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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 75 天正十年秋 6
高野山の包囲に成功したという連絡に信長は大急ぎで畿内に戻る。
九月、信長より高野山へ最初の降伏勧告が出される。
領地の返上。
武装の禁止。
謀反人を山内に匿うことと現在匿っているものの引き渡し。
さらに数年前に信長の使者を斬った者の引き渡し。
詫び料としての賠償金の支払い。
拒めば全山焼き打ち。
信長が特に重要視したのは二番目から四番目。
すでに紀伊の諸勢力は完全に掃討され、城を追われた者たちが逃げ込んでいるが、当然のその身柄もそこに含まれている。
そして、勧告直後、示威行動が始まり、周辺に火がかけられる。
そこに朝廷からの仲裁が入る。
むろんこれは信長の要請である。
ついでにいえば、これは信長の常套手段でもある。
そして、十月。
最終勧告が出される。
条件を受け入れるか否かを早急に返事すべし。
ない場合は、拒否とみなし、総攻撃を開始する。




