第52話:シャーロットと暗闇の向こうに
「ひぇ」
短い悲鳴が口から漏れた。
「ふむ……弱かったな」
エリアボスを一刀両断し、返り血すら浴びていないリヴェン。
こいつ、こんなに強かったっけ? このダンジョンが難易度が低いのか? いやそんなことないよな。
一昨日の事前調査を経て、俺たちは最短経路で六階層のエリアボスまでたどり着いた。
このダンジョンの最初のエリアボスは巨大な蝙蝠。暗闇の中飛び回る上、ドーム状の空間に反響する怪奇音で方向感覚を狂わせてくる難敵……だと思ったのだけれども。
なんと、戦闘時間はものの十数秒。リヴェンに襲い掛かったところを、カウンターで真っ二つにしてしまった。
そんな芸当をしでかした本人は、冷静に刀についた血を拭いている。
……あの刀か? 前の剣の時には、ここまで動きが良くなかった気がする。
なんか魔道具みたいな感じで身体能力にブーストでもかかってるのかな。
「ん、なんだ」
「い、いえ。何でもないです」
「? おかしな奴だな。まあいい、行くぞ」
エリアボスを倒したのだからと、さっさと行くぞと急かされる。
ちらりと通りがかった時に、倒されたエリアボスの死体を確認する。
見た目きもっ! じゃなくて、マジで頭から真っすぐ切られてる。
こうなるとちょっと哀れだな。活躍の機会もなく、何もすることもなく。
南無。
「あっ、置いていかないでくださいよー!」
そんな感じで、エリアボスですら意に介さず俺たちは深部へと進んでいった。
あまりにも順調すぎて暗闇以外にも恐怖を覚える。
思えば、俺たちが揃って取り組む依頼でこんな順調なことがあっただろうか。
最初のカタコンベダンジョンでは俺が攫われかけたりいざこざがあったり、肉袋ではそもそも異常が起きてるダンジョンということで大変な目にあった。
その他の依頼でも俺が攫われかけることがあったし、直近だとオークションのあれは本当に酷かった。
本当に久しぶりかもしれない。こんな穏やかなダンジョン探索は。
初心者組に交じっていた時期以来だろうか?
ああ、なんと素晴らしきかな……。
「止まれ」
「ふぎゃ」
物思いにふけっていると、前を歩いていたリヴェンが止まったのに気づけず背中に衝突してしまう。
「うっ、ごめ――」
「そこにいるのは誰だ」
「え?」
暗闇の向こうに、誰かいる? こんなダンジョンに?
「先ほどからずっと視線を感じていた。観察するような視線をな。暗闇が見せる幻惑かと思えば、明確に敵意を飛ばされては答えないわけにもいかないだろう」
そっと背中から正面を覗く。リヴェンが切っ先を向けている向こうは暗闇が広がるばかりだ。
俺にはそこに誰かがいるかなんてわからない。
もしいたとして、こんな暗闇の中……ああ、一定距離離れると光は見えなくなるから向こうが光源持ってるかはわからないのか。
「……流石だね」
声が返ってきた!? 女性の声だ。
ちゃきりと刀が鳴る。
「お前はセイラムか?」
「そうだ、と言ったら?」
「姿を現せ。依頼により、お前を救出に来た」
そう、リヴェンが暗闇の向こうに声をかける。
しかし、返ってきたのは沈黙。誰かが向こうから近づいてくる足音はしない。
暗闇が音を消す、わけではない。それは先ほどのエリアボスが音を響かせていたからわかる。
つまり、どういうことだ?
「……やはり、怪しいと思っていたんだ」
風が吹いたのかと錯覚する。
実際には、リヴェンが俺にもわかるほどの殺気を放ったのだ。
向けられていない俺でさえ尻もちをついてしまいそうなほどの圧に、セイラムは……。
「待った待った! 私は確かにセイラムで、姿を見せるつもりはまだないけれど、今は君たちに危害を加えるつもりはないとも!」
ものすごく焦りに焦った声が聞こえてきた。
暗闇の向こうで両手を上げて、降参のポーズしてるんだろうなって感じ。
あっ、リヴェンの殺気が少し収まった。というより、呆れてる?
「……なら、なぜ姿を見せない」
「ちょっと訳ありで……。ま、まあ! 依頼を受けてきてくれたのはわかるよ!」
「まさか、あれは救助依頼ではないのか?」
「えっ!?」
いや、確かに人物の捜索としか書かれていなかったけれど。ダンジョンの中での捜索って、救助までがワンセットじゃないのか!?
本当に探し出すことだけが依頼なことある!?
「うんうん、驚くのはわかるとも。あれはね、私が表の人間に頼んで出してもらった依頼なんだ」
「表? ということはあなたは」
「裏側の住人と言っても、いいのかな? わからないけれど、あまり表だって動けないから、こうやってダンジョンの奥を待ち合わせ場所にさせてもらったんだ」
リヴェンはピンと来てないみたいだけれど、俺は理解した。
でも、納得はできない。
裏側の住人が表の住人と会うための場所としてダンジョンを選択することはあるとは聞く。でも、わざわざこんな深く、こんな特殊なダンジョンを選ぶ意味はない。
セイラムはこちらを安心させるように話かけてきているものの、腹の内で何を考えているのかなんてわかったものじゃない。裏の人間だとわかればなおさらだ。
依頼を出させたということは、上層の住人とそれほどの関係値を築いているという事。
なにより、こいつは一人でここまで来れるような実力を持っているということ……っ。
油断はできない。
リヴェンも同じ考えのようだ。まだ空気はひりついている。
「あれぇ。そんなに警戒されてる?」
「当然だ。姿も見せない、敵意を向けてくる、そんな人間が声が届く距離にいるとわかって気を緩める理由がない」
「あれっれー? ド正論過ぎて返す言葉がないなぁ?」
……本当にふざけ切った奴だ。トリシェルを思い出す。
いや、トリシェルでもまだもうちょいまともな対応をしてくれる……はずっ!
「わかったわかった。じゃあ、このままでいいから少しだけ話をしてくれないかな?」
「その言葉を信用することができると?」
「できるさ。だって、私が実質的な依頼主ってことだからね」
それを言われると困る。
もし、本当にセイラムが俺たちと安全に会うために今回の依頼を仕組んだのならば、ここで彼女の言葉を蔑ろにすると依頼失敗扱いにされて報酬がもらえない可能性がある。それは嫌だ。報酬のために受けた依頼なんだから。
一旦、飲み込むしかない、か。
少なくとも、報酬の事を考えれば敵対的行動はとれない。
「リヴェンさん……」
「わかっている」
伝えようと小声で意思疎通を図るが、俺の考えていること程度はリヴェンも理解していたらしい。
警戒はしつつも、一旦刀を下ろしてくれた。
「おっ、話をしてくれる気になったかな?」
「ああ、いいだろう」
「それは重畳。まあまあ、腰を落ち着けてはなそうじゃあないか」
暗いダンジョンと相反する明るい声。
俺とリヴェンは視線を合わせて、周囲にモンスターの気配がないことを確認すると一度地面に腰を下ろした。
今回は日を跨ぐ前提だったので、持ってきていた寝袋を地面に敷いて、その上に。
さて、状況は落ち着いた。
疑念は抱えているが、向こうが何を言ってくるか次第だ。
「さてさて、何から話すべきか」
「なら、質問をさせろ」
「ん? いいよ」
リヴェンの物言いは高圧的だったけど、すんなりと受け入れられた。
むしろ望ましいと言わんばかりに。
「なぜ俺たちを呼んだ」
「正確には、私が呼んだのは一人だけ。リヴェンだっけ? 君はおまけだね」
リヴェンがおまけ?
つまり……
「えっ、私ですか?」
「そうだとも、我らが姫」
は? 姫?
何だこいつ。一気に怪しさが増したけれど。
姫プレイ被害者の会、会員なのかまさか。俺の負の遺産。こんなところに。
「……俺はその言葉を、前も聞いたことがある」
思わずリヴェンの方を見る。えっ、誰だ。どいつと会ってたの。
恥ずかしいんだけど、あの頃の話はあんまりしないでほしい。
思い返すのもきつい。改心したんだから許してくれよ。
「そうかい? なら、君は私の同志にあったのかもしれないね」
「ああ、だとすると……お前はあいつの仲間なのか」
恥ずかしさで転げまわるのを必死に我慢している俺と違い、リヴェンは真剣そのものだ。
温度差が申し訳ない。申し訳ないけれど、ちょっと恥ずかしすぎるから落ち着くまで待ってほしい。
そんな真面目に話し合うような内容じゃないよこれ。
「おそらく表で君が接点があるとすれば彼女だろうけれど、彼女は結構独自に動いているからね。仲間とは言い切れないかな?」
「なるほどな。仲間、と安易に言い切らないあたりまだ信用ができる」
「それはどうも」
人を辱めておいてなんでそんなに和やかなのかなぁ君たちはさぁ!
「それで、こいつを呼び出してどうするつもりだったんだ」
「ふむ、そうだね」
少しの間の沈黙。これは、話すべきかどうか、何を話すかどうかを考えている間だろうか。
まあ、ゆで上がった俺はそんな些細なことを気にしている余裕はないんだけれど。
「我々の町に招待したいと思って。我らが姫を」
だから、この言葉でようやく頭を冷やすことができたのだ。




