第2話:シャーロットと黒髪の剣士
なんと。この男、驚くほどに強い。
先ほどまで俺たちが苦戦していたモンスターたちを、容易く斬り伏せていく。咄嗟の不意打ちにも何事もなく対応し、歩む速度を緩めない。
俺はひたひたと足音を殺して男について行く。近づくもの全てを殺しそうな殺気を放ち続けている彼は、何も言わないまま道を進んでいる。
俺がついてきていることには気がついているはずだ。だから、ついて行くことを許してもらえてるんだと思う、一応。でなければ、とっくに叩き斬られているだろう。
……少し落ち着いてよく見ると、こいつ嫌と言うほどイケメンだな。
顔立ちが整っているし、切れ目でかっこいい系だし、身長も高いし。短く切りそろえられた黒髪も綺麗だし、結構いい生活してるのか?
これだけ強いのならそれはそうか。冒険者としてくいっぱぐれることもないもんな。
装備は簡素で、武器も片手剣一本だけだけど、じっくりと観察してみればどちらも上等そうだ。粗悪な安物は使っていない。
イケメンでクール系でクソ強くて、なんで俺はこいつみたいなのに転生できなかったんだろうか。この世界で生きていくのに必要なのはこういうのだったんだって。
現状を憂いて、思わずため息が出てしまった。
「――無駄な音を立てるな」
「ひゃい!」
「気が散る。邪魔をするなら離れろ。さもなくば……」
ギラりと鋭い視線で睨みつけられた。そうなると小さくなって黙り込むしかない。
ダンジョンの中は治外法権だ。何かあったとしても、表の法で裁かれることはない。
こいつが下手な気を起こして、この場で犯されて打ち捨てられて、しまいには口封じに殺されたとしても、なんら問題になることすらないということだ。
特に、今の俺はもう回復魔法も使えない非力なだけの美少女だ。抵抗の手段を持っていない。
そんな悲惨な結末は嫌だ。どうせ死ぬにしても尊厳を保ったまま死にたい。
だから、黙って息をひそめて男について行く。
コツコツと靴が石畳を叩く音だけが狭い石廊に響き渡る。
男が足を止めるたび、一緒に足を止める。
ちらりとこっちを一瞥したが興味を無くした様に歩き出すと、俺も再び歩き出す。
それが何回か繰り返されるものだから、少しずつ慣れてきて、愛想笑いで返すぐらいの事ができ始めた。
その度に、男は怪訝な顔をして前へと向き直るのだから、気分が悪い。
人の顔を見てそんな顔をするなら振り返らなければいいのに。
そうやってしばらく進んでいるうちに、俺はあることに気が付いた。
「……あの」
「なんだ」
「モンスターの魔石を取らないんですか……?」
おどおどしながら男に尋ねる。斬られないか不安だけど、あまりにも気になりすぎた。
この男はモンスターを倒すのはいいけど、魔石を一切回収せずに進んでいる。まるで、目的はそこにないみたいに。
ダンジョンの産物と言えば、モンスターから取れる魔石が主だ。
このカタコンベの風体を模したダンジョンでは、アンデッド系の魔石が取れる。
アンデッドの魔石は解毒のポーションの材料などに使われる。魔石の中でも需要が高く、買取価格もそれなりだ。五体も狩れば、四人パーティなら質素に過ごせば一日分となる額を稼げるだろう。
悪辣な環境を無視すれば、敵も比較的弱く金稼ぎにいい。
それが、このカタコンベダンジョンが初心者に人気な理由だ。
「それがどうした」
「え? いや、このダンジョンに来る人はこれが目当てですよね?」
「俺はいらん。好きにしろ」
まさかの回答に、一瞬何を言われたのかわからなかった。
金目的でなくこのダンジョンに来る物好きがいるなんて!
カタコンベ内の廊下は暗くて狭い。出てくるモンスターは汚い。死体の腐臭は酷い。取れる魔石がなければ、本当にいいところが一つもないダンジョンなのに!?
俺は少しだけ迷って、地面に倒れているモンスターたちから魔石を回収した。
このままだと、せっかくダンジョンに入ったのに何も稼ぎがなく帰る羽目になるからだ。せっかくなら、何か少しでも収穫は欲しい。
俺の目的を達成するためには、少しでもお金が必要なのだ。
その間にも男はどんどんと奥へ向かって行ってしまうものだから、急いで後を追いかける。
置いて行かないで欲しい。一人でモンスターと出会ったら死んでしまう。
そんな感じで、男が倒した魔物の魔石を時々回収しつつ、後を追っていた。
「おっ、同業者か」
「へいへい、可愛い子連れてんじゃーん」
そんな調子でダンジョン内を進んでいると、曲がり角から冒険者と思われるガラの悪そうな男二人組が出てきた。
このダンジョンは難易度の割に金の入りがいいから、同業者に会う機会も多い。が、二人を見た瞬間に、思わず顔を顰めてしまう。
ここまで露骨な人物は地上でもそうそういない。
二人組の視線は俺に注がれており、上から下まで、ねっとりと下卑た視線で撫でまわされる。
気持ちわるっ! 咄嗟に男の裏に隠れる。彼は剣を鳴らしたが、抜かないところを見ると殺されはしないみたいだ。よかった。
「ちょうどいいな。おい、そこのお前。その女と魔石を置いていけよ」
「ほう。俺に指図をするか」
今にも剣を抜き放ちそうな男に、二人組は少し慌てたようだった。
俺でも感じ取れるような濃密な殺気。こっちに向けられたわけでもないのに、股下をまた意識せざるを得ない。情けないことにもう出尽くしたから、これ以上は出ないんだけれど。
「まあ、落ち着いてくれよ。見たところ、付きまとわれてるんだろう? ならその女をこっちで引き取ってやる。それでどうだ?」
「……面倒事は嫌いだ。そうだな、俺には関係のない話――」
「ちょっと、ちょっと待ってくださいっ!」
思わず待ったをかける。今、こいつ無関係を貫こうとしたよな?
それはまずい。とてもまずい。俺一人でこいつら相手には何もできない。どうにかして守ってもらわないと。
斬り殺される危険性? こいつらに引き渡されるよりかはマシ!
「なんだ」
不機嫌そうに男がこちらを見る。
俺は縋りつこうとして、鋭い眼光に貫かれてやめた。代わりに手前で懇願する。
「お願いします。引き渡さないでください、助けてください」
「なぜ俺がそんなことをしなければならない」
「お願いです、役に立ちますから、なんでもしますから!」
男の胡乱げな視線が突き刺さる。
本当に役に立つのか疑問に思っていそうだ。
役に立てるかは保証できないけれども、ここでこいつらに引き渡されたら何されるのかはわかりきっている。
それなら、まだ最低限の分別がありそうなこの男に賭けた方がいい! 絶対にそっちの方がいい結果に終わる! 空手形を切る危険性を踏まえた上でそう思う!
「本当にお願いです。何でも、本当に何でもしますから」
「だがな――」
俺は違和感を感じて、黒髪の男から僅かに視線を逸らす。
男の背後では、二人組はそれぞれ剣と斧を取り出していた。
「今だ! 死ねぇ!」
「悪いな、ダンジョンの中は何があっても法の適応外なんだわ」
こいつら、不意打ちで殺すつもりかっ……!
二人組が男に向かって武器を振りかぶる。
引き起こされる惨劇を想像して思わず目をつぶり、頭を抱えてその場で蹲る。
最悪の光景を想像するけれど、断末魔の声は聞こえてこない。
「――お前ら、死にたいんだな?」
「なっ!?」
恐る恐る目を開いてみると、男は剣を抜き放ち、二人組の武器をいとも簡単そうに防いで見せていた。二人同時の攻撃を、たった一本の剣で。
直前までこちらを向いていて、男たちの方を見てすらいなかったのに。
「なるほど、“ダンジョンの中は何があろうとも法の適応外”なんだな?」
「ぐっ、調子乗ってんじゃねぇぞ!」
言いながら、二人組は得物に力を入れているようだが、ピクリとも動かない。
力勝負でも負けている。本当に、何者なんだこの男は。
「なら、俺がここでお前らを斬り殺しても罪には問われんわけだ」
彼の剣が振るわれる。
鈍く輝くその剣は、嵐の如く乱暴に、二人組の腕を斬り飛ばしていた。
二人組は何が起きたのか一瞬理解ができなかったらしい。失った両腕の先を呆然と眺め見ている。
「な、なあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「煩い。腕を失ったぐらいで喚くな」
失われた腕の断面から激しく血しぶきが飛び散る。
男は自らにかかった返り血に何を思うこともないようで、ただ静かに、喚く二人組を見ていた。
彼は空に剣を振るい、血を軽く振り払った。
「気分が悪い。死にたくなければ今すぐ俺の眼前から失せろ。二度とその面を見せるな」
「ひ、ひいいいいいい」
両腕を失い、戦意も失った二人組は、情けない悲鳴を上げてバタバタと逃げ出していった。
……いや、強すぎでしょこの人。
男たちの首に掛かっていた冒険者区分証は銅クラスだった。少なくても、初心者は脱している連中だ。
それを赤子の腕をひねるかのように斬り伏せてしまった。殺すことも出来ただろうに、わざわざ腕だけを斬り落とす余裕。
男は剣に残っていた血を布でふき取り、それを地面に投げ捨てる。
そして、俺の方を向き直る。
思わず身を固くする。やばい、さっきのが気に障って次に斬られるのは俺か?
「おい、女」
「ひゃい! あ、あの、殺さないで……」
命乞いだけはしてみる。死にたくない。
男は何のことかと首を一瞬傾け、まあいいかと元に戻し俺の顔を正面から見据える。
「先ほど、なんでもすると言っていたな」
「は、はい。言いました」
「嘘ではないだろうな」
「嘘じゃないです、なんでもします! だから殺さないで!」
必死になって叫ぶ。殺さないで欲しい。全力で命乞いをする。
「なら、いい。使ってやる、ついてこい」
「……はい?」
「ついてこいと言った。来い、女」
それだけ言って、再びダンジョンの奥へと足を進める男。
一瞬だけ思考が止まる。はっと我に返り、俺はすぐに男を追いかける。
逃げるという選択肢は元からなかったけれど、どうやら本格的にこの男と行動を共にするしかないらしい。
とにかく死にたくない。死なないためなら、なんだってしてやる。その心に偽りはなかった。