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本能寺の変~もし、明智光秀が京都ではなく秀吉の後詰めに向かっていたら(パイロット版)  作者: 田丸 彬禰


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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 70 天正十年秋 1

中国、四国に続いて越後も上杉滅亡という形でカタがついた天正十年九月の時点で衝突が起きていたのは紀州のみ。

そこでまずは紀州の動きを見てみよう。


高野山勢力は畿内に信長勢力が少なくなっているため攻勢に出たいところだが、大和には筒井順慶がいる。

しかも、これまで防衛戦の担い手になっていた雑賀衆も根来衆とともに織田方に加わっている。

簡単には動けない。

そこに、光秀の与力として中国に遠征したものの、活躍する場面が一切なかった池田恒興をはじめとした摂津勢が加わる。

ただ時間は過ぎていき、九月になると、臣従の証を示さなければならない毛利や四国の諸大名が次々に紀州へやってくる。

もちろんさらなる功をてにしたい秀吉、光秀も。

つまり、上杉攻めに参加している織田方の兵はすべて紀州にやってきたことになる。


信長存命中にそれがおこなわれたのかは疑わしいとされる十万の大軍での高野山討伐はこうして実現したのである。


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