第92話:シャーロットと友達
部屋の扉が閉まる。
最初は暗かった部屋が、俺が入った影響か明かりがついて照らされる。
そこは、牢屋を彷彿とさせるような部屋だった。
無機質な灰色の壁や天井が一面に、必要最低限のものしか置かれていない。トイレすら見当たらない。
俺の目的である彼女は、部屋の片隅に置いてあるベッドの上にいた。
青い髪をベッドの上から垂らし、こちらに背を向けて横たわっている。
――僅かのその髪に、水色が混ざっている。
「トリシェル!」
見つけた俺は心配が勝ち、すぐさま駆け寄る。
動いている様子はない。ベッドの側に駆け寄り、急いで体に触れる。――冷たい。
「うそ、嘘ですよね?」
さっきの人はトリシェルは生きてると言っていた。でも、これは。
思わず瞳に涙が溜まる。
「……生きてるよ。残念ながら、死にぞこなったもので」
「っぁ! トリシェルぅ~」
ゴロリと振り返ったその顔は青白く生気はなかったが、確かに動いて生きている。口元は僅かに上がって、辛そうなのが見てとれる。
感極まってしまい、トリシェルの上に覆いかぶさるように抱き着く。仕方がないとばかりに、俺の背中にトリシェルの腕が回された。
「なんで、なんでぇ~」
「はいはい。全く、これがわかってたから……まあ、いいか」
実際に生きててくれて、こうして触れ合えて、言葉を交わせて。
ああ、本当に上手く行ったんだって実感を持てた。不安だった分が全部が全部放出されて、涙となって流れ出ていく。
トリシェルは黙って俺の背中を撫でるばかりで、自然と泣き止むまでそうしていてくれた。
「――そろそろ泣き止んだ?」
「……はい」
「それはよかった」
泣かれていると、話もできないからねと、いつもの調子よりも落ちるトーンでおちゃらけて見せた。
背中をトントンと叩かれ目で合図されたので、そっと覆いかぶさっていたのをやめて一歩後ろに下がる。
トリシェルはゆっくりと状態を起こし、ベッドの上に座る形になった。
起き上がる途中でふらついていたので、支えようとしたら、即座に手で制止される。
「大丈夫、大丈夫だから。……今はあんまり触らないでほしいな」
「あっ、ごめんなさい」
「ううん、謝ってほしいわけじゃないんだ」
起き上がった後、深呼吸を二回。それで、少しは安定した様子だった。
「そんな具合が悪いんですか?」
「まあちょっとね。説明すると難しくなるから割愛するけれど、時間が経てば治るよ」
ちょっと重めな風邪みたいなものと笑って、俺を安心させようとする。それすらも辛そうで。
だから、俺は言葉を飲み込めなかった。
「……なんで、こんなことしようと思ったんですか?」
「夢の中で、話をしたよね?」
「いいえ。それは、こんなことをした理由です。私が今聞きたいのは、しようと思った理由です」
最初からそのつもりだったというのは聞いた。
そのために産まれたというのも聞いた。
でも、本当にこいつはそれを望んでいたのか?
リヴェンが分析していたように、失敗するのを受け入れていたように思える。なら、なんで最初からやろうと思ったんだ? 途中で諦めるという選択肢もあったはずなのに。
「そういう風に生まれたからだなんて、そんな殊勝な人間でもないでしょう?」
「言ってくれるねぇ」
「だって、私が知ってるトリシェルはそういう人でしたから」
飄々としてて、ふらふらとしてて、いつも仕事をしないでだらけてて。
何かを大切にだなんて、笑っておちゃくるタイプの人間だ。
あとセクハラ大好きで、事あるごとに触ってくる。必要だったからとか言ってたけど、絶対私情が挟まってたって確信してる。
俺のこの評価を聞いて、トリシェルは噴き出して笑った。
「酷い評価だねぇ」
「でも大事な時には顔を出す」
なんだかんだ言いながらも、必要最低限はこなし続ける。
やらなければならないときは、やって見せる。優秀な癖に、それを鼻にかけない。
「それで、助けてほしい時には助けてくれる人です」
「恥ずかしいなぁ。面と向かってそういうこと言われるのは」
「受け入れてください」
「無茶苦茶だ」
天を仰いでしまった。
その様子を見るに、見た目ほど体調が悪いわけでもないのかもしれないと思ってしまう。
きっと、俺に心配させまいと無理してるんだろうけれど。
「……なんでか言ってくれないなら、当てて見せましょうか」
「え?」
「嫌になったんでしょう。――私と同じように」
平静を装っていたが、表情の変化を俺は見逃さない。
ああ、やっぱりだ。
「人を騙して、人に嫌われようとして、何も思わない人はごく少数です」
俺がそうだったように。夢の町の中で、俺がリヴェンに吐き出したように。
こいつもそうだったんじゃないか? 役目を果たそうと苦労して、役目を果たした後死んだことを気遣わせないように嫌われようとしてて。そんな辛いことはないだろう。
しかも、そのためだけに産まれた? あり得ない。許されていいはずがない。感情を持った人間に与えていい役目じゃない。
「いや、でも、それは……」
「辛かったですね」
いつもそうやってたように、それはそっとトリシェルの手を取って自分の手を重ねる。
まだ冷たい。こうして動いていなければ、死んでしまっていると錯覚するほどに生気を感じない。
トリシェルは、その重ねられた手を見つめて……唇が微かに動いた。
「……かなわないなぁ」
ぼそりと呟かれた言葉を、俺は聞き逃した。
「え?」
「ううん、ひとりごと」
誤魔化すように笑って、首を横に振る。ただ、重ねられた手には僅かに力が加わった。
「……まあね。誤魔化さずに言うと、それもあったかもしれない」
「やっぱり」
「でもね、根本のところはやっぱ違うんだよ」
俺が握ってない方の手で、そっと優しく手の甲を撫でてくる。
その動作には確かな慈しみが込められていた。
「他の生き方がわからないんだよ。私は自由に生きられる身分でもない、どこまで行こうが、白の眷属なんだ」
「だから、逃げ出さなかった?」
「……そうだね。逃げ出せたかもしれない。でも、私は逃げ出すこと自体が怖かったんだよ。私自身の価値が、意味が、他に存在しないから」
そんな何もない奴が、いていいのかって不安だった、と。
これを聞いて、俺はなんと言うべきか少しだけ迷った。
正しくかけるべき言葉があるような気がして、でも、それがわからなくて。
なんもかんも頭の中がぐちゃぐちゃになるような気がして――気が付けば、トリシェルに頭突きをかましていた。
「は? え? なに」
「いったぁ! ちょっと頭固すぎですよ!」
「いや、それは。え?」
いきなりの事にこいつは戸惑っている。
張り倒せればよかったんだけど、両手は使ってしまっていたのだから仕方がない。
「ふざけたことを言うからですよ!」
ああ、もういいや。
感情のままに、吐き出すことにしよう。
「何が価値がないですか! そんなわけないでしょう!」
生きるのに価値が必要だとは、俺は思わない。でも、それを言っても今のこいつには響かないだろう。
故に、俺はこいつの価値を叫ぶ。
「まず、魔法使いとしての腕は凄い高いじゃないですか。戦闘能力が優れてます」
「まあ、仕込まれたからね」
「地味に部屋の掃除もできます」
「整ってないと気分悪くない?」
いかにもズボラですみたいな感じなのに、細かいところ丁寧なんだよなこいつ。
時間とかも守るし。何なら五分前には約束の場所にはいる。冒険者の中では珍しいタイプだ。
「何よりも! 私の友達ですから、私が必要としてます! これ以上のものが必要ですか!」
そう、価値という言葉を使うのであれば。価値というのは自分で決めるものではなく他者がいてこそ発揮されるものなのだ。
俺が必要としている。必要としている人がいる。それだけで、その人に価値はある。
生きるのに価値が必要だというのなら、俺がその価値を見出そう。俺が生きているから、お前も生きる価値があると言い切ってやろう。
それが、友達ってものだから。
虚を突かれたのか、トリシェルの目はまんまるに見開かれて、無防備に何度か瞬きをしていた。
俺に何を言われたのか、咀嚼するのに時間がかかっているようだ。
理解しきって、笑った。今度は何の憂いもない、心の底からの笑顔に見えた。
「ほんと、シャーロットちゃんって人たらしだよね」
「そんなことないですよ? 私が親切にするのは、私の身内だけです」
「ほんとかなぁ。甘ちゃんだって評判だよ? うちのギルドでも」
「絶対それ噂の元レイナードでしょ! わかりますからね流石に!」
他愛のない会話。
ああ、もう大丈夫そうだ。
不安なら、俺がいる。不安なら、寄り添ってやる。
こいつが抱えている不安は、俺が生きている限り解消できる。価値を求める人に、俺は価値を与えられる。
傲慢かもしれない。でも、必要ならやるさ。
俺は我儘な人間だからな!
「……ごめん。それと、ありがとう」
「どういたしまして! もう二度とこんなことしないでくださいね!」
「次やったら流石にもう持たないかな。本当にきつかったし」
うん。謝罪の言葉も聞いた。俺は受け入れた。
今回の件は、これで終わりだ。
説教するつもりだったけど、そんな雰囲気じゃないしな。
まあ、価値の下りがそれっぽかったからいいか! 大事なのは生きることだ。
「それじゃあ、トリシェルも無事でしたし。立てますか? 一緒に帰りましょう」
「あー、うん。それなんだけどね……」
「?」
トリシェルの視線は、俺が通ってきた扉の向こうへ注がれている。
その先には、まだパラダムとリヴェンがいるはずだ。
あいつにリヴェンがやられるとは思わないから置いてきたけれど……。戦闘できなさそうに見えたし。
「もう少しだけ待ってた方がいいかもしれない」
「え?」
「ううん。向こうの用事が終わったら、迎えに来てくれると思うから。少しだけ待ってよう? ほら、私はまだ足もちょっと力入らないし」
よくわからないけれど、そう言われたらしょうがないな。
俺はトリシェルの隣に座って、扉が開くのを待つことにした。
少しばかり回復魔法で体調をさぐってみたけれど、体自体にはそこまで大きな問題はなさそうだ。安心した。
……もう少しばかり時間が経って、扉が開き。
そこから入ってきたのはリヴェンただ一人だった。
こちらを見つけた。視線が合う。
「あれ? あのおじいさんは?」
「ああ。あいつなら――」
リヴェンの視線が俺の隣に向かう。俺もトリシェルの方を見る。
「――かえった」
帰った? 用事は済んだからどっか行ったってこと?
首謀者がとんずらするなら何か言ってやればよかった! くそう、タイミング逃したな。
「……そっか。嫌いだったけど、嫌いな人でも思うところはあるものだね」
「育ての親だったそうだな」
「まあね。でも、仕方がないよ。そういう定めだったんでしょう」
トリシェルは何かをわかっている様子。育ての親に見捨てられたということで、少し悲しんでるのかな。
それ以上の会話はなく、俺たちは立ち上がって、この施設を出ることにした。
――リヴェンの片手に白い石が握られていたことには、最後まで気が付かなかった。




