もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 86 天正十一年冬 10
織田領内を東に向けて大軍が移動するなか、まず戦闘が始まったのは武蔵、伊豆、そして上総だった。
特に、上総は安房を根城としていた里見氏と北条氏が長年奪い合った係争地。
信長の後ろ盾だが出来たこと、そして、北条が小田原城へ兵を集めているのを見て、真っ先に攻撃を開始する。
さらに、佐竹氏も下野や武蔵の領地を巻き上げられる以上、ここで下総の千葉氏の領地を奪い、功によってそのまま領有できることを期待し攻撃を始める。
もちろん織田方も滝川一益を大将に、木曽義昌、真田昌幸、小幡信真、下野の宇都宮氏などが加わり北武蔵にある北条氏の拠点を、甲斐からは南信濃の国衆を率いて河尻秀隆と毛利秀元が西武蔵に侵入する。
なお、海津城を中心とした北信濃を治めていた森長可は、信長の命により勝家軍に加わるため、春日山城に向かっている。
また、同時期、信長は九鬼嘉隆、来島通総に水軍を率いて関東へ出向くように命を出している。
これは本願寺攻めの際に海上からの補給を断たねばならない教訓からのものとなるとともに、下田を拠点とする北条の水軍に対する備えでもある。
そして、北条氏が西方からの攻撃に対する防衛上最も重要視していた箱根と伊豆のルートを攻めるのは徳川家康。
ただし、二方面を同時に攻めるのは徳川の兵だけでは少々足りない。
家康の要請により、信長は織田信張を大将、池田恒興、中川清秀、高山右近、雑賀衆と根来衆を援軍として差し向けている。




