表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本能寺の変~もし、明智光秀が京都ではなく秀吉の後詰めに向かっていたら(パイロット版)  作者: 田丸 彬禰


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

74/118

もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 74 天正十年秋 5

高野山に対する沙汰は信長が越後から戻ってきたところで決まることになる。

もちろんその間に双方からの使者が行きかい、最悪の結末を避けるための努力がおこなわれる。


滅び。

存続。


その二択であるが、高野山が最大限の譲歩を示さないかぎり、信長が前者を選択するのは避けられないだろう。


もちろんこれは秀吉に包囲されたときと同じ。

そして、これがその時に出された条件だった。


十七万石ともいわれる領地の大半を返上すること、武装の禁止、謀反人を山内に匿うことの禁止。


もし、これを拒否すれば全山焼き打ちにすると秀吉は脅した。


信長は残酷、秀吉はその反対というイメージがあるようだが、多くの史実がそれを否定する。


信長の悪行として有名な比叡山焼き討ちが小規模だったのに対し、もし本当に高野山でそれがおこなわれたら秀吉は躊躇なくすべてが焼失したことだろう。

実際に同時期に秀吉に抗していた根来寺は完全な焼き討ちに遭っている。


だが、幸いなことに高野山はその条件を受け入れたため、今に至っているというわけである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ