第27話:シャーロットと冤罪
リヴェンは去っていった。今日のところはダンジョンに潜るつもりもなくなったらしい。
無理もない。俺だって、あんなことがあればやる気を失う。
「……友達の、遺品かぁ」
少し離れた位置の机で絵本を読んでいるアリスちゃんの邪魔にならないように、小声に留める。
リヴェンのあの表情、途方もなく苦しそうだった。
思い出すのも辛そうで、俺の家族を思い出すときによく似ている。
きっと、とても大事な友人だったんだろう。どういう経緯で失ってしまったのかは知らないけれど、未だに割り切れてはいなさそうだ。
ごろりとベッドの上で寝返りを打つ。
俺も、失った家族を思い出す。
目を閉じれば、すぐにでも思い出せる。温かい家族。優しいお母さんに、働き者で村の中でも信頼されていたお父さん。
前世の家族も、だ。気難しいところがある母だったけれど、それでも、大切な家族だった。
友人たちもだ。馬鹿してた連中、今頃はどうしているだろうか。
……大したものも、残せなかったな。
残す側の気持ちも、残される側の気持ちもわかる。
だから、リヴェンがどんな気持ちでオークションに臨むのかも、わかる。
俺だって今世のお母さんの遺品が手に入るとなれば、のどから手が出るほど欲しい。何としても手に入れる。せっかく貯めた全財産を渡せといわれても、渡してしまえる。
何一つ、何一つとして残らなかったんだ。それがどれだけ辛いことか……。
ベッドから起き上がり、カタログを開く。ページをめくり、目的のものを探す。
見つけた。リヴェンの友人の遺品という、刀だ。
剣ではなく、刀。この世界では刀は珍しいから、見間違えることも少ないはずだ。
それがどうしてここのオークションに流れ着いたのかはわからないが、あいつからしたら千載一遇のチャンスのはずだ。
「……よし、決めた」
今回は損得勘定抜きでリヴェンの事を応援しよう。できることなら手伝うし、貸し借り無しで手を貸そう。
せっかく打ち解けられる相手なんだ。そのぐらいはしよう。俺がそうしたいんだ。
こういう時、まだこの世界の住人になり切れてないな、と思ってしまう。自嘲する。
この世界はどこまでも残酷で、非道で、優しくないのに。そんなことは頭の中で理解できているのに。前世の記憶があるせいか、自分の事だけに集中しきれない。
アリスちゃんの方を見る。必死に絵を見ながら、文字の勉強をしている。
文字が読めるかどうかで、この世界でも可能性がぐんと変わる。読めないばかりに、ぼったくりに遭うなんて普通のことだ。
その可能性を無くすために、彼女に文字を教えることに決めたんだ。
お人よしだとは思う。トリシェルなんかは甘すぎるって言ってくるだろうか。
あっ、視線に気づかれた。どうしかしたのかと首を傾げてる。可愛い。
「ごめん、なんでもないの」
「そう、ですか?」
「うん。邪魔しちゃったね。ああ、でも、どこか教えて欲しいところあったら言ってね」
「いえいえ! 本なんて高価なものを用意してくださったのに、それ以上の事は……」
俺は立ち上がって、アリスちゃんの側に寄る。
こちらを見上げつつも恐縮しているアリスちゃんの頭をそっと撫でて、落ち着かせてあげる。
「いいの。私が、そうしたいんだから」
「でも」
「いいから、子供は大人しく甘えてなさい。それが許されるうちに」
そう、そういった環境はいつ失われるかわからないんだから。
子供が子供としていられるうちに、大人にならざるを得ない前に、甘えられるうちに甘えておくべきなのだ。
今世の俺がそうだったから。
アリスちゃんの艶やかになった撫で心地の良い髪を撫でていると、部屋の戸が叩かれた。誰だろう?
戸を叩くのはアリスちゃんぐらいだ。でも、彼女は今俺の目の前にいる。
少し待っても、部屋の外から声をかけてくる気配はない。
店の人ならば、遠慮なく開けようとしてくる頃合いだ。その兆候もない。
ここに来るまでには店を通らないといけない。だから、不審者が簡単に入ってこれる場所ではない。
「……どなたですか」
警戒しつつも部屋の外に声をかける。扉は開けない。
「あー、どうも? リヴェンさんから話聞いてませんかね?」
返ってきたのは、思ったよりも軽快な言葉だった。
口調からすでに軽薄そうな人物だと伝わる物言い、胡散臭い訪問販売みたいな感じがする。
でも、リヴェンという名前を出した以上、関係者ではあると思う。
彼がむやみやたらに自分の名を名乗るような人物だとは思えない。
「リヴェンさんから? すいません、どなたですか」
「ニールっていうもんです。二週間後についての話し合いして来いってあの人に蹴りだされてしまいましてね、いやあ参った」
……聞いている限りでは嘘って感じはしない。でも、胡散臭さは感じる。
ちらりとアリスちゃんの方を見る。何かあれば彼女を巻き込む。中に招き入れずに、外で話をするべきだ。
「今出ますので、ちょっと待っててください」
扉の前から人が離れた気配がする。これなら、開けてもすぐに部屋の中に押し入られることもなさそう。
扉を開けて、廊下に出る。そっと扉を閉める。
「ああよかった会ってくれて。おかげさまで、今日もちゃんと屋根の下で眠れそうっす」
廊下にいたのは、口調の通り胡散臭そうな笑顔を浮かべた男。
茶髪を短くまとめて、服装は小綺麗にまとまっている。何も知らなければ、商人の類だと思っていたかもしれない。
なるほど。確かに彼を補佐するにはこういう人物が適しているだろう。
いわゆる表で交渉を行うタイプの人材。口下手だもんなぁ、あいつ。
とてもじゃないけれど、この人はアリスちゃんには会わせたくない。悪い影響を受けそうだ。
「屋根の下で眠れそう、とは?」
「いやね、酷いんですよあの人。できなかったら帰ってくるなーとか。無能な奴にくれてやる飯はないー、だとか。本当、いつ逃げ出そうかって――あっ、これ内緒でお願いしますよ」
「あはは……」
割と言いそう。わかる。そういう事言うよあいつは。
結構情け容赦ないもんな。ずばずば言いたいこと言うところとか。
俺には、割と優しめ? だけど。言うだけ無駄だと思われてるだけかもしらん。
「それで、お嬢さん。お話はここで大丈夫ですか? 下の酒場でやっても、私は構いませんが」
「……そう言って、させる気なさそうですけど」
「はは、案外意図をくみ取ってくれて助かります。能天気で一人で生きていけないような人物だって聞いてましたが……案外話せそうだ」
細めていた目がわずかに開かれた。
ぞわりと悪寒が背筋に走る。やっぱり、この人も只者ではない。
「おっと。私としたことが。失敬失敬」
すぐに緊張した空気が緩和される。
何事もなかったかのような、談笑していた続きの雰囲気。
気持ち悪い。この人に対する印象ががらりと変わった。
こいつは笑顔で人を殺して、何事もなく飯を食えるタイプの人間だ。
何度かこの手の人物には会ったことがある。決まって彼らは友好的で、言葉が通じてしまう。
そして、人に警戒を抱かせない。
「それでは、少しお話をば。お許し願えますかな? お姫様」
「……ええ。大袈裟にしなくてもいいですよ、ニールさん」
冷汗が伝う。これ、屋根のないところで寝かせておいた方がいい相手だったかもしれない。
口にはしないけれど。でも、笑みが深まったのを見ると、悟られたかも。
「では、二週間後何があるかと言いますと……まあ、本国からの追手ですね」
「本国からの? ということは彼は――」
「そこら辺は本人が語らない限りは語れないという事で。私に言えるのは、この町に暗殺者集団がやってくるというところまでです」
暗殺者集団!? そんなのに追われてるなんて、何者なんだよあいつ。
立ち居振る舞いが綺麗だし金持ってるからどこかの坊ちゃんかと思ってたけれど、本当に貴族の人間かよ!
でも、ここら周辺の貴族なら多少は知っている。黒髪なんて珍しい髪色の人物がいれば、耳に入っていてもおかしくはない。
本国からのと漏らしていた通り、他国の人間なのか。それも、俺が聞いたこともないような。
黒髪、黒髪かぁ。ううん、そう言われると心当たりがないような、ないような……。うん、わからない。
「続きを話しても?」
「え? ああ、はい。どうぞ」
しまった、物思いにふけってしまっていた。こういうところ悪い癖だな。
「暗殺者と言っても命を狙ってるわけじゃないんですよ。目的はおそらく、リヴェンさんの身柄の拘束でしょうね」
「そうなんですか? 家出してきたとか?」
「遠からずも、といったところです」
へぇ、可愛いところあるじゃん。家族がそれを見て連れ帰ろうと……いや物騒だな!
いや、あいつが物騒なのはそういう物騒な家庭で生まれ育ったからなのか。環境は人を作るっていうもんな。うん。
でもさぁ、話聞いてるかぎりさぁ。
「私にできることあります? それ」
何もなさそうだけど。手伝えとは言ってたけど、俺に何しろっていうんだよ。
荒事の役には立たないぞ。傷を治すことはできるけれど。
「はははは、そうですね。ありませんね」
おい。
「まあまあ、そんな顔なさらず。実は、貴方が出歩いているだけで助けになるんですよ」
「と、言いますと?」
「今回の追手はおそらくリヴェンさんのお姉さん――ロザリンド様の使いです」
それが何の関係があるんだろう。
てか姉に追われてるのか。親じゃなくて。不思議な家庭だなぁ。
「で、ロザリンド様は大層リヴェン様を気に入っておられて、庇護下に置こうとしています」
「はい」
「一昔前なんかはリヴェン様に近づくものは全て敵だと言わんほどでした」
「……はい」
「過保護であらせられるロザリンド様が、もしリヴェンさんが家出した先で女の子の世話になっていると聞いたら、どう思われると思いますか?」
…………ちょっと!?
え、嘘でしょ。暗殺部隊差し向けてくるような相手なんだよね?
嘘だと言ってくれるよね?
ニコニコ笑みを浮かべやがってちくしょう!
「もしかして、私が誑かしたと思われたり……」
嘘だと言って欲しい。なんで俺がそんなことに巻き込まれないといけないんだ。
ニールの笑いは深くなっていく。非常に楽しそうだ。
「ま、でしょうね」
ま、でしょうね。じゃないだろおおおおおおおおおおおお!
悲しいことに、無実の罪で殺されかけることが確定してしまった瞬間だった。




