表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本能寺の変~もし、明智光秀が京都ではなく秀吉の後詰めに向かっていたら(パイロット版)  作者: 田丸 彬禰


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

96/118

もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 96 天正十一年春 10

信長による小田原侵攻の前哨戦ともいえる各地にある北条の城の攻防戦。

そのなかでも最大規模ともいえる鉢形城。

その戦いはこのようなものとなる。

そもそもこの城を落とすのは滝川一益率いる上野信州勢だった。

だが、この城で完全に足止めを食らった。

難攻不落の城と世間で認知されているのはこれから挑む小田原城、大阪城などがあるわけなのだが、実をいえばこの鉢形城もそのひとつであった。


鉢形城。

歪な三角形をしたその敷地の北側から西にかけての一辺は荒川と崖によって完全な防御がされている。

この時点で攻め手は東側と南側の二方向からの攻撃に限定される。

だが、東側は水堀が巡らされている。

その内側は外曲輪と呼ばれるエリアがある。

そして、その先には再び深沢川とそれを掘とするような深い谷となる。

もちろん損害がどれだけ出てもいいという条件であれば力攻めでの攻略は可能であろうが実際にはそのようなことはないため、結局、ふたつの門がある南側からの攻めに限定される。


史実でもの結局攻めはこの方面からとなる。

もちろんそちらにも何重に防御システムが構築されているのだが、史実ではその最初の曲輪を陥落させたところで北条方が降伏して戦いが集結する。

だが、その気になればまだまだ抗することは可能だったとされている。


当然北と東から攻めあがることは不可能とみた一益は南から攻めるものの、落城する気配はない。

攻めあぐねていたところにやってきたのは四万の援軍となる。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ