第89話:シャーロットと目覚めの時
……何が起こったのか、正直はっきりとはわからない。
土くれのドラゴンが光輝いたと思ったら、次の瞬間には崩れ落ちるように倒れていった。
リヴェンが何かしたのか?
ここからだとよくわからない。わかるのは、リヴェンが立っていることと、ドラゴンの姿が崩れていっていることだけだ。
もう近づいても大丈夫かな? 終わった雰囲気を感じるので、近づこう。
「リヴェン! もう大丈夫ですか!」
「シャーロットか。ああ、終わったぞ」
終わったらしい。駆け足でリヴェンの元へ向かう。
その間にもドラゴンは崩れ落ちていき……俺がたどり着くころには、すっかり消えてなくなっていた。
その場に残されていたのは、大の字になって横たわるトリシェルだけだ。
俺とリヴェンは二人でこいつを見下ろしている。
トリシェルは、不思議とすっきりしたような表情をしていた。
「あーあ、負けちゃった」
「……よく言う、最初から勝つ気がなかった癖に」
「えっ!?」
傍目で見てる分には、結構ぎりぎりだったように見えていたけれど、そうではなかったらしい。
驚く俺をしり目に、リヴェンはトリシェルに語り掛ける。
「なぜ、わざわざ殺されようとしていた。夢の中だからか?」
「夢の中とは言っても、ここは魂によって作られた場所。招かれ人であるシャーロットちゃんや君はともかく、私は殺されれば現実でも死ぬだろうね」
「なら、なぜだ」
「あーあ、全部お見通しなんだから。嫌になっちゃうね」
えと、トリシェルは死のうとしていたってことか?
なんで? どうして?
勝つ気がなかったのなら、どうしてこんなことを?
「……多分君の想像の通りだよ。単純で悪いね」
「憎まれ役になるつもりなら、どうして最初から徹底しなかった」
「え?」
「死ぬんだろう。そのための準備だったんじゃないのか」
え、ちょっと待って。話についていけない。
どうしてそういう話題になるわけ?
死ぬ? 誰が。トリシェルが?
俺が視線を向けると、トリシェルは半笑いの顔のままだ。もう既に諦めているような、そんな表情をしている。
「まずおかしいと思ったのは、俺がこの夢に入った後、何の妨害もなかったことだ」
リヴェンが言うには、今目の前でゴーレムを何体も作り出したりできたのだから、妨害を用意することもできただろうと。
ましてや、この夢の世界の主がトリシェルなら、俺たちの居場所はどこか把握できていてもおかしくはないと予想していたらしい。
「次に違和感を感じたのは、俺が合流した後に何もアクションがなかったことだ。例えば……俺が偽物の可能性をこいつに伝えるかな」
「あっ!」
リヴェンが来る前に色々はあったけれど、確かに出会ってからリヴェンを否定するようなことは何一つなかった。
だから、俺はこいつが本物だと思った後、疑い直すような真似は一切しなかった。
それがおかしいのか。そうか、無駄であったとしても、揺さぶりをかけてくるのが普通だもんな。
「決定的なのは、ここに来るように指示を出したことだ。あの時の紙に、それこそ揺さぶりでもなんでもできただろう。それを、わざわざ姿を現した。己への不信感が募っている状況でな」
「でも、それがどうしてトリシェルが、その、死ぬだなんて話に繋がるんですか?」
妨害をしてこなかったのがおかしいってのはわかった。
それがどうしてこいつの死に繋がるんだ。おかしくないか?
リヴェンは少し考える素振りを見せたのち、再び口を開いた。
「今俺が話をしたのは、こいつが憎まれ役になろうとしているという仮説の根拠だ。確信したのは、先ほどの戦闘中、わざわざ直接狙ってくださいとばかりに隙を見せたり誘導を仕掛けていたりしたことだな」
「演技力には自信があったんだけどなぁ」
「ならば、ロザリンドの時にもう少し実力を隠しておくべきだったな」
「あの時は結構必死だったからねぇ。そっか、その比較か」
憎まれ役になろうとしてた理由がそれだってのはわかった。
じゃあ、どこで死ぬって話に繋がったんだ?
「……こいつを自分の世界に引きずり込むのは、相当な苦痛が伴うんじゃないか、トリシェル」
「え?」
「それは誰から? って、状況的にいるんだね。お姉さんが」
「ああ。ロザリンドが言っていた。今のシャーロットには呪いの類は効かない。魂の格が高すぎる、とな」
魂の格が高いから呪いが効かない?
俺にはよくわからないけれど。ああ、でも失血呪が自然と効果失ってたな。そこらへんに関係あるのかな。
「そんな怪物のような相手を、自分の夢の世界に閉じ込める。術者には相当な負担がかかるんじゃないか? 仮に、年月をかけて準備してきたにしても、だ」
「ははは、そうでもないかもしれないよ?」
「かもしれんな。だが、お前はわざと俺に殺されようとしていた。まるで、敵役のまま死にたがっていたように」
トリシェルは何度か口を開き、返す言葉を探しては、適切なものが見当たらなかったのか閉ざすを繰り返した。それでも、笑みは浮かべたままだ。
リヴェンが言っているのは、全て状況証拠だ。推測に過ぎない。
でも、トリシェルはそれをふざけた話だと笑わない。むしろ、必死に誤魔化そうとしているように見える。
本気、なのか。本当なのか?
「どうして」
「ん?」
「どうして、わざわざそこまでして、こんなことをしたんですか」
もしも、苦しい思いをするって分かってたのなら。そのうえで今回の事件を起こす意味があったというのなら。
それは一体どんな意味があったというのだろうか。自分の命を捨ててまで、やりたいなにかがあったというのだろうか。
俺にはわからない。
苦しくて、苦しくて苦しくて死にたくなるのならわかる。
でも、そういうのじゃなかったんだろう? 何かをやりたくてこんなことしたんだろう?
それは、一体何だって言うんだ?
「……シャーロットちゃんは、お母さんの遺言でこれまで生きるのに必死になってたって言ってたよね」
「え、ええ」
「私にとって、今回のこれを起こすことが、存在する価値。生み出された意味だったんだよ」
心なしか、トリシェルの顔色が悪くなっているような気がする。
見た目の悪化に反して、表情は清々しそうだ。
アンマッチさが、余計に混乱を誘ってくる。
「私は最初から、今回の計画のための駒として育てられた。だから、達成しないわけにはいかないんだ。――それが、私が生きてきた意味だから」
「なるほど。これまでこいつの事を助けてきたのはその意味を達成するためだったと言いたいわけか」
「そう、この計画を実行するため。他のところで躓かれては困るから。全部、全部私が産まれてきた意味を果たすため、その満足できる最期のために――」
トリシェルは途端に饒舌に語りだした。ついに言うべきことを見つけたような。
これならば正しいと思える理由を見つけたような。
どちらにしても、後付けのようにしか思えなかった。
「嘘です」
だから、俺は断言した。
「……嘘って。ほら、散々言ったでしょ? 私は最初からこの計画を実行するためにシャーロットちゃんに近づいてたんだって」
それはそうかもしれない。
でも、違うと言い切れる要素が一つだけある。
ごくごく最近の事だ。もしもトリシェルの言葉が全て正しいのなら、明らかな矛盾がある行動をこいつはしていたのを覚えている。
「だったら、どうして、セイラムの時に死ぬことも厭わないと動いてたんですか。あの時死んでいたら、今回の事には繋がらなかったですよね」
「それは……」
そう、セイラムと戦った時。
俺は覚えてる。俺が駆け付けた時、トリシェルはセイラムに殺される寸前だった。
もう少し俺の到着が遅ければ、死んでいたかもしれない。いいや、多分死んでいただろう。
この計画を実行するのが何よりも大事なら、どうしてあそこで命をなげうつような真似ができた? できるはずがないんだ。
「ほら、返す言葉がないんでしょう。だから、嘘なんです」
俺はその場に膝を付いて、トリシェルの体にそっと触れる。
触れたところに集中する。すると、指先が白い光に包まれ、どんどん広がっていく。
「ちょ、何を」
「私には細かいことはわかりません」
リヴェンが言っていた魂の格だとか。それでトリシェルが苦しんでるだとか、死ぬだとか。
俺には細かい理由はまるでわからない。
「でもね、今日の私は我儘なんですよ」
でも、だとしたら、今俺とこいつは魂で繋がってるってことなんだろう? そのぐらいはわかる。
じゃあもっと単純に考えてやればいい。
俺の力が強くて苦しんでるのなら、その強い力でこいつを救ってやればいい。
死なせない。こんな終わりを俺は許容しない。
「私が掴んだものを、手に入れてきたものを、何一つとしてこぼす気はありません。絶対に死なせません、死なせてあげませんからね!」
ようやく思い出したんだ。
この場所で起きたこと。この町で、最初に俺を助けてくれた人は誰だったのか。
町に来たばかりで、信頼できる人もいない中。誰かが俺に道を差し伸べてくれたんだ。姿を隠していたな。思えば、目立つ髪色だからって深めにフードを被っていたんだろう?
なあ、思えばお前は俺に嫌いかどうか聞いてきてたな。こういう事だったのか。
嫌われてれば、別れるのが辛くないだろうとか考えてたんじゃないのか?
ふざけるな! 俺はそんなもの認めない!
我儘な俺は、夢の中でぐらい望む通りに掴んで見せるさ!
「トリシェル! 夢の中じゃなくて、現実で待ってなさい! また顔を合わせたら……お説教ですからね!」
俺たちを中心に風が吹き荒れ、髪の毛が勢いよくはためく。
気が付けば、俺の髪の毛は純白のまばゆい光を放っていた。
セイラムの時と同じだ。力が溢れてくる感覚。今は、前よりももっと強く感じられる。
何か温かいものが指先からトリシェルに流れ込んでいくのがわかる。俺の望むがままに、何かを与えている。
トリシェルは心の底から驚き、何かを叫んでいるように見える。でも、声は聞こえない。
そうしている間にも、白い光はどんどん広がり、やがて俺たちを飲み込んだ。
その勢いは止まらず、白い光は夢の世界を包み込み――俺たちは夢から覚めた。




