第68話:トリシェルとセイラム
「しっかり前を見ろ!」
気持ち悪いのに無理を言わないでほしい。
こっちはそっちの情報処理量に追いつけてないんだからさぁ!
とはいっても、やらなければ死ぬのは私達だ。
モンスターの群れが、私たちの行く手を塞ぐ。
今度は逃がす気もない歴史の生き残りが、後ろからは追ってくる。
足を止めるという選択肢は許されていない。殺してくれと願うようなものだ。
私の思考が伝わることで、どれだけセイラムを脅威に感じているかはこいつにも伝わっている。だから、必死に来た道を戻っている。
「セイラム! 俺たちが死ねば、町を混乱させる仕組みが動き出すぞ!」
「この際関係あるものか! 長老も、パラダムも、姫を目の前で失っていないからこそこんな現状に満足できているんだ。一度全部壊してしまえば、あいつらも目を背けられなくなるはずさ。 現実逃避の時間は終わりだってね!」
ああ、駄目だあれは。もう人の話を聞ける状態ではない。
セイラムの事について、私が知っていることは少ない。ただ、過去の戦争の生き残りとだけ聞いた。その戦争で、先陣を切って戦っていた人物だと。
現状の生き残りで、最も過去にこだわっている人物だとも。
「出口まで逃げることは不可能だ、エリアボスの部屋まで戻るぞ」
「……ごめん、そこまでで魔法切れるかも」
「そこまで持たせれば十分だ。広い場所ならば、後は気配を頼りに戦える」
「ごめん」
「構わん。元から想定には入っていなかった」
端的なやり取り。
その間にも右腕だけで刀を振るい、モンスターを屠っているのだからやっぱりこいつおかしいよ。一応私と同じように、私の思考も向こうに繋がってるはずなんだけれど。
化け物め……。
私たちはそれでも出来うる限り全力で走る。
セイラムの追ってくる速度は決して速くない。けれども、これまでとは殺気の質が違う。
生物の本能が叫んでいる。あれはやばい、と。
「もうすぐだな?」
「道覚えてたの?」
「歩数を方向転換する回数を記憶していた。そうすれば大体の距離はわかる」
「そっかぁ……」
しかし、足止めにもならないモンスターをどうしてけしかけてきているのか。
これじゃあ、まるで、モンスターが入れない場所まで私たちを誘導しているみたいじゃ――。
「上るぞ!」
考えているうちに、第六階層へ続く階段までたどり着いた。
昇っていいのか? いや、でもセイラムはすぐそこまで来てる。悩んでいる暇はあまりない。
「何をしている、行くぞ」
「……わかった」
いいや、私たちに選択肢はない。
残っても尽きないモンスターに消耗させられるだけなのだから、上らない選択肢はないのだ。
やや遅れて、リヴェンの後をついて階段を上る。
こいつ、視界がずれてる癖によく踏み外さずに階段上れるな。
階段を上り切り、エリアボスの大広間にたどり着いた。
広間の中央までたどり着いた段階ですぐさま反転し、階段の方へ振り返る。
「感覚を切れ!」
「今?」
「咄嗟の切り替えは流石に厳しい。なら、少しでも戻して慣れておいた方が戦える!」
言われた通り、同調を解除する。
同時に、一気に体が楽になるのを感じる。
頭が軽くなった、というと語弊がありそうだけれど。でも、すっきりする。
リヴェンはまた少しふらついた様子を見せたけれど、すぐに持ち直して刀を構える。
この分なら、戦えそうには見える。けど……。
「舐められたものだね。それとも、単なる驕りかな」
「セイラム……」
「その様子だと、トリシェルは満足に戦えそうにないね。よかった、君の魔法は仕組まれてると流石に厄介だから」
暗闇の向こうから、ついに姿を現した。
真っ先に目を引くのは、やはり白い髪だ。白の一族が誇る、一族の特徴。ついで、返り血で染まったと言われる暗闇でも輝いて見える赤い目だ。身長は私に負けず劣らず、リヴェンよりかは少し低いぐらい。
白で統一された衣装は、戦装束というよりも婚姻などの祝い衣装に見えなくもない。
右手には、深紅の槍を握っている。こちらは他のものと比較して、年季が入っているのが一目でわかる禍々しいオーラを放っている。一体、何人の血を啜ってきたのか。
「セイラム! 考えを――」
「黙れ」
有無を言わさぬ威圧により、強制的に言葉を閉じさせられる。
あのふざけていた人物と同一人物はとても思えない。
「最後に聞いてあげる。姫はどこ? 言えば、君だけは見逃して上げてもいいよ」
「……言えない。少なくとも、今のあなたには」
「わかった。じゃあもういいよ。黒に絆された異分子として処分してあげるから」
濃密な殺気が空間を埋め尽くす。
何ともまあ禍々しい。あのロザリンドよりも、よほど歪んでいる。
向こうは上から押さえつけるような圧があったけれど、こちらは首を絞めて殺すような圧迫感がある。強者の圧ではなく、殺戮者の放つ圧だ。
殺気の反応して、リヴェンが動いた。
現時点ですでに目と耳は見えていない。
不利も不利。敵う相手じゃない。
反応して、セイラムは槍の柄で刀を受け止める。
どんな材質で出来ているのかわからないけれど、ギリギリと激しい摩擦音が響く。
「どのぐらいやれるか、せっかくだから楽しませてよ」
聞こえてないのを忘れているのか、承知の上か。
言い放つが否や、彼女は刀をはじき、槍をその場で回転させ刃を真っすぐリヴェンへと向ける。
その無造作な構えから繰り出されるは、音速の突き。
私の目には、いつ突いたのかもわからなかった。弾け飛んだ暴風と、空気が弾かれる音がして、ようやく認識が追いつくぐらいには。
――リヴェンは、何と反応して見せていた。
「へぇ、逸らされたか」
ポタリ。血が滴り落ちる。
反応し、逸らすことには成功したものの、あくまで僅かに軌道を逸らすことに成功しただけ。
心臓を狙っていた軌道を、左肩へとずらしただけに過ぎなかった。
「そのぐらいの実力ね――じゃあ、せいぜい苦しんで踊り死ね」
そこからは、実に一方的だった。
槍を回し、跳ね、時には刃で突き、時には柄で叩く。舞のごとき動きだった。
リヴェンは防戦一方。迫りくる槍を空気の音や直感で防いでいく。防ぎきれないものは血しぶきで応じるしかない。
すぐにでも殺せるだろうに、いたぶっている。彼女の紅の双眸は、狂気に満ち満ちている。
愉悦の笑み。嗜虐とも違う、傷つけているのを楽しんでいるのではなく、どこか遠い別の光景を見ているように見えた。
……このままでは、確実に殺される。
「おっと」
不意を突いたつもりで放った炎の矢は、片手間と言わんばかりに弾き飛ばされた。
「無理しない方がいいよ。顔を見れば、どれだけ疲弊してるかはわかる。後で殺してあげるから、それまで横になってな」
「誰が! そいつに何かあったら、私はシャーロットちゃんに顔向けできないんですよ!」
少し休んで、多少は体力も回復した。めまいも収まった。戦えないことはない。
袖から鉄輪を取り出し、すぐさまセイラムへ向かって放つ。
「……君の戦い方は知ってる。小道具で撹乱し、大型魔法で殲滅する。その戦い方を教えたのは誰だと思ってるのかな?」
私の方へ対応するために、リヴェンへ蹴りを入れ、吹き飛ばしていた。
彼は地面を転がって汚れていく。受け身も満足に取れないぐらいには弱っているらしい。
でも、蹴りの隙を突くように、鉄輪は真っすぐ彼女へ飛んでいっている。
――空しく金属が砕ける音が響く。僅かな光を反射する鈍い光沢の破片が、粉雪のように宙を舞う。
槍の横なぎにて、私の鉄輪は砕かれた。
「君の戦い方に付き合うほど、私は優しくない」
気が付けば、遠い場所にあった紅が目の前までやってきていて――。
「ぐっ、はっ……」
「横になってなさい」
何をされたのかはわからない。ただ、槍の柄で何かされたのだろうという推測だけできた。
鳩尾かな? あまりにも苦しい上、その部分に違和感が凄い。
その場に跪く。立ってなどいられない。吐き気、めまい、意識を保つのが難しい。
いや、駄目だ。気絶するわけにはいかない。
殺させない、殺させてやるものか。
こんな終わり方をして、シャーロットちゃんにどう顔向けすればいい。
「それじゃあ、遊びに戻ろうかな」
遊び。もうはっきりとそう言ってしまった。
こいつにとって、これらは遊びに等しいのだ。
殺そうと思えばいくらでも殺せる。でも、腹立たしいからいたぶってから殺す。
まるで、子供の癇癪のようじゃないか。
そう思うと、少しだけ笑えた。
「……横になってなさい、と言ったはずだけど?」
「そんなこと言われましても、その程度で倒れるなと叩きこんだのは誰でしたっけ?」
気をしっかり持て。
何かできなくてもいい。時間だけは作れ。
何の意味もなくてもいい。可能性がある以上、それに縋れ。
私はそういう教育を受けてきたじゃあないか。
「君が私の前に立ち続けると、死ぬよ?」
「ははっ。今更私の命を案じるんですか? あなたが?」
不愉快だと言わんばかりに、表情が歪む。
ああ、実にわかりやすい。昔っから、実直すぎるんだこの人は。
子供のように移り気で、目的のためには真っすぐで、囚われた檻から脱せられない。
「先に死にたかったなら、そう言いなよ」
「まさか。死にたくなんかないですよ」
「なら――」
「ただ、命の使いどころとしては悪くないって言ってるんですよ」
真っすぐ、セイラムの瞳を見つめる。
決して逸らさない。逸らしたらいけない。
やがて、飽きれたように溜息を吐かれる。
「パラダムに言い残すことは? あいつが君の育て親でしょ」
「……そうですね。少し考えます」
槍が振りかぶられる。次の一瞬には、もうすでに死んでもおかしくはない。
少しだけ悩んで、決める。あいつに伝えるとしたら、これしかない。
決心を固めて、口を開き――
「そこまでです!」
新しい誰かの叫び声が響き渡った。
聞き覚えるのある声で、暗闇を晴らすかのような遠くへ届く声。
首を動かしてみれば、もうその人物は見えるところまでやってきていた。
「……シャーロットちゃん?」
「何を、してるんですか」
怒りを隠しもしない表情で、我らが姫がそこにいた。




