第19話:シャーロットと分断
三階層の探索を終えた夜、俺は夢を見ていた。
不思議な夢だ。見たこともないはずの景色が広がっているのに、どこか既視感がある。
そこは地下だろうか、空に日の光はない。でも、建物が無数に立っていて、そこには人が住んでいる。人々の髪の色は皆同じ透明感のある白色をしていて、多分同じ民族とかなんだと思う。
どこかで見覚え気ある色だなぁと思いながら見ていた。
因みに老人の白髪とかではない。子供も同じ色をしていた。
……何か違和感がある、気がする。なんなのかはわからないけれども。
町の人に俺の姿は見えていないようで、俺の体を通り抜けるように子供が走り抜けていったりもした。どうやら俺は幽霊みたいなものらしい。
少しの間、町を散策してみることにした。
町の様子を見ていると、どこか不穏な空気が流れていることに気が付いた。
泣いている人、暗い顔をしている人がとにかく多い。葬式でもあったのだろうか。
試しに、会話中の人の話を聞いてみる。
行方不明になった。崩れてしまった。そう言った単語が聞き取れた。
どこかで土砂崩れでも起きて、人が行方不明になったのだろうか。それは災難だ。
町中を歩いて行くと、ひときわ大きな建物が出てきた。建築様式には詳しくないんだけれど、多分これは聖堂とか言われる類の建物だろう。見た目的に。
その中に入ってみる。
宗教的な何かなのは間違いなく、中には町中にもいた白い髪の人々が大広間の中央に位置している像に祈りを捧げているのが見えた。
神様の像なのだろうか、その顔を見ようと顔を上げて――。
「いいところだったのに」
俺は目を覚ました。
隣では、すやすやと心地よい寝息を立ててアリスちゃんが寝ていた。
可愛らしい寝顔に少し癒されてから、起こさない様にそっと起きる。
今日の準備をしなければ。四階層の探索、これまでよりも遥かに厳しい環境での探索だ。
昨日の謎の感覚のこともあることだし、ひと際気を引き締めなければ。
「大丈夫、できる、できる……よしっ!」
朝の自己暗示も済ませ、仕事モードに切り替える。
さあ、仕事を進めよう。
◇ ◇ ◇
「シャーロットちゃん、大丈夫だった?」
「はい、もう大丈夫です」
昨日から、俺の事をやたらと心配してくるのがトリシェルだ。
流石に様子がおかしすぎたもんな。反省しなければ。
もう一度足を踏み入れれば、あれがなんだったのかわかるだろうか。
「それじゃ、行こう。四階層へ」
今日は前置きも特になく、俺たちは即座にダンジョンに潜った。
何かが起きる予感がする第四階層。その探索は、果たしてどうなることやら。
幸いなことが一つあった。再び四階層に足を踏み入れた時、あの異常な恐怖には襲われなかったことだ。もしまた同じ状況になっていたら俺はお荷物になってしまうだろうし、これは助かった。
同時に、やはり何かを感じる。呼ばれているような、何かがあるという感覚だけが。
「……麻痺毒の濃度自体はやっぱりそこまでだね。視界の悪さが問題かな」
「私は感覚でわかるけど、前衛二人は気を付けた方がいいかもね」
「俺も問題ない。近くならば、気配でわかる」
「後は、壁が動いているからマップがどう変わっているか、ですか」
四階層における探索の課題は多い。
視界の悪さによる連携のしづらさ、索敵の問題。これは索敵はトリシェルの感覚に頼っているから、問題ない。
麻痺毒の靄も、そこまで効果量は増えてなさそうだ。耐毒ポーションを飲む間隔を短くすれば問題ないだろう。
一番の問題は動く壁だろう。マップが変わるというのが最悪だ。
唐突に動いて分断されるということも考えられる。それは可能な限り避けたい。
なるべく密集して動くことにしよう。
「戦闘はトリシェルとリヴェンをメインに、僕は悪いけど守りの方に集中させてもらうよ」
「そうするといい。じっくりエリアボスに備えて休め」
「ははっ、そうならないといいけど」
まだ軽口を挟む程度の余裕はある。
四階層の探索が始まった。
探索中、やはりというか俺はずっと何かの気配を感じていた。
トリシェルが魔法を使っている間も、リヴェンが敵を切り捨てている間も、ずっと感じている。
これを口に出すべきかどうか。
「シャーロット、大丈夫? 何か気になることでもあるの?」
「……まだ、大丈夫です。ありがとうございます」
「うん、気になることがあるなら何でも言っておくれ」
レイナードはしきりにこちらを気にしてくれている。戦闘に参加していない分、周辺への注意に意識を割いているのだろう。
だから、俺が顔色が悪くなっているのに気づかれてしまう。
探索が進むと、 段々と心臓の音が大きくなっていくのを感じる。
麻痺毒が回ってきたとかじゃない。単純に、何かに近づいているのを感じているからだ。
何なのかわからないが、この階層に足を踏み入れた時から感じていた何か。それが、もう少しで発見できる。
「思ったより大変じゃないねー。モンスターも少ないし」
「上の階層に固まっていたのかもな」
リヴェンとトリシェルは全然余裕そうだ。
四階層に下りてから、戦闘があまり起きていないのもあるだろう。
ダンジョン探索中には流石に喧嘩は引きずらないみたいだ。それは良かった。
「……ダンジョンが意志を持っている、か。あながち、与太話じゃないのかもね」
一方で、レイナードは何かを思案しているようだ。
もっとも、俺はそれらに構っている余裕なんてないぐらいに疲れている。
昨日ほどではないが、呼ばれている感覚が強くなってきている。気を緩めると、呼ばれている方向へ勝手に歩き出してしまいそうだ。
「……む」
「あれ、こんなところに壁なんてあったっけ? レイナード、どうだっけ」
「なかった……と、思うな。動いてる壁の影響かな?」
どうやら行き止まりについてしまったらしい。レイナード達が混乱している。
マップとの食い違いは想定していたこと――ん? いや、俺の目には何も見えていない。ただの肉々しい通路があるだけだ。
「壁? どこにあるんですか?」
「え? ほら、ここに」
そう言ってトリシェルは空を叩くような仕草を見せるが、さっぱりわからない。
どれだけ見ても、何もないように見える。
試しに俺も触れてみようと壁があるらしい地点に手を伸ばす――。
「ちょ、ちょっと。シャーロットちゃん!?」
「おい、待――」
「え?」
背後からの声が突然聞こえなくなった、と思って振り向くと、そこには肉の壁がそびえ立っている。
……ぼんやりと靄がかかったようになっていた頭が、途端に鮮明になっていく。
分断された――っ。しかも、一人で。
今の一瞬で何が起こった?
「ちょ、ちょっと! 皆さん、リヴェンさん、レイナード、トリシェルっ!?」
急いで背後の壁を叩いてみるけれど、全く反応は返ってこない。ただ地面と同じくぶよぶよと気持ちの悪い感覚が残されるだけだ。
……まずい。非常に、まずい。この孤立した状況は大変よろしくない。
俺一人で何ができる? ここは初心者向けダンジョンじゃない。何が起こるのかわからない状況、視界も悪い。動くべきか、壁を突き破るのは無理だ。肉の壁を壊せる攻撃ができる奴はいない。
どうしよう。どうするべきだ? 何から手を付けるのがいい? 迂闊過ぎたか? 見えない壁を確かめようだなんて考えなければ良かったのか?
……いいや、まずは落ち着くべきだ。
耐毒ポーションを一本あおる。この味にも段々と慣れてきた。嫌な慣れ方だけれども。
「落ち着こう。この階層にモンスターは少なかった。すぐにどうこうなる感じじゃない」
思考を口に出して自分に言い聞かせる。
冷静さを欠く方がまずい。冷静に対処すれば、大体の事は何とかなる。
どうしようもない理不尽が起こったら、その時はその時だ。
「大丈夫、大丈夫。なんとかなる、なんとかなる……」
まずは、ここから動くかどうかの選択をしないといけない。
道に迷ったら動かない様にするというのは鉄則だけど、ダンジョン内でも同じだとはいえない。動いた方がいい場合もある。
特に、ここは袋小路だ。逃げ道がない。もしもモンスターが正面から来たら、俺はどうしようもない。
逃げ道が確保できるところまでは移動した方がいいだろう。
一方で、動くことのデメリットはリヴェンたちが俺を見つけづらくなるというところだ。
闇雲に動くと、すれ違う可能性すらある。だから、あまり動かない方がいいのは確かだ。
「一つ一つやっていこう。大丈夫、大丈夫……」
言葉にすると、段々と落ち着いてくる。
さらなる問題は、階層に入ってからずっと感じていたナニカが、かなり近くにあるということだ。
俺一人で見に行く? そんな危険を冒すことはできない。
何とか避けながら、合流を目指そう。きっと向こうも俺を探してくれるはずだ。
「方向性は大丈夫、後は運しだい」
運には自信がない。運が良ければ通り魔に襲われたり、家族が賊に襲われたりしなかっただろう。
運が悪い人生で学んだことは、なんでは後回しでいいということ。なんでこうなったのかは後で考える。今は、生き残ることだけを考えるべきだ。
「……よし、行こう」
しばらくその場で呼吸を整えて、落ち着いたと確信できてから動きだす。
自分の選択を信じられなくなるのが最悪だから、そこは確実にしておきたかった。
トリシェルたちとは違って、気配なんてものは感じ取れないから曲がり角や物音には慎重になる。あの肉塊モンスターどもはあんまり音を出さないけど、動けば多少の音は出すだろう。息を殺して、慎重に進む。
視界が悪いのが本当に最悪だ。曲がり角を覗いても情報がさっぱり入ってこない。
事前に頭に入れておいたマップから、今の位置を逆算する。この記憶が正しいかも怪しいけど、今は他に頼れるものはない。
みんなと合流するためにするべきことは、あまり動きすぎず、かつかち合いやすい地点にいることだ。できれば、目立つ何かがあるといい。
「誘導されてる? いや、まさか……」
嫌な汗が背中を伝う。
ずっと感じているナニカの気配にどんどん近づいてしまっている。
決して近づこうと思っているわけではなく、結果として近づいてしまっている形になる。
離れる方向に向かおうとしたら、行き止まりだったりすることが多い。一時的に離れられても、迂回させられて戻ってくる羽目になった。
本当にダンジョンが意志を持って俺を誘導しているかのようだ。
まさかな。そんなことがあるはずがない。ダンジョンはダンジョン、生き物のはずがない。
一つ、二つ、三つ、深呼吸を繰り返す。
……よし、覚悟は決まった。
通り抜けるしかないというのなら、様子を見つつ通り抜けるしかないだろう。
大丈夫。ちょっと様子を見て、危なそうなら逃げればいい。
俺ならできる。俺ならできる……よし。
俺はその先にナニカがあるであろう曲がり角を、さっと曲がった。