第60話:シャーロットと独白
……沈黙。
リヴェンは落ち着いた様子だが、微動だにしない。
顔色が悪いな。相当疲れていそうだ。
『横になってください』
「しかし、ここは……」
『トリシェルですよ? 遠慮は不要です』
「だがな……」
女性のベッドという事で遠慮しているようだ。
でも、あいつの方から誘導したんだから寝かせておけってことなんだろう。これで文句言われたら流石に怒る。
『何かあれば私から言いますから』
「……わかった。悪いが、少し休ませてもらう」
そう言うと、横になってくれた。
手探りでベッドの縁を探りながら、安定する場所を探り、こちらには背中を向けて。
……見えてもいないはずなのに、わざわざ背中を向けるのは照れくさいのかな。
不安になってしまった姿を見せたから。そう考えると、ちょっと可愛いなこいつも。
俺もその背中に合わせるように、ベッドに横になった。
特に何をすることもなく。トリシェルが戻ってくるまでやることもないからだ。
背中が触れあった瞬間に、僅かにリヴェンが身じろぎしたが、それだけだった。
気配でわかると言っても、わかるだけだ。誰か、とかどんな感じか、まではわからない。でないと、トリシェルが出ていったかとわざわざ確認はしないだろう。
なら、俺は側にいてやろう。わかる距離、わかる接し方で。
ダンジョンの時も、抱き着いてようやくわかったみたいだしな。
俺は静かに目を閉じる。
思えば、俺も今日は大分疲れた。ダンジョンに潜り、暗闇で精神をすり減らし、頭のおかしい奴を相手にしてまたすり減らし、リヴェンを心配してすり減らし……。
自然と怒りで眉間に皺が寄る。ちょっと、最近の俺、酷使されすぎじゃないか?
あれもこれもお金がないせいだ。やはり、オークションで全額突っ込む意味はなかったんじゃないか? やりすぎだったんじゃないか?
でもなぁ、ううん。後悔は、ちょっとはしてるけれど。やりなおしたら、やっぱり同じことをするだろう。
そのぐらいあのときは腹が立った。
「思えば、そんな長い付き合いでもないのにな」
何かに焦る姿が、昔の俺に重なるからだろうか。
思えば、以前は常に何かに追われていたように思う。
それは時間であり、追手であり、死だった。必死になってここまで走ってきたけど、深く思い返すのはこれが初めてかもしれない。
なんでだろうな。こんな気分になるのは。
少しだけ、背中から伝わる体温が温かく感じる。
「……違うな、羨ましいんだ」
言葉にしてみれば、しっくりきた。
俺は、こいつが羨ましいんだ。リヴェンの事が、羨ましいんだ。
いつからだろう。野良猫亭にて、『成さねばならぬことを成す』と言い切った時の目は、今であろうとありありと思い出せる。あの時だろうか。
もっと昔の事を思い出す。レイナードもそうだった。
確固たる意志を持って、絶対に叶えたい願いを胸に進んできた。
緋色の剣の時代からそうだ。だから、あいつはパーティーが崩壊した後もめげずに走り続け、緋色の鐘を設立するまでに至った。
俺はもう固定を組みたくないと思わされるほど、凄惨な事件だったのにも関わらず。
強い意志があるから、できることなのだ。
成し遂げたい未来を想像しきっているから、立ち向かえているのだ。
俺には、それがない。
俺は流されて生きてきた人間だ。それは自覚している。
生きるために、違う、死なないために生きてきた。
最初からそうだ。家族がみんな殺されて、復讐しようとも思わなかった。
ただ、生きろと言われたから、生きるためだけに生きてきた。
人を踏みにじる行為をしたのも、生きるためだ。
誰かに媚びて、自分を投げ捨てたのも生きるためだ。
生きろと言われたから生きてきた。生きた先に、何かがあるとも思わずに。
ああ、凄い腑に落ちた。
羨ましいんだ。心の底から。
生きるために生きているのではない。矛盾しているようにも聞こえるが、死んでも成し遂げたい目的のために生きている彼らの事が、眩しくて眩しくて仕方がない。
輝きに引かれて、熱に焼かれて、寄り添って暖を取っているにすぎないんだ。
まるで寄生虫だな。我ながら笑ってしまう。
諦めるなと散々口にした理由もわかった。何と自分勝手なんだろうな。
リヴェンに寄り添っている間だけは、俺はこいつと同じ景色を見ていられた。目標に向かって、同じ方向を見ることができた。
俺にも、俺にだってやるべきことがあるんだと思うことができたんだ。
背中が接し合っているのに、どんどんと距離が離れて言っている気がする。
考えれば考えるほど、俺とこいつとの違いが浮き彫りになっていく。
だからあんなに腹が立ったのか。
あんなにも適当なのに、どうしてそんな奴のせいで一生懸命な奴が被害を受けないといけないんだ。
おかしいだろう、と。
その前の、リヴェンが落ち込んでいた時もそうだ。
人生を賭けられるほどの熱を持っている癖に、どうしてそう弱気なんだときっとどこかで思ってしまっていたんだろう。お前にとって、それはそんな簡単に諦められるものなのか。
だから焚きつけた。
それっぽい言葉を並べて、俺の願望を押し付けて、
命を燃やして輝く太陽が、ただそこに漂ってるだけの雲に陰らされてほしくない。
強く輝いていて欲しい。影を晴らしてなお燦然と輝いているべきだ。
でないと……俺はどうなる? 何ともまあ、惨めじゃあないか。
なんでこんなことを考えてしまうんだろう。
いつも通りなあなあにすればいいじゃないか。
そうすれば、明日からまた楽しい日々が送れるはずだ。
リヴェンの事はきっとどうにかなる。トリシェルも動いてくれてる。
レイナードが帰ってくれば、頼もしいあいつのことだ。事態は好転するに違いない。
……俺は? 俺は何をすればいい?
「……シャーロット、そこにいるな」
「はい」
呼びかけられたので、背中を少し押し付けてこすり合わせる。
こうすれば、言葉は通じずともいることは伝わるだろう。
「…………」
「どうかしましたか?」
聞こえないのはわかっているつもりでも、つい口にしてしまう。
そうして、自然と返してくれないかと思ってしまうのだ。
なんともまあ、都合のいい願いではあるのだけれど。
俺の問いかけから、十数秒。口にしてみたはいいが、実際に口にするのかをじっくり迷っていたようだ。
「……感謝する」
「え?」
――驚いた。
「いや、感謝している」
「ちょ、ちょっとどうしたんですか?」
「正直、自分でも驚いている」
一体、何に。
驚きのあまり、起き上がってしまった。
触れていた感触が消えたにも関わらず、リヴェンは気にせずに言葉を続ける。
「前までの俺なら、王になる未来を捨てていただろう」
「そんなっ……!」
「だが、なぜかな。不思議と、また元通りになる気がするんだ」
壁に向いているその顔が、笑っているとわかる。
見えていなくても。仕方がない奴だと俺を見るときの、呆れながらも微笑んでいる表情を浮かべているに違いないと確信する。
「理性は、直感は無理だと言っている。これは、おそらく純粋な欠落ではない」
ああ、やっぱりわかっているのか。
拳を強く握りしめてしまう。手のひらに爪が食い込むほどに。
「考えても考えても、どうにかする方法など俺には浮かばん。正直に言うとな、ロザリンドの時よりも、いい未来は見えない」
にもかかわらず、と繋げる。
「お前のおかげだ。俺がこうしていられるのは」
何を言おうとしてるのかが、よくわからない。
俺が何をしたって言うんだ?
「テンユウの話はしたな?」
頷く。
リヴェンが目標を抱くことになったきっかけを作った、友達だったと聞いた。
そして、あの刀の元の持ち主だ。
「元々、俺は文官を目指していたんだ」
これもまた、驚いた。
文官って、あの文官だよな? 政治的なあれをして戦いなんてしないあれ。
こいつが? 今の姿からは、全く想像ができない。
「兄弟の中で唯一権能を持たない俺は、王の器ではない。ならば、できることは王を支えることだと思ってな、当時はとにかく勉学に励んでいた」
それは……少し想像ができる。
目標があれば、それに進めるのがこいつだ。当時は別の目標へ向かって進んでいたというだけなんだろう。
「それを、何を最初から諦めていると叩きに来たのが、テンユウだ」
声が笑っている。本当に仲が良かっただろうと伝わる声色だ。
前も、口に出してた時は楽しそうにしてたっけ?
「物好きな奴だったよ。わざわざ、最も王位継承から遠い男のところにやってきて、王になれと言ってくる奴だった。馬鹿だな、馬鹿」
口調がどんどん楽しそうなものに変わっている。
見えていなくても、脳裏には当時の事が明瞭に映し出されているのだろう。
「散々引っ張り回されたよ。馬鹿なことを言いだしては、ロザリンドに反対されて二人で反抗しては……床の味を教えられていたよ」
想像ができる。
あの人はリヴェンが変な事しようとしたら実力行使してでも止めるだろうなとは思う。
一周回って何もやらせてもらえなさそう。頭良すぎて失敗した時のリスクを考えてしまうタイプだろうから。
てか、何回もやってたんだ。そりゃあ苦手意識もつくよ。
「お前と同じようなことを言う奴だった。あいつはお前と違って、男だったけどな」
ちょっとだけぎくり。
中身は男なんですよ実は。なんて口が裂けても言えないけれど。
「ありがとう。お前らのおかげで、俺は前へ踏み出せている」
どうして、このタイミングでこの話をしてくれたのだろうか。
この話はこいつにとって大事な思い出話なはずだ。あれほどまでに形見を熱望した友人との思い出なのだから。
自分の中に、いつまでも形を残しておきたい、大事な大事な宝のはずなのだ。
「……それだけだ」
「あっ、ちょっと!」
俺の疑問に答えは出ないまま、リヴェンは一方的に話を打ち切る。
いや、会話にはなってなかったし、返す余裕もなかったけど。
一方的に話されて、一方的に打ち切られるのは気分が悪い。
「……寝てる」
なんか言ってやろうと手を取ろうとすると、スースーと可愛らしい寝息が聞こえてくる。
言いたいこと言い切って、リラックスできたから寝た?
思わず、苦笑してしまう。
「なんだそりゃ」
急に色んなことが馬鹿馬鹿しく感じる。
ここまで言いたい放題されたら、笑うしかない。
息を一つ吐いて、頬を思い切り両の手で叩く。
パンっと乾いた破裂音が鳴り、ジンジンと頬に余韻が残される。
一度空気を大きく吐き、肺が一杯になるまで吸い込んだ。そして、普段通りになるまで吐き直す。
よし、無駄に悩んでいても仕方がない。
トリシェルに相談しよう。色々と。あいつが一番詳しいんだから、あいつに相談しないで話を進める方が間違ってるんだ。
くよくよしているよりかは、よっぽど建設的なことができる。
明日だ明日。何とかするにしても、何かをするにしても寝て起きてからにしよう。
「俺も寝るか」
口に出すと、途端に疲労感に襲われる。
でも、寝ようにも簡素なこの部屋にベッドは一つしかなくて……。




