第71話:リヴェンと生き残り
呼吸を整える。不思議と心地が良い。
周りの全てが味方になっているような気分だ。
数日ぶりに見た光は、あまりにも鮮明に映る。久しぶりだからだろうか? 前よりも遥かに目がよくなったように感じる。
おかげで、紅の軌跡がよく見える。
「なにっ!?」
「随分と目の見えない俺をいたぶってくれたみたいだが、この程度か」
槍の矛先がどこを向いているのかしっかりと見極めれば、弾くのはそう難しい話ではない。
安直な突きなどもってのほかだ。
「本気で来ないのか? 悔いが残るぞ」
「……~っ! ほざけっ!」
憤る足取りは読みやすく、俺に未来を教えてくれる。
半身になれば隣を通り過ぎていき、刀を回せば沿って見当違いへと動いていく。
まるで弟子に稽古をつけているかのようだ。
……? ここまで体が軽いのはなんだ。
あまりにも動きやすすぎる。
思った通りに体が動く。普段見えていないものまで見える。
調子がいいの一言で片づけられるものか。何かが起きていないとおかしい。
紅の閃光が弧を描いて俺の首へと迫る。
その動きも、その呼吸も、その踏み込みも、全てが視界に収まっている。
刀で受けるまでもない。そっと体を低くするだけで、容易に避けられる。
「なっ!」
「遅いな」
姿勢を低くすることで生まれた溜めを、そのまま前方への推進力へと返る。
力強く踏み抜いた一歩は地面を僅かに砕き、左脇から右上へと薙ぎ払う一閃は、セイラムの胴体を深く切り裂いた。感触からいって、胴の半分ほどの深さだろうか。
「……両断するつもりだったんだけどな」
「思い上がるなよ……っ!」
開いた傷口からは血は漏れ出ず、肌がうねり瞬く間に塞いてしまう。
普通なら致命傷だが、どうやらこの程度では意味がないらしい。
生命力ばかりは高いな。
「暗闇に呑まれてしまえ……っ」
晴れていたはずの暗闇が再び俺たちを包み込もうと迫りくる……が。
「『晴れなさい』!」
鶴の一声が響き渡れば、即座に引いていく。
どうやら、ダンジョンの制御に関してはこいつよりもあいつの方が優先度が高いらしい。
なら、いきなりあの暗闇に放り投げられる心配はしなくてもよさそうだ。
「くそっ!」
「小手先に逃げるとはな。さっきの当たりで、よほど勝ち目が見えなかったらしい」
「うるさいうるさいうるさい!」
破れかぶれに振りかぶっては振り下ろされる斬撃を、俺は一つ一つ丁寧に捌いていく。
前までの俺ならばぎりぎりであったであろう攻撃も、寸分の狂いもなく対応できる。これは、ロザリンドとの戦いの最後に見た、世界がゆっくり見えている状況がずっと続いているかのような感覚だ。
この好調が続いているうちに決着をつけてしまいたい。
「今度はこっちからも攻めさせてもらう」
縦に振り下ろされる槍を左へ受け流し、一歩前へ強く踏み込む。その圧だけで、セイラムは後ろへ飛びのこうと体勢を崩すしかない。
切るか。いや、また不十分だ。決定打でなければ先ほどのように治されるだけ。
――いや、切れる場所はある。
狙うは槍を掴んでいる右腕。距離をしっかりと測り、切れると確信をもって――踏み込む。
深紅の槍が円を描いて宙を舞う。意地なのか、切り飛ばされた手は柄を握りしめたままだ。
「なんで、なんでなんでなんで!」
「お前はそればかりだな」
「なぜお前が選ばれて、私は選ばれない! 私はこんなにも全てを姫に捧げてきたのに!」
もはやこいつの目には俺すらも映っていない。
距離を取ったセイラムは、即座に右腕を切断面から生やし、宙を舞う槍を掴んで見せる。
ふむ、四肢の切断も意味なしか。
ならば、狙うべきは一撃で殺せる場所。首か、心臓か。
ここまでくれば、心臓の位置を変えたとか言われても驚かん。つまり、首か。
目標は定まった。
あとはどうやって実現するかだ。
「お前は選ばれないと嘆くが、選ばれるだけのことをしたのか?」
「お前に何がわかる! 姫のために一生を捧げ、時に戦った!」
「では、姫とやらの話をじっくりと聞いてやったことはあるか?」
「――話を?」
ああ、なるほどな。
その手の類だとは思ったが、まさか、本当にそうだとは。
「お前のそれは献身ではない。独りよがりな押し付けだ」
「……黙れ」
「本当に姫とやらは戦うことを望んでいたか? お前らに従ってほしいと望んでいたのか?」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇええええええええええええええ!」
図星か。
そうだろうな。俺の想像が確かならば――あいつはそういうことを望むタイプではない。
自分のせいで、という思い込み一つで安全な拠点を飛び出すような奴だ。
不可解なところはあるが、そこの答え合わせは後々行うとしよう。
「その口で、姫の御心を語るなぁあああああああああああああああああ」
激昂したセイラムは、槍を水平に構えて真っすぐ先をこちらへ向ける。
突撃を伴う突きか。しかも、全身の力を全て載せた、全身全霊の。
ならば、俺も受けて立とう。
「……使わせてもらうぞ、テンユウ」
かつての友がそうしていたように。俺は刀を一度鞘に納める。
そして――脱力。
「ふざけているのか! 諦めたのならば、そのまま死ね!」
「ふざけているものか」
向こうは俺の行動を煽りだと受け取ったらしい。殺意を更に強める。
重心を低くし、地面を強く踏みしめている。そこから溜め……放たれる己を矢とする渾身の一射。土煙だけが、その場に残された。
その速度はまさしく雷の瞬き。風切る音すら遅れて聞こえる。
紅の穂先が、俺の心臓を喰らわんと首を伸ばす。
俺は、その先を行く。
「――あ?」
「終わりだ」
振りぬいた刀を、そっと鞘に納め直す。
俺の背後で、ごとりと頭が落ちた音がした。
――瞬撃。瞬きすら置き去りにする最速の斬撃。テンユウは居合と呼んでいたな。
俺は向こうの攻撃が届く直前、間合いよりも半歩先。
肌すれすれを掠らせるように前へと踏み出し、間合いへ入る。
その後はただ無心で刀を振るい、こいつの首を落とした。
長く長く息を吐く。
全身に虚脱感を感じる。思った以上に、この技は疲労するらしい。
体の調子がいいからできる確信はあったが、常用できる技ではないな。
「リ、リヴェン……」
「ん? なんだ」
「そ、それ……」
終わったと息を抜いていたら、どうやらまだらしい。
シャーロットは俺の背後を指さしている。
ため息交じりに、振り返る。
そこには崩れ落ちることなく、その場に立ち続けているセイラムの体があった。
「首を落としても死なんか。なら、どこを潰せば果たして死ぬのか試してみるか?」
「……そんなことしなくても、もうすぐ崩れるよ」
生首が喋った。もはや俺が想像している人間とはかけ離れている存在らしい。再生辺りからそうではあったが。
崩れる、崩れるとはどういうことだ?
「あーあ。本当に残念かな」
「急に大人しくなったな。どうした」
「もう終わりだとわかるとね。流石に諦めがつくんだよ」
ふむ、そういうものなのか。
確かに、それしかないとなれば俺も割り切って行動ができる。
例え、それが失敗した時にどんな被害をもたらすかわかっていてもだ。
「もう時間もないし、敗者として勝者に呪いを送ってあげる」
「いらん。さっさと死ね」
「そう言わないで。敗者の遺言を聞くのも勝者の務めだよ」
……あながち否定ができん。
動く死体を相手しているようで気分が良くないから、さっさと終わらせてほしいんだがな。
「『ライディアスによろしく』」
そう言い残すやいなや、セイラムだったものは液状に変わり、その場に散乱する。
きらりと光の反射が目に入る。セイラムがいた場所には、白い宝石が残されていた。
「あれ、その宝石は……」
「セイラムの心核だね。これは私が預かっておくよ」
するりと横からトリシェルが出てきて、白い石を拾う。
ふむ、まあいいか。あいつの死体から出たものだと思うと、いまいちどうにかする気も起きん。
ん、ただセイラムの見た目と言動を考えると、こいつは白の一族だったはずだ。ならば、これは白の一族の討伐証明に使えるか?
そう思ったところで、トリシェルと視線が合う。
どうやら、この場は納めて欲しい意志が見える。ならば仕方があるまい。俺だって、今の状況でいざこざを起こしたいわけではない。
あとで、そう、あとでゆっくりと話し合う余地はあるはずだ。
……それよりも、だ。
俺は視線を横に流すようにして、そこにいるそいつを見る。
輝く白の髪、水色の瞳は涙に濡れて輝いている。何というか、今まで意識したことはなかったが、こいつ……。
「……よかった、本当に」
「むう」
「よかったよぉ……!」
「うお! やめろ、抱き着いてくるな!」
人が考え事をしていると、泣きながら抱き着こうとしてくる。
おい、こいつ、危機感なさ過ぎるだろう!
意外と力が強く、引きはがすのにまた少し苦労した。
引きはがしたら剥がしたで、トリシェルが色々な念を込めた視線を寄せてくるものだから貯まったものではない。
……わかっているさ。流石に、今の状況でとやかく言うほど俺も狭量じゃない。
こいつが今まで何をしてくれたのか、それを無視するのはあまりにも道理が通らない。
ゆっくりと話をするさ。
まずは、一段落ついたんだからな。
「帰るぞ。とりあえず、無事に終わったことを外の連中に教えてやらないといかん」
「あっ! 無事と言えば、何であんな自分の首を切るなんてことをしたんですか!」
「わかったわかった。後から幾らでも釈明するから、とりあえず外に出るぞ!」
「私はあれ見て気が気じゃなかったんですからね! ちょっと!」
……ああ、そうだな。
騒々しいが、案外こういうのも悪くない。
俺も、かなり気に入っていたらしい。




