第22話:シャーロットと怒りのボス
開いた穴を滑り落ちて、たどり着いたその先は広い空間だった。
肉々しい外観は変わらずに、何もないだだっ広い空間がそこにはあった。
「いたた……」
「全員いるか?」
着地に失敗したのは俺だけで、他の連中は全員無事に着地したらしい。
俺はそれどころじゃなかったといえばそうなんだけど。
周囲を見回すと、落下の痛みに伴って体に現実感が戻ってくる。同時に、ドロドロとした感触が気持ち悪く感じるけど。
「ここは?」
「下の階層まで落ちたみたいだね。みんな、構えて?」
「え?」
状況を理解できていなかったのも、俺だけだったらしい。
下の階層まで落ちた? ってことはここは五階層か?
五階層ってたしか……エリアボス!?
待って欲しい、準備も何もしていないぞ今回は!
「来るよ!」
「うわわ、うわぁ!」
俺は慌てて走りだす。少し遅れて、俺がさっきまでいた場所に上から肉の塊が降ってきた。
びちゃりと嫌な音を立てて地面に落ちたそれは、天井に連なっている触手に引っ張られて宙へと戻る。
表面に細かい筋が見えていて、細かく脈動している。
これは……なんだ? 遠目から全景を見ると、あの壺みたいな食虫植物……そうだ、ウツボカズラに良く似ている見た目をしている。ただの壺でなく、少しL字型に曲がっている感じの見た目だ。
肉塊の中央部分が蠢く。蠢いた部分が二つに開き、巨大な一眼が現れた。
ぎょろぎょろと瞼のない瞳が周囲を見回す。
――気持ちわるっ! 上の階層に出てきたモンスターも十分きもかったけれど、こいつはそれにも増して気持ちが悪い。
これがこのダンジョンのエリアボスか!?
「こいつは消化液を巻き散らしてくる。返しの液だけでなく、上の口から飛び出てくる液には気を付けて!」
レイナードは号令を掛けながら、既に戦う態勢を整えていた。リヴェンも同様だ。
俺は急いでボスから離れて、トリシェルと同じところまで引く。
「それじゃ、いっくよ~。“紅蓮”!」
トリシェルが戦いの口火を切る。
手に生み出していた弓に炎で作られた矢を番え、気色の悪いウツボカズラへ向かって放った。
燃え盛るその攻撃は一直線にぎょろりと周囲を見回している眼球へと飛んでいったが、ボスが操る触手によって容易く防がれる。
「ありゃ、防がれちゃった」
「問題ないよ。その調子で任せた」
動き出すのが早かったのはレイナードだ。
狙っていたのか、相手とほぼ同時に動き出しており、魔法を防いだ触手を切り落としていた。
地面に落ちた触手は切られてなおのたうちまわり、少しして動くのをやめた。
「おっと、お怒りのようだな」
直接触手を切り落とされたことで、ボスの狙いがレイナードに定められた。
天井から生えてきた触手の雨を、リヴェンがすかさずカバーし捌いてみせる。
「ありがとう、助かったよ」
「この調子で触手をさばいて、丸裸にしてやればいいわけか」
おそらくその通りだろう。
見るからにあの巨大な眼が弱点ですと言わんばかりの見た目をしている。その眼を守るために、数多の触手が伸びては引っ込んでを繰り返す。
触手だけじゃない。レイナードの言葉が確かなら、近づけば消化液を巻き散らして攻撃してくるはずだ。
このまま触手の数を減らして、止めをトリシェルに刺してもらうのが戦略としてよさそうだ。
「消化液にだけ気を付けてください! 怪我は治せても、かかった消化液は消せません!」
そうなると、困るのが前衛組が消化液を被ってしまったとき。
俺の魔法で治せるのは怪我だけだ。消化液をかかってしまった場合、怪我を直せてもかかった消化液を消せない。直した側から溶かされるから処置に困る。
俺の一言で意図は理解してくれたらしい。前衛組は触手の数を減らすことに注力し、本体には一定の距離を保ち近づかない様にしてくれている。
トリシェルは俺と同じく、迫りくる触手を避けることに専念している。魔法は温存し、必要な時にのみ使う方針だろう。
それでも、前衛組に比べたら数が少ないから助かっている。
「んー、本体に近づけば近づくほど触手の密度が高くなるみたいだね」
トリシェルは俺と違って避けながら敵を観察する余裕があるらしい。
こっちは避け続けるだけで精一杯なのに……。
しばらくの間、防戦一方が続いた。
触手の攻撃を避けながら、少しでも触手を減らすべく切り落とし続ける前衛組。
後衛組はいつか訪れるかもしれない勝敗を決める一瞬を見落とさないために、触手を避けながらも必死にボスの動きを観察していた。
しかし、一向に事態が改善する傾向はない。むしろ、襲い掛かってくる触手の数は増えているような……。
「おい、本当に限りがあるのかこれは」
「ある……はず! 前はあった!」
一向に減る気配のない触手に、リヴェンは痺れを切らしつつあるみたいだ。
レイナードも少し不安そうにしている。
イレギュラーが起きている状況、前とエリアボスの動きが変わっていてもおかしくはない。
スケルトンジェネラルは実際行動が変わっていた。
「イレギュラーボスは動きが変わるかもしれません! 前は変わってました!」
「なら、どうする!」
「ちょっと待って、今考えてる!」
大声で考えを共有する。
どうするべきか。何か打開策はないか。
このまま持久戦になれば、どう見ても負けるのはこちらだ。
何かしなければならない。何かを見つけなければならない。
……駄目だ。何もわからない。というか避けるので本当に精一杯で辛い。
一旦距離を取って触手の攻撃を減らしてから――。
「あっ」
それは単なる違和感だった。
トリシェルが言った、触手の密度の話。天井から無差別に生えているのなら、おかしくないか?
何か規則性がある?
見るべきところを間違えていたのかもしれない。俺は天井を見上げる。
肉々しい天井が波打ち、触手が生えては降り注いでくる。
一見不規則に見える。触手が出てくる場所も、タイミングも。
「リヴェンさん! レイナード! 本体に接近してください!」
「なんだと!?」
「わかった!」
俺の声に素早く反応したのはレイナードだった。
迷うことなく危険域だと告げた近距離に近づいていく。
それに伴い触手の妨害も激しくなるが、彼はそんなもの意に介さない。
これは離れれば触手が襲ってくる密度が減ってるんじゃない。
近づけまいと触手を動かしているのだ。近づかれたらまずい理由が、このボスにはある。
「接近したら消化液が来ます! 絶対に避けてください!」
レイナードの接近を受けて、エリアボスの体が大きく蠢く。
上部の口を傾けるように、内部の液体を彼へぶちまけた。
予測通りだ。この後も予測通りだと助かるんだけれど。
「トリシェル!」
「はいさっ!」
辛うじて消化液を避けるレイナード。その隙を狙う触手の追撃は――なかった。
そうだ、これが近づかせたくなかった理由なんだ。
消化液は触手にも効果があるのだろう。だから、消化液が舞っているところに触手を動かすことができない。
つまり、消化液を出した瞬間は触手のカバーができない、明確な隙となる。
「グッバイ」
トリシェルの魔法、火炎の矢が空間を突き抜けていく。
事前に防ごうと触手が動くけど、到底追いつかない。
魔法の狙いはどこまでも正確で、傾けた体が戻り正面を向く……その瞬間の眼にピンポイントで命中した。
「やりましたか……っ!?」
エリアボスは暴れまわり、触手の動きもこちらを狙うというよりも痛みに耐えかねて悶えているものに変わった。
倒したか……?
「んー、まだっぽい?」
ボスが態勢を整え直す。眼球は赤く充血して、より気持ち悪さが増した。
血の涙が流れ、明らかにダメージは入っているようだ。
しかし、相当お怒りのようで、前衛組から後衛の俺たちの方へ視線が移る。
触手たちも先端をこちらへ向けて、一斉に襲い掛かる準備を整えていた。
「やばっ――」
「いいや、終わりだ」
ボスの眼前に唐突に現れたのはリヴェンだった。
いつの間に動いていたのか、ボスが視線を外した一瞬で距離を詰め、剣を構えている。
終わりと宣言した通り、彼の一閃がボスを真っすぐ切り裂く。
爆発したような炸裂音が空間を叩く。恐ろしいまでの剣圧だ。
ボスは声を発しない。ただその動きのみで、起こった出来事を表現してくれている。
つまり、終わりだ。
「……終わり、ですか?」
「ああ、そうみたい、だね」
気持ちの悪いウツボカズラはその支える触手が天井から離れ、地面に落ちた。
その口から消化液が垂れ、自身の表面を焼いていく。
苦しみに悶え、また大きくのたうちまわる。しかし、触手は追従しない。力なく垂れさがるだけだ。
接続が切れ、動かせなくなったのだろう。
そのままボスはしおれるように萎んでいき、乾いた肉片だけがその場に残された。
「……勝ったぁー!」
思わず飛び跳ねて喜んでしまう。
準備無しのボス戦なんて、幾らこのメンバーでも何かがあってもおかしくなかった。
それを無事に乗り越えられた喜びで、傍にいたトリシェルの手を取って飛び跳ねてしまう。
「……シャーロットちゃん、そういうとこだよ」
「え? ああっ!」
そうだった。トリシェルとは今気まずい関係なんだった。
少し離れたところでは、レイナードとリヴェンが手を挙げてハイタッチをしている。
静かに勝利の喜びを分かち合っていた。
俺たちの背後でねちょねちょと嫌な音がする。
何事かと思って振り向くと、ボス部屋の扉が開く音だった。これで帰り道が開いたということだ。
つまり、不意打ちは無い。本当に勝った。ボス戦は終わったんだ。
俺は溢れ出る喜びを誰かと分かち合いたいがあまり、前衛組の二人へと駆けだした。




