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本能寺の変~もし、明智光秀が京都ではなく秀吉の後詰めに向かっていたら(パイロット版)  作者: 田丸 彬禰


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93/118

もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 93 天正十一年春 7

雪解けとともに進軍を開始した織田軍四万。

北条征伐軍が関東各地で膠着状態に陥っている中、圧倒的兵力差を生かし、次々に城を落としていく。


そして、史実にもある山形県鶴岡市にある十五里ヶ原で待ち受ける最上軍と戦いになる。

最上軍は史実よりも多い二万三千、織田軍は四万での戦いは史実よりもはるかに大規模なものとなる。

にらみ合いから始まった戦いであったが、結局史実どおり最上軍は大敗。


敗走を始め、追走した前田、佐久間両将は朝日山城も落とし、最上軍に睨みを利かせる中、さらに北上を続け、雪が残るうちに庄内地方を完全に掌握する。

大宝寺義勝を庄内地方の抑えとして残した勝家はすぐに引き返すと、最上領を北から南下するように侵攻を始める。

これは「慶長出羽合戦」時に庄内地方から侵攻した上杉軍の進軍ルート。

そして、結果もほぼ同じ。


程なく義光が籠る最上氏の本拠地山形城が望める場所まで織田軍は迫る。

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