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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 98 天正十一年春 12
続いて、秀吉は下野衆が釘付けになっている忍城へ、他は忍城を横目で見ながら南下し岩槻城攻略へと向かう。
そして、忍城にやってきた秀吉はこの城が見た目とは裏腹に攻略が難しいと見た。
そして、その最大の理由となる地形を逆用する策を思いつく。
そう。
史実通りの水攻めである。
ここで佐竹氏と里見氏の動向も見ておこう。
佐竹氏は下総の千葉氏領へ侵入。
現在の茨城にある江戸崎城や牛久城、守谷城を落とし、さらに関宿城や古河城、小金城攻めを始めた。
里見氏は元々の係争地だった上総で攻勢をかけ土気城を攻め立てていた。




