第66話:トリシェルと交渉
「……なんて、奴は思っているだろうな」
『ねぇ、本気? 私はおすすめしないよ?』
「わかっている。だが、これが今取りうる中で最も確実だ」
私たちは今、セイラムが潜むダンジョン――“簒奪”の前までやってきていた。
全てはリヴェンの作戦通りに事は進んでいる。
この三日間、こいつは案を練り、そのすべてを実現させてきた。
『大人しくシャーロットちゃんを待たない?』
「いや、あいつが来てしまえば、向こうの思う通りに動くことになるだろう。交渉において、機先を制することは非常に重要だ」
「わかるけどさ。わかるけどさぁ……」
あいつが大人しく話を聞いてくれるとは思わないんだよなぁ。
長く生きている割に子供っぽいところがあるから彼女。
こいつが思ってるほど、真っ当な交渉事が果たしてできるのか。できなさそう。
『最終確認するけれど、本気であれが頷くと思う?』
「頷くしかないはずだ。不安ならば、最終確認してやろう」
そうしてくれると助かるかな。
私はどうしてもうまく行く気がしないんだ。
いや、聞かせてくれた理論をもとに考えれば、頷ける話なんだけれども。なんだけれども、どこか引っ掛かるんだよなぁ……。
「今俺たちは下層に位置にしている職人層を仲間につけ、セイラムの手勢をはじき返している」
『こっそり暗躍するような連中は君の手下が弾いてるもんね。正攻法で動くしかないわけだ』
流石に表だって動いてくる連中まで弾けば、向こうに大きく動く口実を与えてしまう。
だから、あくまでも大義名分がない奴を潰すだけにとどめていた。
「その通り。更に、お前にやってもらった仕事のおかげで、セイラム本人が動くこともできない」
『そりゃどうも』
私がやった仕事というのは、緋色の鐘の名前を利用した攪乱行動だ。
これに関しては、上手くいく保証はなかった。個人で動くつもりだったし、私に実績はあまりなかったから。
でも、ここで予想外だったのが、他のクラン面子が乗り気で手伝ってくれたことだ。
おかげで、スムーズに話を進めることができた。
具体的に何をやったのかというと、上層の連中が下層の連中の囲い込みをしようとしているという噂の流布だ。これを、職人のみならず冒険者や商人にまで流した。
本来の目的である職人たちだけでなく、冒険者たちにも流したのは職人たちが噂を疑いにくくするため。普段世話になっている冒険者や商人が言っていれば、彼らも信じるだろう。
他にも、商人ならばこれを機会にと囲い込みの詳細を探ろうとするはずだ。なら、その先に仕組んだシャーロットちゃんの存在までたどり着く。
シャーロットちゃんが上層に囲い込まれようとしている……とくれば、商人たちは己を売り込もうとするはず。これを利用して、シャーロットちゃんの動向を探ろうとしたんだけれど、こっちは不発に終わってしまった。
冒険者たちにも理由がある。こちらは、シャーロットちゃんに覚えがある連中のうち、少しでも恩恵に与ろうという野心ある連中に焦点を当てている。
シャーロットちゃんと接点を作るのであれば、必然的に野良猫亭に集まることになる。野良猫亭に冒険者の目が集中すれば、セイラムたちは野良猫亭に手を出すことが困難になる。こちらは労せず、護衛として彼らを動かすことができる。
もし、彼らに何かあればシャーロットやんに恩を売ろうと動いてくれることも期待できた。
これがどうしてセイラムを封じ込めることに繋がるのかというと、セイラムが人目に付きたくないということを見抜いていたからだ。わざわざ暗闇の向こうから話しかけてくること、徹底してこちらへ姿を晒さなかったことを根拠にして。
特に、ボスフロアまで逃げ延びた時、追ってこなかったのが決定打とのこと。
そう、彼女には人前に出られない理由がある。それが何なのか具体的に気が付いたわけではないだろうけれど、こいつはそれを利用した。
とにかく町に人の目を増やして、周囲を見る意識を増やした。これにより、頭が現場に出てこれなくした。
私的には、最初からセイラムはダンジョンから出てくることはなかったとは思うけど……。万が一あの引きこもりが勇気を出して出てきていた場合面倒なことになっていたのは違いないから、否定する気はない。
さて、今回の対セイラムとしての基本方針をまとめるよう。シャーロットちゃんを向こうに渡すことなく、リヴェンの目と耳を治させること。これがこちらの勝利条件。
向こうとしては、何としてもシャーロットちゃんの身柄を抑えること。これが勝利条件。
つまり、リヴェンの目と耳は譲歩してもいいから、対価としてシャーロットちゃんの身柄を求めてくるだろう。
だから、彼女がいない今動く。
『本気で通じると思う?』
「今回の件で、向こうが動かない以上、町の仕組みを崩すことは望んでいないことがわかった。ならば、町の秩序を天秤にかければ向こうも聞く耳をもつはずだ」
理論上は、そうなる。
セイラムを始め、あの方々にこの町の秩序を乱す意思はない。もし乱せば、首を絞められるのは彼女たちになるからだ。
……セイラムのような一部の過激派を除き、あの方々は外に出ることをもう望んでいない。
「職人たちを力で弾圧しないことからも、秩序を重んじていることは間違いない。もし、あいつを手中に収めればいいだけならば、もはや町の事など放置して全てをそれに注力すればいいだけだからな」
こいつもわかっている。
だから、理詰めでどうにかしようとしている。
……果たして、それが上手くいくのかな?
今私に提示されている選択肢は二つだ。
こいつの策に乗って、セイラムを脅す。こいつの策を否定して、中止を訴える。
乗るのは簡単。逆に、否定するのは難しい。否定する理がないから。
だとしても、私の直感は交渉は決裂すると告げている。
こいつはセイラムの執念を知らない。積み重ねてきた怨嗟を知らない。
それを話すことはできないからこそ、説得も難しい。覆すほどの理を示せない。
ため息を一つ。頑固者に挟まれると大変だなぁ。
シャーロットちゃんはよくもまあこいつの手綱を握ってたものだよ。私には到底真似できる気がしないね。
『わかった行こう』
何かあれば、私が全力で逃がそう。
死んでしまった方がいいけど、シャーロットちゃんがいない状況でそんなことを許せば今後どんな目で見られることか。
まだ、私たちの計画が動き出す前なんだから、彼女の側にいなければならない。
……まだ、まだ気づかれるわけにはいかない。
激しく打ち鳴らされる心臓の音を押し殺しながら、こいつの手を引いてダンジョンへと進む。
っと、その前に。念のため一つだけやっておこう。
『ちょっと失礼』
「ん、なんだ」
『動かないでね』
こいつにこの魔法を使うだなんて、本当に心の底から嫌だけれど。最悪のケースを考えれば手は打っておくべき。
指先に魔力を纏わせて、リヴェンの背中に魔法陣を描く。これで、後は私の自由意思でいつでも仕組んだ魔法を発動させることができる。
『終わり。行こう』
「……ああ」
何をしたのかわからないと言った様子だけれど、それでいい。
本当なら、いや心の底から使いたくない。シャーロットちゃんの目の前で全裸……は別にいいか。ゲロを吐けって言われるぐらい嫌だ。
でもまあ、死ぬよりかはマシだと思おう。
私はわざとらしくリヴェンの腕を取り、先導するようにしてダンジョンへと踏み入れる。
ダンジョンの中は変わらず暗い。それだけでない気配がするのは、おそらくセイラムが私たちの侵入に気が付いて警戒しているのだと思う。
「ははっ。あいつがビビってるって思うとちょっと面白いな」
自分を鼓舞するつもりで、誰にも聞こえないのをいいことに呟く。
ビビってるのは私? そんなのはわかってる。
これから私たちが望むのは、生ける神話の目撃者。その一角を担った人物だ。
いくらポンコツに見えようが、その事実は変えられない。
「……心配するな。何のために、こうしてると思っている」
怯えが伝わってしまっていたか。きっと、気配を読まれたのだろう。
確かに、こちらも向こうにバレていない手札を幾つか持っている。果たして、それで対抗できるだろうか。
そんなもので対抗できるような相手なら、そもそも――。
一度リヴェンから手を放し、私自身の頬を強く叩く。
乾いた音が暗闇に響き渡った。
「……よしっ! 行こう!」
こうなってしまった以上、もはやなる様にしかならない。
最善を尽くそう。
リヴェンの手を握り直して、私はモンスターもいない暗闇へと歩みを進め始める。




