第55話:シャーロットと横のつながり
何度目かのトリシェルの部屋。
最初とは違い、もうこなれた手つきで椅子を引き、俺を招き入れる。
黙ってそれに従う。
座った後、そっと後ろから外套を脱がされる。
「それで? 今度は何があったのかな?」
「…………」
「ん? 話してくれないとわからないよ?」
本当に、こいつに話してもいいのだろうか。
話し方が若干似ている気がする、ぐらいの共通点しかないのだ。
でも、なぜかこいつとセイラムが重なる。
不明なところが多いトリシェルの事だ。裏でセイラムと繋がっていても、そんな驚きはしない。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、トリシェルは黙々とお茶を出してくる。
二人分、カップに注ぎ、片方をどうぞと差し出された。
俺がカップをじっと見つめ、飲まないでいると、トリシェルが一口だけ自分のお茶を飲み、俺の前に差し出されたお茶とすり替えた。
毒は入っていない。そう伝えるために。
「……警戒してるね」
トリシェルは苦笑いだ。
でも、警戒しないでほしい、とは言わない。
「いつもの軽口は叩かないんですね」
「ん、わかるからね。警戒する理由も」
そう言って、取り替えたカップに口を付けた。
俺も習って口を付けた。
視線を感じた。俺が口を付けたのを、嬉しそうに見てきている。
……なんだよ。そんな表情されたら、ちょっと罪悪感を覚えるじゃんか。
「なんで、警戒するのがわかるんですか」
「言っちゃうと、私はセイラムとは知り合いだからだね」
その一言で、やはりと思う反面、体が硬直する。
俺はまんまと敵の懐に飛び込んでしまったのか?
「事情は……大雑把にだけど伝わってる。後は、まあ状況からの推測かな」
「私をセイラムに引き渡しますか?」
何を聞いているんだろう。
何の意味もない質問だって頭では理解しているのに、聞かずにはいられなかった。
トリシェルがその気なら、俺なんか簡単に拘束できる。
だから、これは意味がない行為だ。
しかし、俺の想像に反して、トリシェルはきょとんと眼を丸くしていた。
まるでこの問いを想定していなかったかのように。
「シャーロットちゃんは、そうしてほしいの?」
戸惑うように尋ねられる。
そんなの、聞くまでもない質問だろう。
「……いいえ」
「なら、しない」
何事もなかったかのようにカップをあおって見せる。
今度は俺が目を丸くする番だった。
しない、しないと言ったか。なら、どうして俺にセイラムが知り合いだと明かした?
トリシェルの真意がわからない。いや、元からわからない奴だけど、今は余計にわからない。
何だ。何がしたいんだ。何が目的なんだ。
「ん? なあにシャーロットちゃん」
「……トリシェルは、セイラムの仲間なんじゃないんですか?」
んーっと少し考えた様子を見せる。
その様子からは、まるで真剣みを感じない。
「仲間、とは違うかな。私はセイラムの指示に逆らえないけれど、向こうは関係ないから」
「そんなの――!?」
奴隷と同じ扱いじゃないかと言おうとして、そっと顔の前に人差し指を差し出される。
言葉を飲み込んだ俺を見て、トリシェルは微笑みながら差し出した指をくるくると回す。
「これに関しては産まれ、役割の話だね。憤ってくれるのは嬉しいけれど、口出されるのはちょっと困るかな」
そう言われれば、俺は黙るしかない。
でも、ならどうして。
「セイラムから私に、『シャーロットちゃんを捕まえてこい』なんて言われてないからね」
思考を先読みされたよう。したり顔で言い切るトリシェルは、自分のカップにお茶のおかわりを注いでいた。
「それに、私としては、シャーロットちゃんの意向の方が優先度高いから」
これまた、お茶目にウインクをされる。
「だから、もし何か言われたとしても、シャーロットちゃんが嫌なら止めるよ」
「……ありがとう、ございます」
緊張が解けていく。苦しかった呼吸が、空気の味がわかる。
体が震えてたのに気が付いた。
あっ。ちょっと涙が浮かんできた。俺、こんなに気を張ってたんだ。
思わぬところで安心できて、不意を突かれた。
「あっ、惚れた? 惚れてくれた?」
「あー、殺意ならちょっと湧きましたね」
「うーん、私のことを思ってくれてる感情なら受け入れちゃう!」
間髪入れぬトリシェルのお調子者ムーブに、軽く笑いながら返す。
少しの間お互いに笑い合って、俺はもう一度カップに口を付けた。
……うん、美味しい。香りもいい。いいお茶なのかな。
「……それで、レイナードに何の話をするつもりだったの?」
俺の緊張が解けたのを見て、本筋に戻してくれる。
こいつ、もしかして俺が思っていた以上にできる奴なのか? なんか最近見直し路線入ってる。
いや、でも表に出したら調子に乗りそうで少しだけ嫌だ。
「実はダンジョンに今から乗り込むので、ついてきて欲しくて」
「それはセイラムがらみだよね?」
「はい。リヴェンが一人で乗り込みました。助けに行きたいんです」
セイラムの事を知っているのなら、トリシェルもこのやばさはわかるはずだ。
こいつはリヴェンのこと嫌いだろうけれど、俺が真剣なのがわかっているからかやめろとかは言ってこない。
代わりに凄い笑顔を向けてくる。
……止められたり、しないよな?
「うん、わかった。今すぐ行こうか」
「……はい?」
「悪いけれど、状況が状況だからね。レイナードはしばらく戻ってこないから、それを待っている余裕もない」
トリシェルは席を立ち、部屋の奥に置いてある杖をすっと取り出した。
見たことない武装だけれど、何なんだろう。
「彼だけだと、多分セイラムも容赦してくれないでしょ。さっさと行かないと、殺されるよ」
「ちょ、ちょっと! でも、いいんですか!?」
さっき聞いた話だと、トリシェルはセイラムに逆らえないみたいなことを言っていたじゃないか!
これは完全にセイラムの意志に反する行動じゃないか?
俺の考えの方が大事とは言ってくれたけれど、それは大丈夫なのか?
「あの、トリシェル……」
「ん? どうかした?」
「いいんですか?」
「ん?」
わからない、と体を使ってアピールされる。
それがとぼけているのか、本気でわからないのか。俺には読み取れない。
本当にわかっていないんだとすれば、言わないのは、悪い気がする。
「セイラムと戦うことになるかもしれませんよ」
「あー……。まあ、ちょっと困るね」
「なら!」
俺が声を荒げたタイミングで、トリシェルと視線が合う。
どうして、そんな優しい目をしてるんだよ。お前はそういう奴じゃないだろう!
ゆったりと近づいてきて、思わず身構える。
そして――そっと頭に手を置かれる。
「そんな心配しないの。シャーロットちゃんはいつもみたいに後ろで騒いでればいいんだって」
「…………」
有無を言わさない言葉。
触れる手のひらから優しさが伝わる。
こんなのに、どうやって返せばいいのかわからなかった。
頭が真っ白になる。どんな顔をすればいいのかわからない。
俺の必死さを受け止めてくれるとは思わなかった。
いいとこ、明日にしようとか言われると思った。今から潜るのはもう遅いからと。
「ん? どうかした? 惚れ直した?」
「……ありがとうございます」
「そっかそっか」
素直に感謝の言葉を出すことしかできない。
憎まれ口でも叩いた方が良かったんだろうか。
……いや、この感謝の言葉は心からのものだ。なら、それでよかったんだろう。
「それに――前から気に食わなかったんだよね、あいつ」
本気なのか、俺を安心させるための冗談なのか。それでも少しは気が楽になる。
名実ともにぼこせるチャンスを逃すわけにはいかないとまで言われれば、笑って返すしかない。
……後でなんかで返さないとな。これは恩を感じないといけない奴だ。
どうしよう。どうやって返そうかな。トリシェル相手の恩の返し方って碌なもの思いつかない。日ごろの行いのせいかな。
まあいいや、借りを増やすのはもういつもの事だ。後で考えよう。リヴェンを助けられたら幾らでも清算してやる。
「シャーロットちゃんは装備大丈夫?」
「はい。マジックバッグに必要な分は入れてます」
「ダンジョンの場所とかはわかってるんだよね?」
「大丈夫です」
「なら急ごう。助ける相手があいつってのが気に入らないけれど……一刻を争う場面だからね」
本当に嫌そうな表情を一瞬だけ見せて、杖を持ったまま部屋を出ていく。
あの杖は何だろうか。聞いてみたくはあるけれど、ダンジョンの途中でいいだろう。
今はもっと大事な状況だ。
トリシェルがここまで焦るってことは、本当に危ないんだろう。
待っててくれ、リヴェン。今行くから。
頼むから間に合ってくれよな……っ。




