第34話:リヴェンと恐怖
「クソっ!」
苛立ちのままに装備を地面に投げ捨てる。
物に当たるだなんて柄ではない。しかし、やらずにはいられなかった。
ただ煽られただけだ。しかも、飄々としている軽い奴に。それなのに、どうしてこれまでに苛立つのか。
ああ、そんなのわかりきっている。わかっているさ。図星だったからだ。
そんなこと、誰よりも俺が一番よく知っている。
「ニール!」
「……あいさ。ちょっくら外回り行ってきます」
ニールを部屋から追い出す。今の状況を、他の奴に見られたくなかった。
「……クソっ」
椅子に勢いよく腰かける。木の大きくきしむ音が聞こえたが、気にしない。そんなものはどうでもいい。
魔法使いの正体はおおよそ予測できている。だからこそ、焦らずにはいられない。
どうするべきか。さっさと魔法使いの居場所を掴んで、実行される前に潰さないといけない。
今の手札で流石に直接やり合うことはできない。元々、戦う予定はかなり最後の方に回す予定だった相手だ。入念な準備がいる。
「ロザリンド。本気か?」
冷静に相手の正気を疑う。
無駄なことだった。あいつはやる。間違いなく。
採算も損害も度外視だ。あいつがやると決めればやり、手下はなんとしてでも叶えようとする。
現実逃避をしている余裕があれば、相手の目算を読むことに集中した方がいい。
……勝てるのか? もし、読み負けたら直接戦うことになる。俺は、あいつに勝てるのか?
いや、勝たなければ終わりだ。たとえ、過去に一度も白星がなくとも、初の物を掴まなければならない。
何のためにここまで来た。成すべきことを成せ。
「成すべきことを成せ」
これも現実逃避に過ぎない。具体的に勝つプランが見えないから、話を逸らそうとしているだけだ。
息を大きく吐く。あいつの顔が頭をちらつくたびに、首を絞められている気持ちになる。
「そんなに根を詰めても、出るものは出ませんよ」
「だとしても、俺は――」
誰もいるはずのないのに声がした。
答えようとして、すぐさま声の方を向く。部屋に入ってくる気配を感じ取れないほど精彩を欠いていたのか、俺は。
そこにいたのはシャーロット。先ほど道端に置いてきた、あの女だ。
「どもども。あはは、来ちゃいました」
こいつは俺へと少し気まずそうに笑ってみせる。
なぜここにいる。ニールは――いや、外回りに出たんだったな。
他の奴はどうした。まさか、素通ししたのか。
そんな俺の混乱は知らんと言わんばかりに、こいつは俺の側まで寄ってくる。
そして、俺の手をそっと取る。
「そんなに根を詰めて。冷静になりましょうって言いましたよね、私」
「ぐっ」
「今ならわかりますよ。会場であの男を追い張らってくれたのも、本当は憂さ晴らしがしたかっただけなんでしょう。冷静になれた礼だなんて、嘘ついて」
諭すような口調に、思わず何も言えなくなる。
怒鳴りつけて黙らせるのは簡単だ。しかし、こいつが言っていることが正しいのも事実。
俺は、ただ感情を整理しきれずに暴れまわっているだけだ。
現実逃避と、行き場のない感情の爆発を繰り返しているだけ。見たくもない現実から気を逸らすためだけに。
「ずっと冷静じゃないですよね。こういうのは一度人に話した方がすっきりしますよ」
見透かしたようなセリフ。
「必要ない。さっさと帰れ」
「もう、そうやって意地張ってもいいことないですよ。変なところで意地っ張りなんですから」
「意地なんざ――」
『お前は変なところで意地っ張りだな。王子様なんだから、もっと周りを使えばいいだろう』
幻聴が聞こえた。懐かしい響き。今は聞こえるはずがないもの。
俺が目を丸くしたのに、こいつも驚いたようだ。人が驚いたことに驚くとは、失礼な奴だ。
聞くと言ったのはお前だろう。
なら……ああ、そうか。結局、俺は――。
シャーロットから視線を逸らして、下を見る。代り映えのない床があるだけだ。
あとは、力なく垂れている俺の腕と、足。体が見える。後は、この女の体も少し。
「……悪夢を見る」
「悪夢、ですか?」
「ああ」
しばらくの沈黙の後、驚くべきことに口が勝手に動いていた。
言うつもりはなかった。言ったところで何にもならない。
「どうしようもない相手に立ち向かう。失敗すれば全て失う。そんな幻覚だ」
「……そんなことどうしたって、笑いそうなものですけれど」
「そうかもな。いや、そうしていたのは事実だ。友の言葉に従ってな」
一度口にしてしまえば、止めどなく流れ出てくる。
「その友って言うのは、あの刀の……?」
「ああ、テンユウという。ある意味、俺がここにいる理由を作った男だ」
それだけを言って、思いをはせる。今の俺をあいつが見たらどんなことを言うんだろうな。
怯えていても仕方がないと尻を蹴とばしてくれそうなものだが、さてはて。
あいつはいざという時は逃げろと散々言っていたからな。想像ができん。
「……お姉さんがそんなに怖いんですか?」
聞いてもいいのかと不安そうな声だ。
そうだろうな。先ほどあれだけ激昂してみせた内容だ。それでも聞いてくるあたり、図太い奴だと思う。
「怖いと言えば、いや、怖いな。俺は一度も、あいつに勝てたことがない。それに、今回負ければ全てが台無しだ」
「……それが、怖いんですか?」
鼻で笑う。台無しになることが怖いか、か。怖いと言えば怖い。だが、その程度なら笑って蹴とばしてやろう。
俺が恐れているのは、その先だ。
「その程度ならいいだろうな」
「では、何が?」
「台無しになった先。俺が成そうとした全てが無意味だったと突きつけられる。そんな幻覚だ」
下を見るのをやめ、今度は天井を見上げる。質素な天井だ
「笑えるだろう。俺がやらなければと思い立ったにも関わらず、俺でなくてもできるのではないかと怖気づいたわけだ」
「…………」
「あいつと四週もの間知恵比べをさせられたが、一度も勝てた気がしない。才能というものを見せつけられた気分だ」
最初は勇んで見ても、実際及び腰になったのはそういうことだ。相手は常にこちらの予測の一歩先を上回ってくる。
事実、魔法使いは今のこの町に潜伏し、行先を掴めていない。
以前から追跡していた追跡網からも上手く目をくらまされていた。
ハイデン本体を囮に使ったことからも、相手の狙いは確実だ。
正直、全くの予想外ではあった。前哨戦のつもりが、ぶっつけ本番になるとは予想していなかった。
……あの女は、この町に直接乗り込むつもりだ。
理屈も損得も全てを無視して。使った手ごまを全て使い捨てても構わないと。己の欲求を叶えるためだけに。俺には到底できない真似をするつもりだ。
だからお前は私に勝てないのだと言われている気分だ。
「どうだ。聞いてもくだらないと思うだろう」
「……そうですね」
話を振ると、少しだけ悩んだ様子を見せる。
そして、実に不思議そうな顔をして、
「私にはさっぱり、悩んでいる理由がわかりません」
きっぱりと、そう言い切った。
「お姉さんが怖いのはわかりました。あんまり想像できませんが、リヴェンさんより上ってのもわかりました」
首を横に振りながら、まるで幼子を諭すように言葉が続けられた。
不意に、視線が真っすぐこちらへ向けられる。
その眼は、間違いなく見たことがあるものだった。
「でも、聞いている限り、負けた時の言い訳をしているようにしか聞こえません」
『お前はいっつも、負けた時の事ばかり考える』
「勝たなければならないんでしょう。なら、負けるその瞬間まで、負けた時のことは考えるべきではありません」
『想像ばかり達者だと、できるものもできやしない』
「それとも、最初から負けるつもりでやってましたか?」
『最初から負けるつもりで勝てるものか』
続けられる言葉に重なって、いつか聞いた言葉が並べられる。
「もう負けたんですか? まだでしょう? なら、諦めるのは早いとは思いませんか」
『ほら、まだ戦いは続いているぞ。それとも、お前の膝はもう折れたのか』
「どうしても勝てないと頭を悩ませるのなら、それは考え方自体が間違っている証拠です」
『思考が硬い! 同じ土俵で勝てないのなら、戦い方自体を変えてみろ!』
「どうですか? 少しは話してみる気になりませんか?」
『ほら、話してみろ。どうせくだらないことだろう?』
得意げに笑ってみせる女が目の前に一人。テンユウの姿はどこにもない。
にもかかわらず、どうして俺はこいつにその面影を見るのだろうか。
「……なぜ、お前はわざわざそんなことを言いに来た」
「え? なんでか、ですか?」
「ああ。俺とお前はただの契約関係だ。俺がいなくなっても、元の生活に戻るだけだろう」
それはそうなんですけれどと、頬を掻いて少しだけ困った様子を見せる。
「私、結構気に入ってるみたいなんですよ、この関係」
「……おかしな奴だ」
「私でもそう思います。――それに、一つだけ共感できることがありますから」
俺の手を放し、そっと立ち上がって見せる。
そして、そのまま向かいの壁へと歩いて行き、俺と向かい合うように背中を壁につけて立つ。
「私、天涯孤独ってやつなんですよ。昔、住んでた村が襲われて……その時に、家族は皆死んじゃいました」
「なんだと?」
「知らないですよね。当然です、誰にも言ってませんからね」
放浪していた時期があるのは知っていたが、そんな情報は知らない。
そんな過去がこいつに? この、能天気な女に?
顔を見ると、苦笑いしている。どんなふうに思われているのか自覚しているのかもしれない。
それとも、俺が驚いているのに苦笑しているのだろうか。驚かせてしまったことに、何か思うところがあったのだろうか。
わからない。今の俺には、こいつの内心がわからない。
「だから、私は生きてるだけで得るものばかりなんですよ」
全てを失ったからこそ、ここからは得るものしかないという言葉。
どこまでも前向きに見えて、極めて後ろ向きな言葉だ。
「得たものを失いたくない。それだけじゃ、駄目ですかね?」
だから、俺の力になると。
今回、こいつの力を借りる気はなかった。俺の戦いだからと、一緒にしてはいけないと思っていた。
だから、オークションでも正直別行動をしたかったぐらいだ。
招待されたのはこいつで、俺はおまけだからこそ、会場で一緒になるのは我慢できる。
でも、戦いに巻き込むのは違うだろうと、なるべく別行動をするつもりでいた。
こいつの仕事は俺がダンジョンに潜るための補佐であって、俺個人の戦いの手助けをさせる契約はしていない。
なのに、こうやって巻き込まれようとしてくる奴がいる。
わざわざ、何の益もないというのに。
「どうですか? 話してみる気に、なりませんか?」
少し離れたところから俺へ手を差し出すこいつは、満面の笑みを浮かべていた。




