第83話:リヴェンと悪夢の町
上手いこと言いくるめることはできたが、さてはてどうしたものか。
「うえぇぇぇぇん」
俺の胸元で声を上げて泣きじゃくるこいつは、この上なく無防備だ。
果たして何があったのか。俺が知っているこいつは、ある程度の事は飲み込むタイプに思えた。
よほど追い詰められていたのか。だとすれば、間に合ったと考えるべきなのだろう。
「……感謝しなければな」
ぼそりと小声で呟く。
ロザリンドはこのことを理解していたのだろうか。この状況を見て満足げに笑っていそうだ。
何があったのか聞くべきか? いいや、より傷つけるだけだ。
それよりも、今のこいつにとって俺を信じられるものとして認識してもらう方が重要だろう。
あんなことを口走るほど、この夢はこいつにとって不都合なもののようだから。
「そろそろ泣き止め。この夢から脱出する方法を探すぞ」
「……うぅ。方法、わからないんですか?」
「ああ。俺たちが起きるためには、この夢を作り上げている人物を起こさないといけないらしい」
状態を共有しているわけなのだから、この夢の主人となる人間が他にいるはずなのだ。
そいつを起こせば、俺たちも必然的に起きることとなる。
全てロザリンドの談だけどな。
「誰がこんな夢を作り上げたのかは検討が付いている。探すぞ」
「探す……って、歩き回るんですか? 外を?」
「ああ、そのつもりだが……。どうした」
外と聞いた瞬間、シャーロットの様子が明らかに変わった。
目に見えて顔色が悪い。手の先が震えている。怯えているのか。
「――安心しろ。俺がお前を守るさ」
こういう時どうすればいいのか、俺は知らない。
ただ、遥か昔の記憶にあったのは、夜の闇に怯える俺を落ち着かせようとするロザリンドの姿。
頭に手を乗せて、柔らかく微笑む。
どうだろうか、上手くできているだろうか?
「あっ……」
少しだけ、顔色が良くなったようだ。頬に赤みが戻ってきた。
「俺の後ろにいろ。誰であろうと何であろうと、お前にまでは届かせん」
「で、でも……」
「安心しろ。俺はお前の味方だ。それとも、俺の実力が信じられないか?」
最後の言葉は少しばかり冗談交じりに。
しかし、効果はあったようだ。
「――わかりました。お、お願いします」
茶化すのではなく素直に頷いて、縋る様に服の背中部分を摘まむように掴んでくる。
これは……気をつけなければいけなさそうだ。相当余裕がないぞ。
「わかった。念のために確認するが、大丈夫か? 何かあれば、先に言ってほしい」
俺が念を込めて確認すると、僅かに迷った様子を見せる。
なんだ?
「も」
「も?」
「もう一度だけ、言ってくれませんか。裏切らないって、味方だって」
どうやら、まだ不安だったようだ。
その程度でいいならば、幾らでもやろう。
「何度だって言うさ。俺はお前の味方だ」
「聞き間違えじゃないですよね?」
「当然だ。頬でも抓ってやろうか?」
「そ、それは自分でやるより痛そうなので遠慮しておきます」
ちょっとだけ引かれた。それでも服を離さないあたり、逃げるつもりはないようだ。
少し軽率だったな。今ので逃げられる可能性を考えれば、不用意に冗談で刺激するのは避けるべきだ。
……なんだろうなこの感覚は。
不謹慎かもしれないが、この状況に僅かに喜んでいる自身がいる。
俺がここまで夢の中を探した限りでは、特にシャーロット以外の存在はいなかった。そのせいかもしれないが、緊張感がそこまでない。
ただ町中を走り、人の話し声を聞きつけてここに入った。それだけだ。
待てよ? 話し声だと?
「……シャーロット」
「はい」
「しゃがめ」
「はい?」
俺は刀を抜き去り、振り返りながら周囲を薙ぎ払う。
何かの気配を感じたわけではない。ただの直感だった。
しゃがむのがぎりぎり間に合ったシャーロットの頭の上を通り抜ける刀身は、見えないながらも確かな手ごたえを俺に伝えてくれる。
「なんだ、こいつは」
気配を殺し、透明になっていたそれらは、まるで粘土で人型を作ろうとして失敗したような歪な形状をしている。青緑に濁っている半透明な体は、汚れた池の水面を思わせる。
切った感触はあったが、断面が蠢きすぐさま繋がり直す。どうやら、不定形に近い性質を持っているようだ。
「ひっ……っ!」
こいつらの姿を見た瞬間、シャーロットの様子が目に見えて変わる。
顔一面に広がる恐怖の色。なるほど、こいつらが元凶か。
「シャーロット! 外へ走るぞ!」
「ひっ、ひえ」
声をかけても、怯んでいて咄嗟に反応してくれない。
「……ついてこい!」
「あっ」
こうなればと、腕を掴んで無理やり動かす。
慌てて足をもつれさせかけていたが、上手いこと動いたようだ。
店の外に出れば、そこには圧巻の光景が広がっていた。
右を見ても左を見ても、とはこのことを言うのだろう。屋根の上にもいるものだから、上を見てもだな。
「……なるほど、これは悪夢だな」
店の中にいた人型は外にもいた。それも、数え切れない数だ。
「嫌だ、やめて! 違う、違うから!」
「シャーロット!?」
こいつらの姿を見た瞬間、シャーロットが耳を塞いでその場に蹲ってしまった。
咄嗟の事に、振り払われてしまう。
どういうことだ。耳? 俺には聞こえてない何かが聞こえているのか?
再度周囲を見渡す。こいつらの動きはすぐにこちらに襲い掛かってくる様子はない。
ただ一定距離を保ってこちらを取り囲むようにしてきているだけだ。
どうすればいい? どうするのが正解だ?
俺がやるべきことは……。
「シャーロット!」
「い、いや!」
振り払われた腕を再度掴み、声が聞こえるように耳を開ける。
それだけで、この上なく拒否される。暴れられるも、筋力差は明白だ。この程度なら抑えられる。
「聞け、シャーロット。俺の声を聴け!」
視線が合う。怯えている目。不安でたまらないという表情。
ここで何とかしてやれるのは、俺だけだ。
「……俺がこの町に来ると決めたのは、冒険者という職を聞いた時に僅かな憧れを抱いたからだ」
「え?」
咄嗟に口から出てきたのは、まるで関係のない自分語り。
それはえ? という戸惑いの声も出るだろう。
だが、口にしてしまった以上は仕方がない。
戸惑うということは、逆に言えば興味を引いたということだ。どういうことだ? というその先を気にするという興味をな。
「王族というのは話したな。正直、この座を捨てて逃げてやろうかと考えたことは一度や二度ではない」
「えと、その、何の話を――」
「俺の本性は臆病者だ。自信満々に振舞うのは、そうでなければならないという義務感からだ。逃げられるものならさっさと逃げてたさ」
恐怖に青ざめていた表情が、意味の分からない困惑へと移ろう。
これでいい。僅かに口角が上がる。
「シャーロット」
「は、はい」
「俺の声だけを聴け」
もう十分だろう。
俺は刀を握り直し、人型の群れへ向かい直す。
「いくらでも話してやる、下らない話ばかりだけどな。だから、有象無象の音なんざに耳を傾けるな。俺の声だけを、俺との会話だけに、意識を集中していろ」
そうすれば、聞きたくないものを聞かずに済むだろう?
「……今は、逃げないんですか?」
「今か? 逃げないさ」
「怖くは、ないんですか?」
「怖いかどうかか。ふむ、まあ怖いな。戦いで怖くないことなんてないさ、大小の違いはあれどな」
会話にのってきてくれた。
これはいい兆候だ。
「なんですかそれは」
「今更だろう。お前にはオークションの時に情けない姿を見せたはずだが?」
「自信満々に言わないでください」
声に笑いが挟まってきた。
そうだ、それでいい。
刀を構え、どちらへ進むべきか周囲を見渡して思考を巡らせる。
「逃げないさ。お前は俺の大事な……仲間だ。一人見捨てて、逃げられるものか」
「……あはっ。口説き文句ですか?」
「――そうだと言ったらどうする?」
口調はあくまでも冗談めかして。
酒を飲みながら語らうダンジョン帰りの夜のように。気軽に、気さくに言葉を重ねる。
よし、どちらへ向かうかは決まった。後は、こいつを連れてどう突破するかを――。
なんだ、言葉が返ってこないな。
振り向いてみる。
「おい、どうした?」
「…………はえ?」
そこには、顔を赤くしてるシャーロットの姿があった。
「い、いや、冗談ですよね? わかってますよ、ええ。ちょ、ちょっとびっくりしちゃっただけで……。ほら、リヴェン……さんはそういう事言わなさそうな雰囲気ありましたから」
凄い早口でまくし立ててくる。
これは、どう反応するのが最適だ?
いや、プラスに考えるべきだ。この様子なら、周りにまで気を使っている余裕はなさそうに見える。
「シャーロット」
「はいっ!」
「俺の後ろについていろ。突破する」
今ならば、あの人型の群れの中を突破しても問題になることはなさそうだ。
好機を逃すべきではない。
「速度は抑えるが、全力でついてこい。こっちが合わせてやる」
「え? は、はい!」
「いくぞ」
合図を出し、俺たちは人型の群れへと突っ込んだ。




