第15話:リヴェンと逆恨み
あの女と別れて、俺は借りている宿へ向かう。
なんだかんだ、あいつに買わされたポーションホルダーが役に立った。補佐として役に立つか疑っていた部分はあるが、この分ならば最低限の役には立ってくれそうだ。
今日ダンジョンから戻ってくる途中に、空になったポーション瓶の一つに麻痺毒を入れておいた。それをホルダーに差していたのだ。
これを使って、どのぐらい動けるのか実験しようと思う。
「麻痺毒を貰っても動ければ関係ないだろう」
あのダンジョンに潜って抱いた感想がそれだ。三階層の探索に躓いているのも、あのトリシェルとかいう女をメインに戦闘をしていることが原因にある。
俺があの麻痺毒の靄の中でも動ければ探索もさっさと進められるはず。
毒を飲み、耐性をつけるのは昔からやっていることだ。特に問題にはならないだろう。
借りている部屋に戻ると、いつもの場所にいつもの顔がいる。
にへらと軽薄そうな笑みを浮かべているこの顔ももう見飽きた。
この男とも十数年の付き合いになるか。時が経つのは早いものだ。
「お、今日は早かったっすね」
「早々に解散になった」
「じゃあこの後はどうします? 情報収集を?」
「いや、ダンジョン攻略のため、耐性を付ける特訓を行う」
俺が黄色い液体が入った瓶を見せつけると、軽薄な笑みが嫌そうな表情へ変わる。
「それ、飲むんです?」
「ああ」
「気持ち悪くないっすか?」
「必要なことだ」
うへーと舌を出して嫌そうな顔をするものだから、こちらまで嫌な気分になる。
お前が飲むわけではないのだから構わないだろうに。
「そういえば、彼女について調べた情報がありますけど、聞きます?」
「頼んだ」
俺は麻痺毒を少量口に含む。
確かに体が痺れるような感覚がある。耳鳴りは、しないな。
これほどまでに回るのが早いとなると、色々と悪用できそうだ。次潜る際にいくらか持って帰るとしよう。
「名前はシャーロット。年は不明ですが、十半ばといったところでしょう。性別は見ての通り女性。この町に来る前までは、様々なところを放浪していたらしいですよ」
「なるほどな。世渡りは下手そうに見えたが、存外そうでもないのか」
迂闊というか、隙が多い女。
脳裏に姿を思い浮かべる。あの子供が悪戯を誤魔化すかのような愛想笑い。あれでは誤魔化せるものも誤魔化せないだろう。
どうにも調子が狂う。ふざけた町にいる、ふざけた女。それだけならば話は単純だったのに。
昔を無理にでも思い出させられる。だから、深入りするつもりはない。
「……珍しく女性に関心を持ってますね? 期待しても?」
「止めろ。その口を二度と開けない様にしてやろうか」
舌を出して失言を誤魔化す男。どうにも、こいつもこの町の空気に狂わされているらしいな。
叩いて元に戻してやろうか。逆に少し壊れるかもしれんが。
「それで、ダンジョン歴はそこそこですかね。前は【緋色の剣】という中堅パーティに属していましたが、今は初心者パーティの間を行ったり来たりしているとか」
「……聞いた話通りだな」
「ま、二心は無いってことでしょう。少なくとも、ご兄妹の手はかかってなさそうですよ」
狭い部屋の中だが、軽く腕を振るって剣を振るイメージを掴む。
体は麻痺しているが、動けないほどじゃない。この調子を今日一日維持するとしよう。
明日にはある程度体が慣れているはずだ。
「普段とキレが変わらない様に見えますけど、本当に麻痺してます?」
「舐めてみるか?」
「……では、ちょっとだけ」
そう言って手を差し出してきたから、指先に一滴だけ麻痺毒を垂らしてやった。
浴びるだけでも危ないらしいが、一滴なら大丈夫だろう。
こいつも特に気にした様子はなく、そのまま舐めるように口に運んだ。とたん、体を硬直させる。ぎこちない動きに俺は微かに笑ってしまう。
「ぺっぺっぺ。何ですかこれ。本当にこれ飲んでその動きしてます?」
「本当だ。これを飲め。解毒のポーションだ」
俺がポーションを投げ渡すと、かぶりつくように勢いよく飲み干した。
動きが一々大袈裟な奴だ。
「あっ、楽になった」
「よかったな。それで、他はどうだ」
「他ですかぁ? んー、まあちょっと正直きな臭いっすね」
「ほう」
きな臭いと来たか。この町できな臭くないものなど、そうそうないと思うが。
「彼女の住んでるあの店、野良猫亭ですか。ちょっと不穏なんですよ」
「ほう、そうなのか」
俺は剣を振る動作を中止し、話に集中することにした。
あの店が何かあるのか。一見すると普通の店に見えたんだが、どうなんだ?
「客層は冒険者たちでいいんですがね。従業員も冒険者か元冒険者で統一されてるんですよ」
「それに何の問題がある」
「採用基準に腕っぷしの強さが関係してるってことです。明らかに武力を意識してます」
「ふむ」
確かに、あの酒場の主人はやり手に見えたな。戦って勝てるかどうかで言えば、勝てるだろうが苦戦はするだろう。あれほどの人物が二人いたらかなりきついな。
武力を重視か。もしそうなら、あいつもそうなのだろうか。回復魔法を使えると申告していたが、今のところ使っているところを見たことがない。どれ程の腕前なのだろうか。
もっとも、初心者パーティの間を行ったり来たりしているようではたかが知れるか。レイナードも回復役としては大して期待しているようには見えなかったしな。
「あそこに関わるなら、注意が必要っすね。ライオ――リヴェンさんでも」
口を滑らしかけていたので、睨んで制止してやる。
慌てて言い直したので、不問にしてやるか。
「まあ、いい。他の情報はないか。ダンジョンの秘宝に関することでもいい」
「そっちは特には進展ないっすね。というか、その話題出すだけで白い目されるんで、ちょっと時間かかるかもしれないっす」
これも聞いた話通りか。仕方がない、地道にでも進めていくしかないだろう。
「わかった。遅くてもいい、確実に進めろ」
「あいあい」
不真面目な返事が返ってきたが、きちんと仕事はこなす男だ。そこは信頼している。
不意に、部屋の戸が叩かれた。
来客か? 誰だ。俺に用がある奴なんて、数えられるぐらいしかいないはずだが。
「ニール、出ろ」
「はいはーい」
ニールに扉を開けて応対させる。俺は再び剣を振るイメージを固めようと構えた。
「どうもー、何用っすかー?」
「あの、黒髪の方、いら、いらっしゃいますか?」
「……らしいっすよ、リヴェンさん」
俺は溜息を一つ吐き、構えを解く。仕方がなく、応答を変わる。
部屋の戸の前にいたのは、幼い少女だった。明らかに怯えているし、この宿に入ってこれたのが不思議なぐらいにぼろ臭い服装をしている。頬には青あざがある。暴行された後だな。
こちらを見るなり、びくりと怯えてくるのだから始末が悪い。
女はいつもそうだ。こちらを見ると、媚びるか怯えるか。二種類しかいない。
……最近は違うのも増えてきたか。
「何か用か」
「い、いえ。これを渡すようにと」
「何だと?」
そう言って差し出されたのは二つ折りにされた紙きれ。
呪いの類か? いや、そういう雰囲気でもないな。
とりあえず受け取りはする。
「誰からだ?」
「ご、ごめんなさい!」
「なぜ謝る。誰からだと言っている」
俺が詰めると余計に泣き始める。これから女は嫌いなんだ。話にならん。
「違うんです、違うんです、お姉さんを助けてください!」
「何?」
俺は視線を手元の紙に移す。
とりあえず、ここに何か手掛かりがないかと思って開いた。
「……ニール、この子を保護していろ」
「ほいさ。リヴェンさんは?」
「間抜けを叩き潰しに行ってくる」
俺は内容を一読みして、紙を握りつぶす。
くだらない内容が書いてあった。ふざけた話だ。
何が腹立たしいかというと、この程度の事で俺をどうこうできると思っている勘違いに腹が立つ。
苛立たしさを抑えきれず、握りつぶした紙切れを地面に放る。
そのまま、怒りに任せたまま扉を閉めて外に出た。
町の路地裏の奥を行き、紙に指定されていた場所を目指す。
時折不思議そうにこちらの様子を窺っている連中がいたが、どれも一睨みしてやると怯んで逃げていく程度の小悪党しかいない。
俺にはどうしても許せないものが三つある。
「おい、これだけの上物、楽しんでもいいんじゃねぇの?」
一つは、面だけで判断してくる浅ましい女。あれほど汚らわしいものはいない。
「まあ待てよ。用事が終わった後でゆっくりやればいいさ……」
一つは、身の程を弁えない愚か者。これほど相手するのが無駄な存在はいない。
「そうだな、俺たちの――おい、来たぞ」
最後に、単純に人の話を聞かない馬鹿だ。
「お前らがどれかに属しているか語ってやろうか?」
紙に指定されていた地点までやってきて、ふざけた手紙を送りつけてきた連中を見つける。
それは、あいつを拾ったダンジョンで出会ったあの二人組だ。
「二人だけか? 随分と舐められたものだな」
俺の姿を見て、僅かに怯んだ様子を見せる。
怯えるぐらいなら最初から慎ましく暮らしていればいいんだ。わざわざ喧嘩を売りに来なければいい。
俺だって、邪魔をしなければ一々道端に転がっている石ころに意識なんざ割くことはしない。
「と、止まれぇ!」
「こいつがどうなってもいいのか!」
そう言って前に出されたのはあの女、シャーロット。
意識がないのか、されるがままにされている。
まったく、手間を掛けさせる女だ。ダンジョンの中だけでは飽き足らず、外でも攫われるというのだからな。
「……だからどうした?」
「な、同じパーティなんだろお前ら!」
「違うな、そいつとはただの利用関係にすぎん」
……なるほどな。何となく理解ができてきた。
俺への当てつけをしたかったが、真正面からくる勇気がないから人質を選んだわけか。
やはり、幸運の女神とは皮肉めいた異名だな。俺の見たところ、不幸な目にしか遭ってないようなんだがな。
「話は終わりか。なら死ぬか」
「ま、待て! こいつが傷ついてもいいのか!」
「俺は構わん」
別に昨日今日の関係だ。更に回復魔法使いなら、多少の傷は自身で治せるだろう。
何かと文句を言われるかもしれなんが、今更だ。
『いやあああああああ! 助けて、助けてください。契約ですよね!』
不意に、こいつの叫び声が耳に蘇った。
俺はクズどもへと向かっていた足をふと止める。何事かと怯えているようだが、そんなものはどうでもいい。少し考えることにする。
仮にこいつを見捨てたとして、そのあとはどうするか。レイナード達の心象は悪くなるだろうな。特にトリシェルなんかは騒ぎそうだ。連盟の連中も、特別視していたようだしな。
今の仕事に支障が出るのは避けたい。少なくとも、俺の目的への近道ではあるのだ。
あれこれを考え、溜息が出る。
面倒だ。全てが。極めて。
「……何が目的だ」
「お、お前にやられた腕を直すのに大金を払ったんだ。黙ったままじゃいられねぇ」
「つまり、金か」
くだらない。俺は懐から袋を一つ取り出すと、こいつらの前の地面へ放り投げる。
「拾え。満足したなら、失せろ」
男どもは俺が素直に差し出したのが不思議でならないのか、お互いに顔を見合わせている。
拾わないのなら、正面突破するだけだ。俺は剣を鳴らす。
「ま、待て!」
そう言って、自由な方が恐る恐ると袋に手を伸ばし、中身を確認した。
――その瞬間に、俺は動く。
「がっ!」
拾いに来た男の顔を蹴り飛ばし、怯ませる。
もう片方の男が咄嗟に動こうとするが、もう遅い。
「吹き飛べ」
俺は男の肩を掴み、もう一人の男へ思い切り投げ飛ばす。
「いてぇ!」
二人はもつれるように地面に倒れ、衝撃であいつは地面に放り投げられた。
おおよそ目論見通りだな。
俺は剣を抜き、倒れ込んだ二人へと剣先を突き付ける。
「失せろ。今度こそ、二度とその面を見せるな」
「ひ、ひぃいいいいい」
無様な悲鳴を上げて逃げていく二人組。
まったく、無駄な時間を過ごした。
それで、地面に投げ出されたこいつに怪我は無いか? まあ、大きな怪我がなければいいだろう。小さな怪我でも騒ぎそうだが、流石にそれで文句は言わせん。
「あーあ、逃げちゃった」
不意に、背後から残念そうな声が聞こえる。
俺は咄嗟に跳び下がり、剣を声が聞こえた方へと向ける。全く気配がなかった。
背後を取られたのは久しぶりだ。相当なやり手だと、それだけでわかる。
「残念だなぁ。ちょっと予想外。きっと正面からの強硬手段に出ると思ったのに」
「……お前は」
「どもー。トリシェルちゃんだよー」
青髪の女、トリシェルがそこに立っていた。