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本能寺の変~もし、明智光秀が京都ではなく秀吉の後詰めに向かっていたら(パイロット版)  作者: 田丸 彬禰


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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 77 天正十一年冬 1

滝川一益を通じて出された臣従要求にいち早く名乗り出たのは下野の宇都宮国綱。

長男義綱を人質に差し出し、十八万石を安堵される。

早くから信長に臣従していた佐野宗綱は、佐竹氏が領していた下野の領地が与えられることになり下野の大きな勢力となる。

続いて、那須資晴が資景を人質に差し出し下野の那須郡の領有を認められる。

安房の里見氏も信長に臣従を誓し安房を安堵、上総は斬り取り次第の約束を取り付ける。


これまで信長と友好関係を維持していた佐竹義重も臣従を申し出るものの、常陸一国のみの領有が許され、下野の南に有していた領地は召し上げられ不満を持つ。


北条に至っては当初の伊豆と相模の二か国に武蔵の南半分の領有から、さらに厳しい相模一国のみの領有という臣従条件を示される。

当然拒否。

滝川一益との条件交渉を始める一方で、同じく領地を減らされ不満を持つ佐竹氏は東北地方の諸勢力と連携し、戦いの準備を始める。

もちろん域内の城の修復、及び本拠地である小田原城の拡張も開始する。


明確に「反織田」の意志を示したのは下総の千葉氏。

臣従の誓いを示す使者を送るよう促されるものの、それを拒否している。

これが後に信長の関東平定戦のきっかけになる。


一方、信長も「獅子身中の虫」高野山及び紀伊の諸勢力を排除し、いよいよ東方討伐の準備を始める。

そして、信長の目が東方に向き、早期侵攻の可能性がなくなった九州では島津氏が勢力を伸ばしていく。


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