第14話:シャーロットと異常な……
本日はダンジョンの三階層に挑む日。
俺は自室でリヴェンが迎えに来てくれるのを待っていると、なぜかトリシェルがやってきた。
ちょ、出禁なんだけどどこから入ってきたのこいつ。
「シャーロットちゃん。ちょっといいかな」
「げっ。何ですか」
「いやいや、最近ちゃんと気を付けてる? ちょっと無防備じゃない?」
お前が言う? 真面目にそう思った。
お前はどちらかというと襲ってくる側だろ。
「大丈夫ですよ。気を付けてるから今日もリヴェンさんに迎えをお願いしてるんじゃないですか」
「本当? 一人で路地裏とか入っちゃ駄目だからね? 最近色々と嫌な話聞くからお姉さん心配なんだよ」
「誰がお姉さんじゃ誰が」
あっ、ついに口に出してしまった。流れるようにツッコミどころを用意されたから、本当につい。
……まあいいか、トリシェル相手だし。
俺の口から出た咄嗟のツッコミに、トリシェルは少しばかりぽかんとした表情を示した。が、すぐに喜色満面の笑みが浮かべられる。
――何事っ!?
「……ねぇ、シャーロットちゃんって、もしかして私の事嫌い?」
「え、いや、それは、まあ、あの」
「うんうん、そうだよね。性的接触してくる相手なんて嫌いになるよね!」
自覚してたの? ならやめるという選択肢はなかったの?
「いやあ、少し焦ってたんだ。良かった、嫌われてたんだ」
その動きはまさしく踊るようで。見たことがないぐらいご機嫌な様子だった。
いや、普段から明るい人ではあるんだけれど。なんだこれは、何を見せられてるんだろうか。
困惑から言葉が出てこない。
「おっと、そろそろ彼が来ちゃうか。それじゃ、私はこれでお暇させてもらうよ」
「あっ、ちょっと!」
「それじゃあ、またダンジョンで会おうね~」
それだけ口にして、窓に飛び込んで消えていく。
……なんだったんだ。嵐のようだった。
少し時間が経つと階段を上る音がする。顔を見せたのはリヴェンだった。
「……何を間抜け面している」
いつものように憎まれ口を叩かれても、すぐには衝撃から立ち直れなかった。
立ち直るのにもう少しばかり時間を費やして、俺は何とか世界に戻ってくることができた。
いや、本当に何だったんだあれは。
「で、どうしたんだ」
「いえ、トリシェルが……」
やってきたリヴェンに俺は説明をした。
すると、リヴェンも俺と同じように理解を拒んだという渋い表情を見せる。
「幻覚でも見ていたんじゃないのか」
「いやいやいや、流石にそんなのじゃないですって」
「まあ、いい。気になるなら後で直接聞けばいいだろう」
「聞きづらい内容なんですって!」
自分から話題に出すのはなるべく避けたい。というか、本当に何のつもりだったんだあれ。
嫌われていることを認識して喜んでいた? わけわからない。普通人に好かれようとするものじゃないのか。俺だって嫌われるのは不可抗力で受け入れているけれど、結構心にくるんだぞ。
確認、した方がいいのか? なかったことにした方が今後接しやすいんじゃないか?
だって、これ確認するって私はお前のことが嫌いですけどって言ってるようなものじゃない? 大丈夫?
まだまだダンジョン探索の予定残ってるよ? こういう不和が嫌だから寄生プレイやめたのに、なんで人間関係でまた頭悩ませないといけないんだ。おかしくない?
思わず頭を抱えて蹲ってしまう。
うめき声も漏れる。久しぶりに凄い悩ましい状況に出くわしてしまった。
何が問題かって、向こうの方はそこまで複雑に考えてなさそうなのが余計に難しさを加速させている。
「……悩むのはいいが、約束の時間に遅れるのは構わないのか?」
「ううぅぅぅぅぅ、それも駄目です。はぁ、わかりました、行きましょう。お願いします」
「ああ」
いつまでも宿の廊下でうめいていても何も物事は先に進まない。
よくわかっているが、よくわかっているだけに辛い現実だった。
今日の朝は、そんなやる気が削がれる状況から始まった。
◇ ◇ ◇
ダンジョンの探索は昨日の続きから、三階層から始めることとなる。
もちろん、階層間の移動はする必要があるから、最短経路で一階層と二階層を下りる。
この分の時間も計上して、今日からは一日に一階層ずつの探索だ。
「……うん、やっぱり麻痺毒がそこら中に散布されてるっぽい。みんな、耐毒ポーションはしっかり飲んでおいてね~」
トリシェルが確認を取ってくると、俺たちは三階層へ続く階段の前で一斉にポーションをあおる。
俺はポーションを飲みながら、ダンジョン前のやり取りを思い出す。
案の定、トリシェルは何ともない様子で俺たちと合流した。
いつもと違ったのは、いつも開幕にしてくるセクハラがなかったことぐらいか。
身構えていたが、何もなかったから本当に驚いた。
同時に、朝の事が幻覚じゃないんだと再認識できた。
気まずいと思っていると、俺の顔を見て向こうはにこやかに手を振ってくる。その様はいつも通りで、なんとも調子が狂う。
ポーションを飲み終わった。けふりと息が漏れる。
「それじゃあ、三階層へ行こうか」
レイナードの号令を受け、三人は階段を下りていく。
俺も頬を一度叩いて、気を取り直した。急いで後を追う。
下りた直後の三階層の光景は、なんというか酷いものだった。
即座に言語化しづらい、ただ酷いという感想が先行する。
下りた先が黄色い靄に覆われているのだ。
「……これがこの麻痺毒散布の原因か?」
「かもね。少し危ないけど、潰してみよう」
彼らが見ているのは、肉で出来たコブのようなもの。脈動し、ときおり空気中に黄ばんだ靄を噴霧している。まるで胞子を巻き散らかすかのように。
それが、通路の壁という壁をびっしりと埋め尽くすようにできている。
ただでさえ気持ち悪い通路が更にグロテスクな見た目になっている。吐き気を堪えたのを褒めて欲しい。
「潰して大丈夫なのか?」
「わからない、けれど前に来たときはこんなコブはなかった。こうなると、ダンジョン自体の変容を疑った方がいいかもしれないね」
そう言いながら、レイナードはコブの一つを剣で突き刺す。
予想できたと言えば予想できただろうか、突き刺されたコブは勢いよく黄色の体液を周囲へ振りまいた。
「レイナード!」
「大丈夫っ! けほっ、これは潰すのは駄目そうだね」
麻痺毒を浴びてしまったレイナードは即座に解毒のポーションに口をつけた。
合わせて、耐毒のポーションを飲みなおす。
成分が同じだから、飲み直さないと効果が上書きされてしまうらしい。
「この様子なら、三階層にいる間は耐毒のポーションを欠かさないのが重要になるねー」
「そうだね。三階層全体がこうなってると思っていいだろうし、事前準備できていてよかった」
「はい。私もマジックバッグには耐毒のポーションを多めに入れてきてます」
「うん、ありがとう。それじゃあ、探索を始めようか」
こうして、黄色い麻痺毒の靄に包まれた階層の探索が始まった。
靄は当然呼吸をすれば吸ってしまう。耐毒のポーションで中和できてはいるが、長時間吸い続けると徐々にポーションの効果を乗り越えて痺れの症状が現れる。
その都度ポーションを飲みなおすが、この工程が想像以上に時間を使う。
明確な時間制限がある探索で、間違いなく全員想定よりも精神をすり減らしていた。
「燃えっろ~!」
襲い掛かってくるモンスターの群れをトリシェルの魔法で焼き払いながら、三階層の探索を進める。
体を動かし、呼吸が活発になると麻痺毒を多く吸い込んでしまう。だから、三階層はトリシェルの魔法をメインにして戦いを進めていた。
その影響で時間的には余裕はあるのだが……。
「ごめん、そろそろ残り少ない」
「仕方がないよ。三階層に下りてからずっと戦闘を任せていたんだ。ここからはリスクを取る時間ってだけさ」
そう、全体的なリソース残量の消費が激しい。トリシェルの魔法はもちろん、精神的には皆疲弊が進んでいた。
ポーションはまだある。回復魔法もある。全体的なリソースはまだ残っている。しかし、戦闘面で魔法が使えないとなると、それらも急激に減っていくだろう。
本来ならば深層探索で起きるはずのリソース戦が、こんな浅い階層で繰り広げられていた。
全員の元気がどんどんなくなっていくのが、探索している途中でありありと伝わってきていた。
「……駄目だね撤退しよう」
結局、レイナードが撤退の判断を下したのは、階層の半分も探索できていない状況のことだった。
戻るとなると容易い。深層と違うのは、所詮三階層という事。地上までの距離は短い。
地上に戻ると、いつもと違い日がまだ高くにあった。
かなり長い間ダンジョンに潜っていた気になっていたが、実際には違ったらしい。
「……続きは明日にしよう。まだ、時間的に余裕はあるんだから」
「……ああ」
疲れているのは男連中も同じようだった。
あのリヴェンですら、微かに疲労の色が窺える。
「それじゃ、解散でいいのかな? 私は先に戻ってるね~」
一人だけ元気なのはトリシェルだ。魔法を使って一番疲れているはずなのに、全然平気そうにしている。
何もしていない俺の倍以上は元気なんじゃないだろうか。
「あいつはなんであんなに元気なんだ」
俺もそう思う。
解散の流れに則って、俺たちもそれぞれ町へ戻ることにした。
昼であろうと俺が一人でこの町を歩くのはまずいので、リヴェンに泣きついて護衛してもらっている。
なんだかんだ口は悪いが、泣きつけば言うことを聞いてくれるあたり、実は結構いい奴なんじゃないかと思い始めてきた。
口が悪くて怒った顔が怖いだけで。
「……顔に出ているぞ」
「えっ。やだなぁ、そんなこと考えてませんよ」
「何を考えていたかまでは知らんが、失礼なことを考えていたことはよくわかった」
「あははは……」
愛想笑いで何とか誤魔化す。誤魔化せた?
……誤魔化されてくれたらしい。
ありがたい。ここら辺の分別が楽なんだよな、この男を相手にするの。
「そろそろ野良猫亭に着きますね。毎回ありがとうございます」
「契約のうちだからな。お前のおかげでありつけた仕事でもある、そのぐらいの義理は果たすさ」
当然だと言わんばかりの言動。同時に、利益のためであることを強調してくる。
俺は思わず苦笑いする。確かに楽、なんだけれど。なんだかなぁ。
「ここら辺でいいか?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございました」
「気にするな。今後も良くあることになるだろう、お前が俺の役に立ってくれるうちはな」
それだけ言うと、リヴェンは俺に背中を見せてきた道を引き返していく。
この後の時間は自由時間になるわけだけれど、こいつは何をするんだろうな。部屋の中で筋トレでもするんだろうか。
まあ、店の手伝いでもするかと思い、野良猫亭に戻ろうとする。
――路地裏に、泣いている少女の姿を見つけるまでは。
路地裏の奥の方で、泣いている少女がいる。見た目は見すぼらしく、おそらく浮浪児だろう。もしくは、暴行された後の姿なのか。
俺は辺りを見回す。俺以外に彼女に気が付いた人物はいなさそうだ。
……子供が虐げられているなんて、この町では日常茶飯事だ。裏では何人が客を取らされているのかなんて知ったことじゃない。
偶然見つけたからだなんて、ただの偽善だ。俺の気分が悪いだけ。
そう思って視線を逸らすが、泣き声がやたらと耳に残る。気にするな、俺の時は誰も助けてくれなかったじゃないか。神様だって、誰だって。
『お母さん、皆、おとう、さん。誰か、誰かっ……!』
瞼の裏に、いつかの光景がフラッシュバックする。
忘れようと思っても、未だに夢に見るあの光景を。
――しばし足を止め考えた。
見て見ぬ振りをした方がいい。厄介なことに巻き込まれかねない。この町で、自分から首を突っ込む奴は馬鹿だ。いくらでも関わらない方がいい理由は見つかった。
一方で、関わる理由は俺の気分が悪いだけ。
こんなの、一択じゃないか。
結論が出ると、溜息が出る。我ながら、実に馬鹿らしい。
俺は店に向かう足取りを一旦曲げ、路地裏へ足を踏み入れる。大丈夫、ここは店の近くで治安も比較的良い。路地裏の奥まで行かなければ、変な奴もいない。
そう自分に言い聞かせて、少女のところまで足を運んだ。
「どうかした? 大丈夫?」
泣きじゃくる少女の視線に合わせるようにかがみ、手を差し出す。
すると、恐る恐ると言った様子で少女が顔を上げてくれた。目には大粒の涙が浮かんでいて、頬には青あざができている。
「ごめ、ごめんなさい」
「うんうん、大丈夫だから。お姉さんと少し一緒に行こうか」
「違う、違うの。ごめんなさい」
何かに怯えるように震え続けている。
安心させてあげようと、優しい声を努める。
「何が違うの? うちが近いから、そこで聞かせてもらえる?」
そう問いかけると、少女は首を横に振り、強く拒否する。
――いや、拒否というよりはこれは。
「ごめんなさい、逃げ、逃げて」
「――え?」
唐突に後ろから抱きかかえられ、俺の口に布が押し当てられる。
甘い匂いがする。これは、表だと禁制のく、す……り…………
俺は抵抗する間もなく、意識を手放した。