けた。
「ありがとうございます!」
震える声で礼を言う少女に、俺は背を向けた。
「賞金稼ぎに助けられたとでも言っておけ。吸血鬼の名は出すな、それと、雨に濡れたままでは風邪を引く、ここに金貨と回復ポーションの瓶を置いたからな、それで他の家族のところに避難するんだ」
「は、はい。あ、ありがとう……覚えておきます! 黒髪の格好いい、貴公子様!」
――80年目。
人族の一生を、もう幾つ見ただろう。と、酒場で耳にした噂話。
「東の古い吸血鬼の家? ハル……なんとかって家は、とっくに滅びたらしいぜ」
「吸血鬼同士のいざこざが原因のようだが、一族郎党皆殺しと聞いたぜ」
滅びた、か。
数千年続いた家名が、もう過去の遺物として語られている。
だが俺は、まだここにいる。
ある日、廃墟となった村で、朽ちた看板を見つけた。
かつて俺が情報を集めた、獣人たちの村だった。
「ハルゼルマ……?」
看板の文字を指でなぞる若い行商人が、首を傾げた。
「なんて読むんだろう、共通語の古い文字ですね」
当たり前か、共通語も微妙に変化している、ハルゼルマ家は人族からしたら敵と同じ、名前を覚えているのは稀だろう。それでも――いや、だからこそ。
俺は生きている。最後の証人として。
――100年目。
かつて助けた少女が、老婆となって俺を見つけた。
「アァ! あの時の……もしや……お顔がまったく変わらない」
震える手で俺の顔を見上げる彼女。孫を連れていた。
「人違いだろう」
だが彼女は首を振った。
「いいえ、忘れません。あの雨の夜、私を助けてくださった方」
片手を振りながら、俺は背を向けた。
「ばあさん、夢でも見たんだろう。俺はただの流れ者さ」
去り際に聞こえた彼女の言葉。
「ありがとうございました……吸血鬼様、黒の貴公子様……」
数千年の時を生きてきた。
人間の百年など、瞬きほどの時間のはずだった。
だが、この百年は違う。
要塞で過ごした数千年は、守るべきものが明確だった時間。
この百年は、守るものを失い、それでも生きる理由を探し続けた時間。
ミレイ、君はどこにいる?
この問いかけも、もう何万回目だろう。
だが、まだ諦めない。
諦めたら、本当にすべてが終わってしまうから。