第16話:リヴェンと裏の顔を持つ女
「なぜ、お前がここにいる」
「んー? 成果のほどは如何かなって見に来たんだけど。ちょっと残念だったねぇ」
口ぶりは平然を装っているが、俺にはわかる。
こいつの内心は、見せている笑顔ほど穏やかではない。
これは、何かしらの熱を込めている人間の話し方だ。
「その口ぶりだと、まるでこれはお前が仕込んだように聞こえるな」
「そうだよ。って言ったらどうする?」
俺は剣を真っすぐトリシェルへと向ける。
眼前のこの女は卓越した魔法使いだ。一瞬の隙が死に繋がる。
くそ、こんなことなら事前に解毒のポーションを飲んでおくべきだった。多少の荒事なら問題ないと判断して、麻痺を残したままだ。
「おっとっと、勘違いしないでよ。私は戦うつもりなんてないんだから」
降参とばかりに両手を上げてみせるが、信頼できるものか。魔法使いは口と目さえあれば目前の敵を殺せる。ポーズなんて何の意味もない。
一旦起こそうとしたシャーロットを地面に横たえ直し、俺は戦闘態勢を整える。
「んにゃ、信じてもらえないか。しょうがない、じゃあこれでどう?」
そういうと、無造作にこちらへ近づいてきた。
警戒を厳にする。が、何かをしてくるわけでもなく、俺の剣先寸前まで近づいてきては、自身の喉へと剣先を導いた。
「はい、これで私が何かする前に殺せるでしょ? これならお話してくれるかな?」
……今俺が少しでも殺す気ならば、即座に殺せる距離。
死の間際に立って、なぜこいつは平然としている?
――目を見て理解した。これは狂人の目だ。
目的の為ならば自身の命すら無造作に捨て駒にしてしまう、信奉者の目。
おかしな女だと思っていたが、ここまでだとは。騒がしいだけかと思って放っておけば、よくもこんな一面を隠していたものだ。
「何が、目的だ」
「目的? んー、目的ならもう達成したと言えば達成したかな。不十分な結果ではあったけれど」
「俺、ではないな。こいつを攫わせることが目的か」
「そうそう、大正解! あなた風に言えば、利益の一致ってやつ?」
言外に、あいつらとは組んでましたと言っている。
随分と攫うまでの流れがいいと思った。こちらの仲間内に内通者がいたのなら、それは楽な仕事だったろう。
しかし、理由がわからない。
「なぜだ」
「なぜって?」
「お前はこいつの事を好んでいたんだろう。なぜ、傷つけるような真似をする」
俺の問いに無垢な子供のような瞳で呆然とするトリシェル。
少なくとも、俺の目には疎まれている程度の関係に見えた。ごろつきに攫わせるなどと、そんな関係には到底見えなかった。
「あはっ。もしかして、私がシャーロットちゃんを疎んでるって思ってる?」
「何?」
「そんなわけないよ。私はシャーロットちゃん大好き、愛してるって言ってもいいかな」
喉元に剣を突き付けられながらも、なんでもないかのようにその場で身をくねらせる。死の淵にいるとは全く思わせない純粋な笑みが、異常さをより際立たせている。
……狂人め。
「だからこそ、シャーロットちゃんにはもっともっと変わってもらいたいの」
「どういうことだ」
「シャーロットちゃんは優しすぎる。もっと人を嫌って、もっともっと人を恨んで、もっともっともっと人を憎んでくれないと。この町で暮らすのには、少しばかり純真すぎる」
そう語る目には、光など一寸も宿っていない闇が広がっている。
思わず、俺自身一歩引かされるほどの圧がそこにはあった。
「悲しい過去があったんだよね。だから他人を利用して生きてきたんだよね。うんうんわかるよ。でもね、それはそれとして根っこが優しいんだ。だから手を差し伸べられずにはいられない。自分の安全が一時的に不安定になったとしても」
恍惚の表情を浮かべて、語る口調はそれでも止まらない。
「もっと汚れて、もっともっと穢されて、もっともっともっと底の方まで落ちないと。でないと――私たちが求める姫が生まれない」
喉元に剣先が掠り、血が滲み出るのも構わずに、熱が籠った視線を眠っている少女へ向ける異常者。そうとしか言いようがない光景だった。
その異常な目が、不意にこちらへ向けられた。
「わかるか? お前は異物なんだよ。よりにもよって、黒の一族がこの町に来た時にはどうしようかと思った。排除しようにも、今からだと遅すぎる、お前はもうシャーロットちゃんの世界に入ってしまった」
「お前は――俺の出自を知っているのか」
「知っているよ。この町の誰もが知っている。裏に関わる人物ならね」
そう言うと、暗きに染まった瞳を隠すように、笑みを浮かべた。
「残念ながら、お前は探しものを手に入れられないよ。見つけると同時に、お前自身の手で壊さずにはいられないから」
「どういうことだ。お前は何を知っている」
「何を知ってると思う? 教えてあげない。お前は黒の一族だから。諦めるってのなら、答え合わせだけしてあげてもいいけど?」
黒の一族。俺たちをその呼び方をする奴らを、俺はごく僅かしか知らない。
……こいつは、俺が知らないことをどこまで知っている?
俺も末端でしかないから、一族の全貌は知らない。だが、こいつの口ぶりは黒の一族について詳しく知っていそうな口ぶりだ。
まさか、俺が、《《あいつ》》が、こうならざるを得なかった原因を知っているのか?
こちらを挑発するように、口が弓なりに歪められる。
「答えが欲しいのなら、ダンジョンに潜り続けるといいよ。そこに答えはまだ残されている――もちろん、今潜っているダンジョンにもね」
それだけ言うと満足したのか、トリシェルは俺の剣から首元を離す。
俺は動けなかった。異常者の圧に負けたといえばそうなるのかもしれない。
とにかく、釘付けにされたかのようだった。
去っていく背中を呆然と眺めている。すると、彼女は忘れものをしたとばかりに振り返り声を掛けてきた。
「そうそう、最後に伝えることだけど。見逃してあげた彼ら、二度と会うことはないから安心していいよ。ちゃんと処理、しておくから」
それじゃあねと、別れの挨拶をして、路地裏へ消えていった。
姿が見えなくなって一秒、二秒、三秒。十秒ほど経ってから、警戒を解く。
異次元だった。生殺与奪を握っていたはずなのに、逆にこちらの心臓を握られている気分だった。
麻痺が見せた幻覚だろうか。そんなことはない。あいつは確実にこれまで見せていた一面とは違う面を持っている。
レイナードに教えてやるべきか。いいや、口を出せば何が出てくるかわからない。あの様子ならば、こちらから引きずりださなければ表面上はこれまで通りを取り繕う気なんだろう。
こいつが目覚める前に逃げて行ったのがその証拠だ。
このことは俺の胸の内だけに秘めておくしかないという事か。
ジワリと汗が滲んできた。
「……はっ、これしき乗り越えられずして、王にはなれんということか」
黒の一族。その呼び名を知っているものが立ちはだかるのは予想外だった。
元より、何が来ても乗り越えてやるつもりだったが、俄然、燃えてきた。
いつか必ず、その口から情報を吐き出させてやろう。
「さて、と。しかし、よく寝ているなこいつも」
俺は少し呆れて、未だに寝ている女を見る。
これだけの騒ぎをしても、微塵も起きる気配がない。
どれほど熟睡すればこうなるんだ。まったく、呑気な奴め。
よくもまあ、こんな調子で生きてこれたものだ。よほど周りの人間に恵まれたんだろうな。
「おい、起きろ」
軽く肩を揺するが、起きる気配がない。
……本当に呑気な奴だ。
「仕方がない、か」
眠ったままの少女を担ぐのは如何なものかと思うが、文句は言うまい。
いや、攫われたところを助けてやったのだ。文句は言わせない。
俺は寝ているこいつの体の下に手を入れ、肩に担ぎあげる。
……ぐったりと手足がぶら下がっているから、このまま表に出ると人攫いに間違われるかもしれん。
業腹だが、持ち方を変えた。
背中に回して、腕を首にかけさせるようにする。これなら、ただ寝ている奴を背負っているだけに見えるだろう。
まったく、なんでこんなことで頭を使わなければならない。
結局こいつが目覚めたのは、大分時間が経ってからだった。
「ん、あれ? ここは?」
「目覚めたか」
「はえ?」
間抜け面を晒している女……シャーロットは、俺が取っている宿のベッドの上で目を覚ました。
町中でやたらと周囲の視線が煩わしかったから、ここまで運んだが……。
「寝ぼけるな。さっさと起きろ」
「……リヴェンさん?」
「――お姉さんっ!」
「うわっ、何っ!」
保護していた少女が、起きたばかりのシャーロットに抱き着いた。
「ごめんなさい、私のせいで、ごめんなさい……」
「ああ、貴方は。あれ、じゃあ私は?」
「馬鹿が」
「急にどうして!」
あまりの呑気さに思わず暴言が出てしまった。
本当に危機感を持てない女だな。本当によくこれまで生きてこれたな。
呆れかえり、俺は備え付けの椅子に腰かける。
間抜け面をこちらへ向けてきている。
仕方がない、説明してやるか。
「お前は攫われてたんだ」
「攫わ……ええっ! あっ、そうだ薬をかがされて、あれ禁制品!」
「……何かこちらに言う事があるんじゃないか?」
こいつはようやく状況を理解したのか、周囲を見回してから、俺の方を見てくる。
俺は態度は変えず、反応を待つ。
それをなんと解釈したのかは知らんが、慌てたようにその場で足を折りたたんで手をベッドの上についてみせた。
「この度はご迷惑を掛けまして……」
「別にそれは、いい。それよりも、なぜ攫われたのか心当たりはないのか」
少し考える様子を見せた。
何度か頷いて、勝手に納得すると、顔をこちらへ向け直す。
「私が可愛いから?」
「なに?」
「いや、冗談です怒らないでください」
……こういう時に冗談を言う余裕があるとはな。
こいつ、本当に一人で放浪していた時期があるのか? 到底生きていけなさそうなんだがな。
「真面目な話、女性ってだけで一人で歩いていると攫われることは多いんですよ」
「……だから、慣れていると?」
「いやいやいや、慣れてるわけではないですって。確かに攫われかけたことはたくさんありますけど、実際に攫われたことは数えるぐらいしかないです」
数える程度は、あるのか。
本当に幸運の女神という異名を返上した方がいいんじゃないのか?
いや、結果的に無事なことを考えれば幸運と言えなくもないか。
「誰かに攫うよう指示されるだの、そういうのは」
「あー。なくはない、ですけどぉ。多分、彼女たちは直接的に来ると思うんですよねぇ……」
つまり、こいつはやはりトリシェルの裏の顔については知らないと。
やはり胸の内に秘めておく方がよさそうか。少なくとも、今回の仕事が終わるまでは。
厄介だな。明日、向こうの出方を見てこちらも動きを決めるとしよう。
俺が溜息を吐いたのを呆れられたと捉えたのか、シャーロットはわたわたと動きをする。
その様を見て、薄汚れた少女は慌てるし、なんとも滑稽な様子だ。
ニールは念のため外に出させていたが、正解だったな。あいつがここにいれば、無駄に話を横に逸らして楽しく遊んでいたに違いない。
「とにかく、助けてはやった。が、次はないと思え」
「は、はい! 気を付けます。ありがとうございました!」
「あと、その女はお前がどうにかしろ」
流石に面倒を見る気はない。最初に拾ったものが責任を取るべきだ。
経緯の話は事前に聞かせてもらっているから、こいつがこの子を助けようとして攫われたというのはわかっている。
女二人は互いに顔を見合わせてから、不安そうな表情をこちらへ向けてくる。
「なんだ」
「あの、ありがとうございました!」
先に口を開いたのは、みすぼらしい少女の方だった。
「私、その、出来損ないで、今回も使い捨てで、その。助けてもらえるだなんて、その……」
話しているうちに、ボロボロと涙がこぼれ出していく。
庇うように、シャーロットが少女を抱きしめる。
「この町では、当然の事なんです。子供とか、奴隷とか。裏ではそういうのが蔓延ってるんですよ」
その声は、苦痛に耐えるものの声だった。
……純真すぎる、か。なるほどな。
「これまでは表の方に姿を見せるなんてことは、なかったんです。本当に」
この少女は、あの女が用意したんだろうな。おそらく。
使い捨ててもいい駒として用意したに違いない。
性根の腐ったやつだ。この町では、それが普通なのかもしれんが。
……この町に苛立つ理由がよく分かった。
我が国の未来を見ている気になるからだ。あいつらの誰かが玉座に着けば、我が国もこの町と同じような末路を辿るだろう。
やはり、俺がやらねばならない。俺が、俺がやり遂げなければならない。
例え、どんな困難が待ち受けていようとも。