第62話:シャーロットと出自
トリシェルが帰ってくるのを待ち、念のため髪染めも済ませてから、作戦会議へと移る。
リヴェンは寝不足が祟ったのか、ベッドに移動して寝てしまった。あんまり朝昼に寝ると夜に眠れなくなるんだけどな……。
まあ、寝かせておいてやるか。会話に混ざることもできないし。
俺たちは椅子に座り、向かい合う。
今ばかりは真面目顔だ。茶化すことは許されない。
「それで、トリシェル」
「うん。答えられることなら、なんでも答えるよ」
答えられることなら、か。
「じゃあ、答えられないことにはなんと?」
「『言えない』、以上の事は言えない」
「絶対に嘘は言わない。そう、捉えても」
「……わかった。嘘は、言わない。シャーロットちゃんが望むのなら」
トリシェルは何かを覚悟したようだった。
大仰だな。少しだけ笑ってしまう。
「わかりました。では、質問していきます」
まず、何から明確にするべきか。別に質問の回数が限られているわけではないけど、最初の質問は大事な気がする。
……決めた。最初に聞くべきはこれだ。
「前提として確認します。リヴェンの目と耳は、セイラムに治してもらう以外に治す方法はありますか?」
セイラムと戦うにしても、避けるにしても、リヴェンを回復させないと話にならない。
だから、最初に確認するのはこれだ。
トリシェルは最初の質問には別の事が来ると思っていたのか、目を丸くしていた。
そして、なんと答えようか口元を抑えて考える。
「……セイラムに治してもらう以外にも、解決する方法はある。でも、詳しい方法は――」
「『言えない』ですか?」
トリシェルは頷く。
軽く歯噛みする。でも、あるとわかっただけ前進だ。
「では、その方法は、今すぐ実行可能な内容ですか?」
「可能か不可能かで言えば可能ともいえるけれど、今の状態では不可能だね」
「――わかりました。可能にする方法は教えてもらえないんですよね」
「ごめん」
「大丈夫です。わかってましたから」
方法はあるけど、現実的ではないと思うべきだろう。追い詰められた状況で、希望的観測は持つべきでない。
次だ。
「もしこの町から逃げた場合、リヴェンは助かりますか」
「そこまでするなら、セイラムは見逃してくれると思う。積極的に殺したいわけではないと思うから」
「なら私も一緒に逃げた場合は?」
「それなら諦めない。諦めるはずがない」
一瞬も迷いがない即答だった。
一応最後まで言うのを待ってくれたけれど、途中で言葉を被せてきてもおかしくない勢いだった。
「何をどうしようが、あいつはシャーロットちゃんを諦めないよ」
「それは、なぜですか」
「話せる部分と、話せない部分がある。聞きたい?」
「はい。聞けるところは、全て」
わざわざそんなことを聞くということは、きっと何か俺たちに都合の悪い話もあるのか?
でも、聞かないわけにもいかない。今はそういう状況ではない。
俺たちは、前に進まないといけないんだ。
トリシェルは一度ベッドで寝ているリヴェンに視線を送り、すぐに俺の方を向き直した。
「……この間のオークションの一件、なぜ勝てたと思う?」
「え?」
凄い唐突な話題転換だ。
セイラムが俺を諦めない理由と、何の関係性があるんだろう。
トリシェルの視線は真面目そのものだ。ふざけている様子は一ミリもない。
……考えてみる。勝因は何だったのか。
「それは、皆で頑張ったから、ですよね」
考えた結果、これ以上の結論は出せなかった。
リヴェンも、トリシェルも、レイナードも全力を尽くした。そのうえで、僅かに上回れた。そういう話じゃないのか?
トリシェルは少しだけ寂しそうな瞳になり、首を横に振って俺の言葉を否定した。
「違うよ。シャーロットちゃんがいたから勝てたんだ」
「……私が?」
まさかの回答だった。
俺のおかげ? そんなわけないだろう。
戦闘の大半には参加できていないし、やったことも足にしがみついて少しの間動きを遅くしただけだ。
リヴェンが決定打を作るときには、既に怪物姉は動きを取り戻していた。動きが鈍ったから、あいつが上回れたとは思えない。
俺の何が、役に立った?
本当に、トリシェルは迷った様子を見せていた。口にするべきか、しないべきか。
時間にして、十秒ほど。その間、俺は黙って様子を見ていた。急かすこともなく、話せと言うわけでもなく。
話してくれると、思ったから。
やがて意を決して、トリシェルは一息に言葉を吐き出す。
「――シャーロットちゃんには、黒の一族の権能を否定する能力があるんだ」
「……え?」
「最後のワンシーン。本来なら、ロザリンドの『崩壊』の権能によって刀が砕かれて終わりだった。でも、そうはならなかった」
――シャーロットちゃんが、彼女に触れていたから。
トリシェルの目が、諦めたように閉じられる。
俺は数回の瞬きを経て、体の芯が冷える感覚に支配される。
聞いてはいけないことを聞いてしまった気がした。体のどこかが騒めいている。
「セイラムは、黒の一族に強い恨みを抱いている。だから、彼らを否定できるシャーロットちゃんを諦めない」
「ま、待ってください。何ですかそれ、なんでですかそれ! 私は、何でそんな――」
思わず椅子から立ち上がり、言葉を荒げる。
トリシェルは、静かに首を横に振る。
言えない。その意思表示に違いなかった。
「……私は、何なんですか」
「言えない」
「私はただの人ですよ。ただの村娘、そんな大層な人物じゃあ――」
トリシェルは目を閉じたまま、顔を僅かに伏せている。
受け入れたくない。受け入れられない。まさかとは思った。でも、そんなわけないと誤魔化せた。
お前に言われたら……どうやって誤魔化せばいい?
言葉を少しの間失い、視線を宙に漂わせて、何をすればいいかわからなくなり、とりあえず椅子に座り直す。
その間、トリシェルは全く身動きをしなかった。
「……トリシェルは、最初から知ってたんですか? 私が知らない、私の素性について」
「……うん、知ってた」
駄目だ。感情を抑えろ。怒るな。
今は駄目だ。そんなことをしている場合じゃない。
でも、何で教えてくれなかったのか。これまでのは何だったのか。
なぜ俺に嫌われようとしてたのか、最近助けてくれてたのはなぜなのか。
膝の上に置いた拳を力強く握り締める。
歯が砕けそうになるほど噛みしめる。
「トリシェルが、私にあれこれしてきたのは、全て、私の素性のおかげだったんですか」
「――うん」
「もし!」
なんでこんな感情的になってるんだ俺。
こいつは町に慣れ始めたころの俺に突っかかって、散々追い掛け回してきて、セクハラしてきた奴なのに。最近だけだ、こんなに親しく振舞うようになったのは。
なんで、なんでなんだ。
「もし、私が普通に困っていて、その時は、どうですか。私が、私でなかったら」
「……ごめん、わからない」
ああ。
困ったように笑うその表情に、嘘が挟まる余地はどこにもなくて。
本心なのだろう。少なくとも、こいつは受け答えの間ずっと誠実たらんとしていることはわかった。
何だこの気持ち。好きだ好きだって言われてて、それが疎ましくも思ってたのに。
いざ、それが素性だけ見てるものだと言われた、この気持ちは何だ。
体から力が抜ける。だらんと腕を垂れ下げた。
「私は、従者として生まれた」
質問をしていないのに、トリシェルが口を開いた。
「とある一族の眷属として生まれ、その通りに育てられた。だから、ごめん。他の生き方や考え方は、よくわからない」
「……その一族が、私やセイラムってことですか」
「それは『言えない』」
はっ。乾いた笑いが出る。
「先に言っておくと、セイラムとシャーロットちゃんに血縁関係はない。遠い親戚とかでも、ない」
「なら、どうして!」
こいつが言う一族とは何だ。血縁がないのに、何が一族だ。
俺はなんだ、どこの誰だ。
もし、トリシェルの言うことが確かなら――俺のせいで、リヴェンはこうなったんだぞ。
向こうの勘違いでも、なんでもなく。
「ごめん」
違う、謝ってほしいわけじゃない。
謝罪の言葉を聞いてばかりだ。俺にどうしろって言うんだ。何しろって言うんだ。
人の後ろに隠れるしか能がない俺に何を求めているんだ。
それすら、俺の勘違いだというのか。
わからない。何が正しくて、何が間違っているのか。
ああ、最初に嘘を言わないと覚悟したのはこういう事か。
理解した。トリシェルとしては、この話題には触れてほしくなかったんだろう。
でも、もう逃げられない。
「……セイラムが私を狙い始めたのは、この間のオークションが原因ですか」
「そうだと思う。詳しい理由は『言えない』」
「これまで接触がなかったのは何でですか」
「『言えない』」
「どうして、今になって答えてくれる気になったんですか。誤魔化すこともできましたよね」
「——『言えない』」
机に拳を叩きつける。
もう、頭がどうにかなりそうだった。
「最後の質問です」
もうこの時間を終わらせよう。
これ以上は、俺の方がどうにかなる。今後の話をするとか言える状況でない。
「セイラムを何とかすれば、全て解決しますか」
「……しない。セイラムと同じ考えの奴は、彼女の他にもいる」
それだけ分かれば、もういい。十分だ。
「……わかりました」
席を立つ。
そのまま、部屋の扉へと向かう。
「ねぇ、シャーロットちゃん」
「もう、わかりました」
俺を引き留めようと同じくトリシェルも椅子から立ち上がった。
俺は扉に手をかけ、トリシェルの方へ顔を動かす。
視線が合った。トリシェルの動きが止まる。
「私が何とかします」
そのまま、俺は部屋の外へ出て行った。
思い描いた未来を作り出すために。




