表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本能寺の変~もし、明智光秀が京都ではなく秀吉の後詰めに向かっていたら(パイロット版)  作者: 田丸 彬禰


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

80/118

もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 80 天正十一年冬 4

北条側の策。

言い訳を並べ討伐には不参加を決め込んだうえで千葉氏を討つという信長軍は自由に領内を通過させることを申し出る。

信長軍を領内奥まで誘い込んだところで退路を断ち、背後を襲う。

これはかつて浅井長政が反旗を翻し、信長が窮地に陥ったのと同じであり非常に有効である。

そうなれば挟撃体制が完成し、佐竹軍も参加して袋叩きにすれば大打撃を与えられ、しばらくは関東に手は出せなくなるどころか、逆進して上野や下野も奪うことができる。

さらに長年敵同士であった佐竹氏ともこの機会に協調体制がとれ、安心して信濃方面の領土拡張を進めることができる。


だが、それは有効であるとともに、誰もが考えそうなことでもある。


当然信長はその対策を用意する。


兵糧米の供出。

異心がないことを示すため領内のすべての城の門をあけたままにする。

当主または跡継ぎを人質として安土に送る。


これらを北条氏と佐竹氏などへ通知する。


完全な臣従。

またはその逆。


そのどちらかを選べ。


そういうことである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ