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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 79 天正十一年冬 3
信長は臣従を拒んだ下総の千葉氏討伐を決定する。
ただし、これは名目上のものであり、関東一円を平定することを意味するのはあきらか。
そして、狙いは主たる北条と佐竹、さらに両者に近い者たち。
天正十一年三月下旬侵攻開始。
信長のその決定に従い各将は準備に入る。
信長が示した侵攻ルートは大まかに分かれて四つ。
伊豆ルート。
箱根ルート。
甲斐ルート。
上野ルート。
このうちふたつは家康が指揮する。
甲斐から武蔵へ侵攻するルートは甲斐を支配する川尻秀隆が大将で甲斐と南信濃の諸将が属する。
上野ルートは滝川一益が大将となり、北信濃と新しく臣従した下野の領主もこの部隊に属する。
その後ろに織田信忠率いる織田軍主力が進み、さらにその後方に信長の本隊が行くという武田討伐と同じ図式が展開されることになる。




