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本能寺の変~もし、明智光秀が京都ではなく秀吉の後詰めに向かっていたら(パイロット版)  作者: 田丸 彬禰


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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 78 天正十一年冬 2

当然ではあるが、日本でおこなわれる戦いのすべてが「対織田」というものではない。

東北では、天正十一年一月最上氏が織田の同盟者である大宝寺を破り、三月には当主大宝寺義氏が討ち取られ最上氏に飲み込まれる。

九州では大友宗麟より依頼を受けた信長に釘を刺されているため「対大友」を控えている代わりに肥後侵攻を進めている島津。

そこでは肥前を本拠にして一大勢力となっている竜造寺氏との衝突は避けられない。

そして、北条も下総の千葉氏に近づく。

ともに織田と戦うように。

上野に進出してきた滝川一益の使者を拒んだ下総を支配する千葉氏当主千葉邦胤は手を結ぶ。


そのような中で年が明けたところで織田軍が動きだす。


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