第75話:シャーロットと野良猫亭の人々
「……また、変な夢見た気がする」
朝起きて、ここ数日抱くのは毎回同じ感想。
変わらない部屋の様子、変わらないアリスちゃんの寝顔、変わらない日常。
その中で、ここ最近悪い夢を見ているような気がすることだけが不可思議だ。
寝起きの感想は毎回最悪。肌荒れもしてる気がしなくもない。睡眠の質が悪い。
そのくせ、眠気はいつも以上だから質が悪い。
病院……なんてものはこの町にはない。あるとしても中層以降だ。
まともでないものでいいなら幾らでもあるけれど、そんなところに行けば周りに何を言われるかわかりきっている。
「ここ最近変な事多かったし、疲れてるのかな」
セイラムの一見で、色々と見過ごせないことが多く出てきた。
その影響もあって、心労が重なってるせいかもしれない。
ここらで一回じっくり休むべきなのかな。働きすぎ? そんなつもりはなかったんだけれど。
お金の問題は、セイラムの一件が終わってからなぜか報酬として支払われたお金で何とかなった。
大本の依頼はそうだったとはいえ、セイラムを殺してしまったのになぜ? と思ったけれど。結果がどうあれ支払われる予定ではあったらしい。
なぜ、そんなことをしたのか、俺にはわからない。
トリシェルなら詳しく知ってるかなと思ったら、レイナードと入れ替わるみたいにどこか出かけてしまったんだよな。
レイナードは、『まあそのうち戻ってくるよ』って言ってたから、多分何か伝えてたわけではなさそう。
んんー、正直不完全燃焼。リヴェンもちょっとよそよそしいし。
アリスちゃん連れて遊びに行くぐらいしか気分転換ができない。
「……気は乗らないけれど、お金は手に入ったし、依頼だすかぁ」
こういう時は、連盟を通じて依頼を出すに限る。冒険者登録してる利点を活かすのだ。
最低限信用できる伝手を頼ってくれるし、金はかかるけど結果は確かだ。
もしも変な病気の前兆とかなら嫌だもんな。前世ほど医療は発展していないけれど、魔法がある分治したり発見したりは今の世界の方が楽なようだ。
早期発見ができるなら、それに越したことはない。
俺が自分に回復魔法を使えばいいんじゃないかって? それで治るならとっくに治ってる。
やってみても、さっぱり原因も何もわからない。所詮まともに学習したことのない付け焼刃の魔法ってところだ。
「なら、動くのは早い方がいいし、しばらく休むってことは伝えないとか……」
最近店休んでばっかで本当に、ほんっとうに申し訳ないなぁ。
マスターは気にするなって言ってくれるし。アリスちゃんはちょっと寂しそうにしてるけれど、もうだいぶ仕事に慣れ始めたみたいだから、補助もいらなさそうだし。俺がいなくてももう平気で店は回るようになっている。
少し寂しい気はするけれど、まあいいだろう。良いことなんだから、喜ぶべきだ。
「ん、んん……」
「あ、アリスちゃん。起きましたか?」
「お姉さん……? 最近早起きだね……?」
「あはは……」
ちょっと前まではアリスちゃんの方が起きるの早かったもんな。
夢見が悪くなってからだ、俺がアリスちゃんより早起きになったのは。
「ん、準備ぃ……」
「こらこら、寝ぼけてて危ないよ。おいで、髪の毛といてあげる」
「はい……」
ベッドから降り、机の方へ誘導して椅子に座ってもらう。
少し起きるのが早くなって知ったことだけど、アリスちゃんはあまり寝起きが強くないらしい。次から、なるべく俺も早起きした方がいいと思わされた。
こんな寝ぼけ状態で毎朝支度してたと思うと、よくもまあこれまで怪我しなかったものだと驚かされる。
いや、違うか。体に染みついているから何とかなるんだ。
今となっては安心しきってくれてるけれど、元々奴隷だったんだもんな。
女の子なれば、当然……ううん、これ以上考えるのはやめよう。
今はただの可愛い女の子だ。それでいいだろう。うん。
「はい、髪の毛整ったよ」
「ん……」
目を擦りながら立ち上がるアリスちゃん。まだ眠いのか、眼を擦りながらも仕事服へと着替え始める。その手つきに迷いはなく、見た目ほどの危うさはない……と思う。
「……お姉さんはぁ?」
一緒に着替えないのを見て、問いかけてくる。
今日は一緒に仕事じゃないのか。今日も朝早くから出かけてしまうのか。そんなところだろうか?
「私は……ちょっと最近調子が悪くて」
「えっ!」
急に目が覚めたみたいで、ぱちりと目を丸くする。
着替えのために離れていたのを、慌てて近くまで寄ってきてくれた。
「お姉さん最近忙しそうにしてたけれど、大丈夫なんですか?」
「ううん、ちょっと原因はわからなくてね。調べてもらおうと思ってるの」
「急いだほうがいいですよ。その、大変かもしれないですから!」
アリスちゃんは俺の手を掴んでブンブン縦に振る。
その表情は先ほどまでの寝ぼけ眼はどこへ消えたか、真剣そのものだ。切り替え凄い早いなぁ~。
「もしかして、最近朝早いのも……」
「それは――」
「前まで聞こえてた気持ちよさそうな寝言が最近うなされた声に変わってたのも……っ!」
「待って、私何を言ってたの。てかアリスちゃん私より早く寝てるはずなのになんで寝言知ってるの」
うるんだ瞳が光を反射する。そこに映っているのは困惑した俺の顔。
「すぐに調べてもらってください! マスターには私からお姉さんは具合悪くて仕事できませんって言っておきますから!」
「いや、それはちょっと大げさな……」
「駄目ですから!」
「……はい」
俺が折れて頷くと、アリスちゃんは満足そうに腰に手を当ててから、俺を再びベッドに寝かせるために腕を引っ張って誘導する。
そして、俺がまた横になると、再び満足そうにして、『駄目ですから!』と再度言い残して部屋から出て行った。
……ううぅん。そんな大げさにするほどではないんだけどなぁ。
部屋の扉が閉められたのを確認してから、上体を起こす。
ただまあ、あれだけ言われると下でどんなことを言われるかも想像ができる。
マスターも働かせてはくれまい。アリスちゃんも、俺が隣にいては気が気でないだろう。
普通に出て行っても、すぐに追い返されるのが落ちだ。
「……朝一で依頼出して、戻ってきて大人しく休んでますか」
それが一番いいだろう。依頼を出してもすぐにどうにかなるわけじゃない。
出すだけ出して、結果がどうなるか連絡を待つ。その間はとやかく言われないように休んでおく。
方針が決まれば、外出用の服装に着替え、汚れたいつもの外套を身にまとう。
フードを被り、顔を隠せば完璧だ。
荷物を確認して、外套の下に隠してから一階に下りる。
準備中のマスターと一瞬だけ視線が交差した。ただそれだけで、何も言われない。
でも、アリスちゃんから話を聞いた後なのか、心配してくれているのは伝わった。
野良猫亭から出ると、開店を待ちわびている常連さんたちが店の外にいた。
強面の人たちが店の前でたむろしてるのだから、営業妨害じみているが、周囲の人たちも見慣れた光景なので顔色一つ変えずにどこかへ歩き去っていく。
俺のこの姿も、常連さんたちにとっては見慣れたものだ。すぐに誰か見抜かれる。
「おっ。シャーロットちゃんか。今日は朝早いな」
「こんな時間ってことはダンジョンか? にしてはあの坊主の姿がないか」
一瞬で取り囲まれた。
「え、えと……」
「今日も店に出てくれないのか? 最近寂しいぜぇ~。まあアリスちゃんも可愛いだな」
「お、お前派閥替えか?」
「馬鹿言え、俺はシャーロットちゃんの方が可愛いと思ってるぜ」
「は? お前あんな頑張ってる健気な子が可愛くねぇってのか?」
「それとこれとは話が別だろうが! ずるいぞお前!」
俺の行く手を塞ぎながら、各々が好き勝手に喋りだす。
無秩序な感じ。でも、全員が笑ってお互いに小突き合ったりしている。
フードを一旦外し、笑いながら少しの間応対することにした。
こういう空気は、嫌いではないからな。
「今日はちょっと、依頼を出しに連盟まで行こうと思いまして」
「ほう、珍しい。シャーロットちゃんが依頼とはな」
「俺が受ける、なんでもやるぜ!」
「お前よりかはスケルトンの方が役に立ちそうだ。向こうのが頭の中身詰まってんだろ」
「んだとてめぇ!」
「喧嘩は迷惑にならない程度にしてくださいね」
一応言いはするものの、こんな軽口は彼らにとっては日常だ。
見た目では喧嘩のように見えるが、全然力は入っていない。じゃれ合いの一環なのだろう。
酒も入ってないのに、本当に賑やかだ。そして、陽気な連中だ。
「ちょっと最近体調が悪くてですね。詳しい人に調べてもらおうと思いまして」
俺が依頼予定の内容を話すと、ぱたりと喧嘩が止まる。
彼らの顔に一様に浮かんでいるのは驚愕。少し遅れて心配が滲み出てきた。
「失礼かもしれないがよ、シャーロットちゃんは回復魔法使いだろ? 自分じゃあ、わからなかったのか?」
「それがわからなかったんですよ」
「それで連盟にか。なるほど、そりゃあ大事だ。俺らじゃ役に立てそうもねぇな」
「残念だったな。スケルトン並みの慧眼を発揮する機会がなくてよ」
「ほざけ。この間アリスちゃんに怖がられるんじゃないかって怯えてた直後に笑顔向けられて、みっともねぇぐらいデレデレしてた癖に」
「おまっ! それ言うのは反則だろうが!」
会話が少し続くと、再び止まった喧嘩が再発する。
……ああ、本当にどうしようもない。口元を抑えて、それでも笑ってしまう。
それを皮切りに、周りへ笑いが伝播していく。
やがて、全員が笑い出した。
「まっ! 無理はしないでくれよな」
「大事にならないようにしてくれよ」
「店にまた出てきてくれるの待ってるからな!」
「最近の活躍、聞かせてくれよな!」
彼らはそう言いながら、俺が通れるように道を空けてくれる。
笑顔に曇りはなく、どこまでも晴れ晴れと気持ちの良いものだ。
「――ええ、是非!」
俺も思う存分の笑顔で返す。
今は営業時間外。しかも看板娘はお休みだ。
だから、この笑顔は俺の心からのものだ。
営業スマイルでも、お客に向けるものでもなく。
ただ、心配してくれた人たちへ向ける、感謝の笑顔だ。
少しばかり心が軽くなった俺は、フードと被り直し、軽い駆け足で連盟へと向かい始めた。




