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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 92 天正十一年春 6
対北条戦が始まってからまもなく、越後春日山城付近に大軍が集結する。
もちろん柴田勝家率いる最上征伐軍である。
勝家の一万八千を筆頭に、佐々成政が六千、前田利家、佐久間盛政がそれぞれ五千、さらに徳山則秀、神保氏張、長連龍がそれぞれ五百、金森長近が千、姉小路頼綱も八百、合計二万八千三百。
そこに北信濃の猛将森長可八千が加わる。
総計三万六千三百。
そして、越後の北端では本庄繁長と新発田重家が五千の兵とともに織田軍の到着を待ち構える。
対する最上義光は手持ちの兵は一万にも満たない数。
だが、今さら和議もできず、このまま戦いへ突入することになる。




