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本能寺の変~もし、明智光秀が京都ではなく秀吉の後詰めに向かっていたら(パイロット版)  作者: 田丸 彬禰


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73/118

もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 73 天正十年秋 4

七月、信長派となった雑賀衆と根来衆は織田信張を主将とする池田恒興を中心とした摂津衆とともに現在の和歌山から南下を開始する。

昨日の敵は今日の味方、昨日の味方は今日の敵。

戦国時代にはそう珍しい光景ではないとはいえ、ほんの数年前まであれだけ激しく戦っていた者がこうして轡を並べて戦うなど誰が予想しただろうか。

それは彼らと対峙する者たちも同じ。

味方の時に感じていた強さは敵になったところであらため実感することになる。


だが、岩室城をはじめとしてこの地域は山城が多く城を攻めるには数がややたりなかった。

状況は激変したのは四国から増援部隊がやってきた九月になってからだった。

まさに数の暴力。

時を同じくして中央、東方からも侵攻が開始されると、僅か十日で高野山を除くほぼすべてが制圧される。

越後で織田・徳川連合軍が春日山城に総攻撃をおこなっている頃には高野七口は完全に抑えられ高野山は織田軍によって四方を完全包囲される。


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